見出し画像

成長とはなにか 【青二才の哲学エッセイ vol.1】

成長とはなにか。
ただ身体的成長のみを指すのであればわざわざ問うこともなかったように思う。
辞書として成長とは、「人や動植物が大きくなること」「物事の規模が大きくなること」、こういう意味でしか書いていない。でも、「人としての成長」と言うと、言葉がひとりあるきしている感じがする。みんなニュアンスとしてわかっていても、なんとなく人によって定義が違う感じがするのだ。成長したとされる自分がどうなっているか、どういう自分になりたいかというイメージが、人によって違うという感じだ。技能や知識が身につきできることが増えている状態、自分に自信を持てている状態、収入が増えた状態、など、人によって様々だと思う。誰もが自分の経験に基づいて人として成長するとはこういうものだというイメージをなんとなくとでも持っている。それぞれの人が持つイメージを集約して、抽象化していけば、「人として成長する」という言葉の本質的なものが見えてくるのかもしれない。それを擦り合わせることってまずやらないが。ただ、ややこしくなってしまうのは、自分の経験が過度に一般化されたときだ。「成長とは〇〇というものだ!」→「みんなにとってもそうに違いない!」という風に。聞き覚えのある人もいるかもしれない。こういう人いるいる、って感じで。私の周りにもいる。何を自分にとってよいものとするかは人によって違う。だから押し付けられた時にはちょっとモヤっとする。

大学生の時のアルバイトで、社員の方からある業務を教えられた後に、「これは君の成長に繋がるんだからしっかりやってね」と言われた。その業務が成長に繋がるという意味が、正直よくわからなかった。誰にでもできるような単純作業だったし、大学を卒業したらそのアルバイト先とは全く違う仕事をするという思いもあった。もちろん、お金をもらう以上、業務は滞りなくこなした。(周りのお局様方が怖かったというのもある)確かに与えられた物事を順序立ててテキパキこなすということに関しては、社会人になっても役に立っているなと思う。成長といえば成長なのかもしれない。
社会人になってからは、新人研修というものに行かされた。社外の企業が行うセミナーである。いわゆるOFF JTというやつだ。「社会人として成長・成功するために」そのような講座タイトルだったように思う。そこで教えられることは、こういうことをすれば上司に喜ばれるだとか、上司の行動を先読みして自分から行動しようだとか、社内での立ち居振る舞いをどうすればいいか、みたいなことが多くて辟易した。時間とお金をかけてするものかと。悪い意味での忖度はこうやって受け継がれるのかというのが正直な感想である。

何だか悪口になってしまったが、別に悪いことを教えられたわけではないと思うし、彼らなりの「人としての成長」を考えてのことだとも思う。教える側の言い方の問題もあるかもしれない。確かに後輩を持つ身になってわかったことだが、教えるということは難しい。私は、成長ということがなんたるかがいまいちよくわからないと思っていたつもりだったが、実際後輩ができて、「将来のためにこうするべき」という思いを後輩に向けている私がいた。なってみないとわからないものだ。(反省した)私がやってよかったなと思うことが、後輩にとってそうであるとは限らない。後輩には向いているものではないかもしれない。身につけたものが時代が変わって陳腐化してしまうかもしれない。ああしろこうしろって言ったって、人の人生の責任を取ることは絶対にできない。こうありたい、こうなりたい、こういうことをしたいという理想像は10人いれば10パターンあるし、どんなことであれ最終的に決断するのは自分である。色々考えて、私は今、後輩が教える時には自分が思いつく限りの方法を教えるようにしている。(これが正しいのかどうかは実験中だ。)
目的Aがあって、手段Bをとればメリット・デメリットはこれ、手段Cをとればメリット・デメリットはこれ、というように。自分はBの方がいいかなというときもあるが、基本的には決断は自分でしなさいよという感じだ。自分の人生自分のために生きろと表むきには言っているが、私の負い目が少なくなって気が楽だというメリットもある。

これを書くにあたって考えて、10人いれば10通りの成長があればいいと思った。人は幸せになろうと思い行動する。自分にとって「よい」と思う行動をする。「よくない」と思う行動はしない。今までの自分と比べて、「よい」と思う状態に少しでも近づけたなら、それを「成長」と呼んでいいのではないか。他人がとやかく言う必要はない。たとえ失敗したって、それは経験として生かせばいい。「よい自分」を目指すための判断基準が加わってよいではないか。

とはいえ、その「自分にとってのよいこと」が明らかに道を踏み外すような人がいた場合はどうだろうか。望む結果が明らかに出ないようなやり方をしている人がいた場合はどうだろうか。助言するにしても、その人が望むものは何なのか、言う側も理解してから助言すべきだろうが。(これは今後教えていく上で加えようかと考えている)自分の人生を決めるのがその人である以上、腑に落ち、納得して行動できるものでなければ意味がないとも思う。あくまで決めるのは自分なのだから。(残った疑問は持ち越して考えたい)
私の「成長」に関しても同じである。私の考えや行動が、望む結果に対して正しいものであるかどうかは全くわからない。自分の見える世界には限界がある。いろんな人の意見をまずは受けとめて、私にとってのよい状態、そのためのよい行動とはどういったものであるかを作り上げていく必要があるだろう。言うのは簡単だが、行うのは難しい。昔、「返事だけは立派」と親から言われた私だ。いい歳になったし、口だけ一人前と言われないようにしたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?