寅年に「演」の意味から社会を考える
あけましておめでとうございます。
寅年の2022年が始まりました。
わたしは、毎年お正月の書初めで、目標やテーマとなる今年の漢字1文字を書くのが習慣になっています。
今年は「演」という漢字を書きました。
「寅」が入っていますが、今年の干支が寅年だからこの漢字を選んだわけではありません。
ちなみに「寅」という漢字の由来には、動物のトラはまったく関係ないそうです。
さて、この「演」という漢字との出会いは、昨年になります。
日頃から、現代社会の本質を言い表す言葉を探していましたが、ちょうどいい言葉がぜんぜん見つかりませんでした。
ところが昨年、「演じる」という言葉がそれにピッタリと当てはまることに気付いたのです。そのことにより、社会で生じているあらゆることが解釈可能となり、自分の中にあったさまざまな違和感が払拭されました。
それはまさに、人々は自分の欲求を満たすために「演じている」というドラマツルギー的世界観です。
これにより、社会の本質を見通すメガネを手に入れたような気がしました。そして、未来の社会の行く末についての手がかりを得られる、そんな感覚さえ生じたのです。
しかしながら、これは感覚的、直感的なものであり、例えば「演じている」の定義など、この世界観を言語によって捉えなおすには、はなはだ困難が伴うこともすぐさま自覚しました。
「演じている」という感覚やその意味するところを言語として捉えなおすこと、あるいは演劇などを通じてさらなる経験知として蓄積することが、自分の今年のテーマになりそうです。
そういうわけで、今年は「演」という漢字を選びました。
たまたま「寅」が入っていることにも運命を感じますね。
そして書初めで「演」という漢字を体感しながら、思ったことや考えたことをひも解いていきます。
「演」の意味は「広げる」
まず、「演」という漢字の成り立ちについて調べてみました。
「演」は、「さんずい」と「寅」に分けられます。
調べたところ、「寅」という漢字は、曲がってしまった矢を両手でまっすぐ伸ばすさまを表した形が成り立ちとされています。したがって「寅」には、「伸ばす」といった原義があります。
そして「さんずい」は、よどみのない水の流れを表しているとされています。
この2つを組み合わせることで、よどみなく流れながら伸びていくイメージ、すなわち、「広げる」という意味になるようです。
「役を演じる」と言ったときの「演じる」はまさに自分を広げるイメージです。
ほかにも「演」が使われている熟語を例に見てみましょう。
「演繹」、「演算」 ➤ 論理の規則によって結論を導く(広げる)
「演説」、「講演」 ➤ 説明や話をして聴衆に伝える(広げる)
「演技」、「演奏」 ➤ 技や楽曲を観客に披露する(広げる)
「演習」 ➤ できるようになるために練習する(広げる)
このように、「演」という漢字には「広げる」という意味が込められています。
思考を論理によって広げる
思想や理念を他者に広げる
演技や演奏で感動を広げる
自分の能力や役割を広げる
これらは、すごくポジティブなイメージです。
「演じる」につきまとう否定的な意味合い
また、「演じる」の現代的な意味についても、辞書を引いてみると
芝居などの芸をしてみせる、役柄のとおりに振舞う、役目を務める
といったことが記載されています。
ここにも、ポジティブな意味しかありません。
それにもかかわらず、社会の中での「演じる」の使われ方を見てみると
「会社では従順な部下を演じる」
「学校では良い子を演じる」
「八方美人を演じる」
などとネガティブなニュアンスで語られることが多く、社会の中では「演じる」ことへの否定的な感情があることがわかります。
このような否定的な意味合いの「演じる」には、背景に、ごまかす、だます、嘘を付く、といった意味合いが隠れています。
「演」という漢字には「広げる」という意味がありました。
これに当てはめると、ごまかす、だます、嘘を付くというのは、本物や真実というものから「広げる」と解釈できます。
本当の自分から広がってしまっている
自分のやりたくないことにまで広げてしまっている
自分に都合が良くなるように誇張したりして広げている
他者や自分に対して、「演じている」と感じるときの否定的な感情や嫌悪感は、ここから生じているのでしょう。
「演」はよどみなく流れるイメージ
しかしながら、よく考えてみてください。
演じているかどうかなんて、結局はわからないのです。本当の自分が何かなんてわからないのです。
また、演じることで人々は自分の欲求を満たしています。演じることに嫌悪感を抱いたとしても、その対価として、給料、地位、名誉、自己肯定感など何かしらを受け取っているはずです。
さらに、みんなが演じることをやめてしまったら、おそらく仕事や生活は成り立たないし、社会の秩序も保てないでしょう。闘争が起こります。
社会の中では、誰もが「演じる」ことから逃れることはできないのです。
そこで注目したいのは、「演」という漢字の「さんずい」の部分です。これは「よどみなく流れる」ことを意味していました。
「よどみなく流れる」、つまりは、「物事が円滑に進む」という意味が込められています。
人々は社会の中で、あるいは、他者との関係性の中で、「物事が円滑に進む」ように「演じている」のです。
しかし、現代社会では、いたるところでよどんでしまっています。
たとえば、ブルシットジョブなんかは、意味や価値がないと自分で思っている仕事をまさに「演じる」ことで発生しています。
あるいは、株主と企業、企業と社員、生産者と消費者、国家と国民の間では、お互いが自らの利益を得ようとして、両者が「演じ」合うことで、狐と狸の化かし合いみたいになっていることもあります。
人々は「演じる」ことで自分の欲求を満たそうとします。しかし、「演じる」ことで、そのことに対する嫌悪感や相手に悪い印象を持たれて不利益を被る可能性があるなどのデメリットが生じます。
そして、人々は他者との関係性の中で、このバランスを最適にするように行動します。
それにより、いわゆる部分最適の状態に陥ってよどんでいるのです。
この状態から抜け出すには、どうすればよいか?
これは社会を一度スクラップアンドビルドでもしないと解決できないようなとても難解な問題です。
しかし、演じることから逃れることができないとしても、違和感のある役柄をできるだけ手放したり、気持ちよく演じられる舞台を作ったりすることはできます。
よどみなく流れるイメージで「演じる」こと。
そうすることで、社会のよどみを減少させ、社会全体に幸せが「広がる」と考えています。
余談ですが、書初めで苦戦したのが、この「さんずい」です。
「さんずい」を先に書くので、とくに右隣の「寅」との間隔や「寅」にちょうどよく合うような3つの点の配置、大きさにするのが難しい。
伸ばすこと(「寅」)とよどみなく流れること(「さんずい」)のバランスを取るのが難しいということを想起させます。
よどみなく流れることは難しい
新年を迎えて書初めをしながらそんなことを思いました。
「演」とは、よどみなく広がっていくイメージです。
さて寅年の2022年はいったいどんな年になるでしょうか?