生きてきたこと、意味はあったんだな
中学校1年生の夏休み明け、クラスでも所属していた吹奏楽部でも わたしと口を聞いてくれるひとがいなくなった。
きっかけはほんとうに些細な いま思えばしょうもない理由で ただ当時の女子中学生たちにとっては大問題で、クラスメイトであり部活仲間の目立っていた女の子たちに目をつけられた、というだけの話なのだけれど。
そのころの救いは、音楽とインターネットだった。
毎日息を殺して教室と音楽室で生きて、ハブられてますなんて親にも誰にも言えないプライドの高い女子中学生だったわたしは 学校を休むことすらできず、家に帰れば姉の使い古した動作の重いノートパソコンで そのころ出会っていまもだいすきなSEKAI NO OWARIの動画をYouTubeで観て、夜になればSCHOOL OF LOCK!というラジオ番組を聴き、兄弟に頼んでタワーレコードでCDを買ってきてもらい、泣きながら聴くような毎日だった。
そのなかでも特に大好きだったのは ピアノのSaoriさんのアメーバブログだった。
これが、わたしとでんぱ組.incの、出会い。
わたしは中学生から高校生にかけて じわじわと女の子が嫌いになっていった。
親友の女の子と遊ぶ約束をしようとしたら『けいこと並ぶと比べられるから遊びたくない』と言われたこと。真面目に授業を受けていなかったクラスの女の子に わたしのノートを勝手に取られて勝手に写されていたこと。わたしがいないLINEグループで『あしたの委員会決めはけいこに投票しないでほしい』と言われていたこと。朝いつもより早めに着いた教室に入る直前 机を蹴り飛ばす音が聞こえて、入ってみたら中にはわたしを嫌っていた女の子2人がいて 斜めになったわたしの机があったこと。
どれもいま思えばしょうもないこと。それに、たぶんわたしにも何かしら非があったのだろうと いまなら思える。
でも女子中学生女子高生という多感で無知で繊細な時期の、学校が世界のすべてに思えていたわたしにとっては ひとつひとつがあまりに重苦しくて、逃げ出したいような日々だった。
学校が、人が、女の子が、嫌いだった。
でもわたしは、でんぱ組.incのことだけは好きだった。
正直な話 はじまりは、だいすきなSEKAI NO OWARIのSaoriさんと仲がいいのなら!というだけの動機だったかもしれない。
でも、いつの間にか 自信を持って言えるようになっていた。
わたしはでんぱ組.incのことがだいすき。
女の子を嫌いになっていき、トイレの鏡を占領して校則違反のメイクをする女の子と並ばなくていいように毎日すっぴんで過ごし、音楽とインターネットに入り浸る日々のなかで、わたしが唯一大切にできた女の子のコンテンツが でんぱ組.incだった。
《生きる場所なんてどこにもなかったんだ》と歌う『W.W.D』は女子中高生のわたしにぴったりだった。
《わたしのなかの きみが住んでる場所 秘密の箱 宝物》という歌詞を大切な自分の居場所に向けて歌いたくて、『ORANGE RIUM』を自分の生誕祭でカバーしたこともあった。
推しの脱退をきっかけにでんぱ組.incからすこし距離をとってしまっていた後、《変わることは変わらないためだからもう恐れない》と歌う『プリンセスでんぱパワー!シャインオン!』でぼろぼろ泣いて、《憧れてた未来に私今生きてんだ》《状況ガンガン変わって 二転三転四転したって 脈々と受け継がれしプライド》の歌詞で 自分のアイドル人生も救われたような気持ちになった。
まだまだ思い入れのある曲たちがある。もっともっとここに書き残しておきたいくらい。あのライブ映像のあのメンバーのあの瞬間が好き。あの曲のあの歌割りが好き。あの曲のあの歌詞が好き。あのMVのあのシーンが好き。ずっとずっと何回だってわたしを救ってくれて、唯一無二の憧れでいてくれる、大切な存在。
ひとつ後悔があるのは、わたしはお客さんとしてでんぱ組.incのライブに行ったことが無かったことだった。
バンドやシンガーソングライターのライブにしか行ったことがなかったわたしは、『アイドルのライブの客層は男性が大半』という偏見を拭い切れず なかなか1歩を踏み出せずにいた。
つぎの武道館には行こう!と決めたころ、わたしがでんぱ組.incを好きになるきっかけであり 推しメンだった最上もがちゃんがでんぱ組.incを脱退してしまい、結局行かずじまいになっていた。
でも、だからといって、わたしがでんぱ組.incのライブを初めて観る日が、まさか、関係者以外立ち入り禁止のエリアからだとは、想像もしていなかった。
2019年に自分自身もアイドルになり、紆余曲折を経て 先日2024年9月14日、@ JAM EXPO に初出演させていただいた。
憧れのアイドルフェス。
三大アイドル夏フェスのひとつとも呼ばれるこのフェス。
デビューしてからわたしたちは、メンバーの入れ替えも少ないとは決して言えず、同時期にデビューしたグループたちは解散したりメンバーが総入れ替えしていたりするなか ここにしがみつき続け、周りのグループに追い越され、ファンが増えたかと思えばまたお客さんの数が一桁になったりしていたこの5年。その間一度も出演したことがなかったフェス。
ステージに飛び出してライブが始まった瞬間から 涙を堪えるので必死だった。
自分の出番が終わった後、汗でぐっしょりの衣装でステージの裏を歩いているときのこと。
聞こえてきたのは、すべてから逃げ出したかったあのころ スマホやノートパソコンやCDプレイヤーから流れてきていたあの、曲たちだった。
「でんぱだ!」と思わず反応したわたしに、マネージャーが「ここの扉、開けたら目の前がメインステージですよ」と教えてくれた。
横浜アリーナのメインステージ。
何度も動画で観たから知らない間に覚えてしまった振付。
何度も聴いたから歌えるようになった音楽。
逃げ出したかったあのころがあったから 出会えて好きになれた存在。
ずっと遠くだけれど、それでもいままででいちばん近い距離。
同じ空間に、いる。わたしがでんぱ組.incを、初めて観た記念日。
ただライブを観れるだけでも、すこしお目にかかれるだけでも、と思っていたのに、ライブ後にお写真まで撮っていただいてしまいました。
拙すぎる言葉で好きです憧れですとお伝えした記憶だけあります。
SOMOSOMOのメンバーも運営さんも わたしがでんぱ組.incさんを大好きだということを知ってくれているから、すごいね!良かったねえ!と一緒に喜んでくれた。
夢みたいな日だった。でも夢じゃなかった。
烏滸がましくて言えなかった、でんぱ組.incさんにお会いしたいという夢を、叶えることができました。
わたしはいつも男性のファンのみなさまに『女の子のファンの子がいたら気をつかってあげて。わたしは女の子を優先しがちなときがあるけど許して』と話している。それはあのころ、好きなグループがいて推しメンがいたのにも関わらず 『ライブに行く』といういちばんの応援ができなかった自分自身の経験があるから。
会いに来るという 勇気を振り絞ってくれた女の子たちの、その尊さを抱き締めてあげたいからなのだ。
(わたしのわがままを聞いてくれる男性陣たち、いつもほんとうにありがとう。みんなのおかげもあって、会いに来てくれるわたしの女の子のファンが日々増えています。男性陣に対しても同じ愛の量を持っているから安心してね。いつもありがとう)
わたしのリュックにはいつも、あのころヴィレヴァンで買った紫色のカラビナが付いている。ずっと大切にしてきたもの。
それに加えて、ずっと大切にしたい気持ちが大きくなって ずっと大切にしたい思い出が増えた日だったのでした。
きっとこれから先、いまは想像もできないような辛さ 悲しさ 苦しさ 悔しさ やるせなさが待っている。でもそんなとき、きっとこの気持ちや思い出が支えになる。
ここからわたしたちはどこまでいけるかな。
でんぱ組.incさんみたいになれるかな。
また大きな夢を叶えられる日は来るかな。
叶えられるように、この気持ちを忘れないように、歩んでみようと思いました。
来年エンディングを迎えるでんぱ組.incさんに このタイミングでお会いできたこと、あまりにも幸せすぎることだった。でも、それと同時に烏滸がましさや後悔も改めて噛み締めた。もっとそばで応援してきたらよかった。
どうかこれをここまで読んでくれたあなたは、目の前にいる大切な存在に会える手段や機会があるのなら、ぎゅっと大切にしてね。それがきっと、あなたのためにも あなたの大切な存在のためにもなる。
わたしも誰かにとっての大切な存在になれるように、いつか思い出してくれたときに唯一無二の存在であれるように、歩み続けてみようと思います。
今週末は バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHIさん主催『NAKAYOSHI FES』に初出演(でんぱ組.incさんもいらっしゃいます!)(わたしたちはステージ争奪戦に参加中)、その翌日はoverprintさん GEKIROCK CLOTHINGさんとのコラボで一日店長イベント、来週は8月から始まった『Must sold out TOUR』2公演目(チケット即完!全公演完売を目指し、だんだん会場の規模が大きくなっていくワンマンツアー。この日初披露の新曲、いい感じです)、再来週は土日で名古屋に行きます。
大きな夢のために、まずは9月を大切に駆け抜けてみる。
来年2月26日(水)には恵比寿LIQUIDROOMにてワンマンライブが決まっています。楽しさや幸せをあげるから、応援したいという気持ちをもらえますように。
これからも末長くよろしくね!