ロマンスとエゴイズム ナチュラル・ワイン特集:最終章
ワインはその長い歴史の中で、存在価値を少しずつ変化させてきた。有史以前から造られていたと考えられるワインは、コーカサス地方からカナンを経由して古代エジプトへと渡り、ファラオが来世へと行くための供物として献上され、古代ギリシャ時代にはディオニュソスを「豊穣とワインと酩酊の神」とし、エタノール(古代ギリシャ語の“エーテル(天空)”が語源とされる)による意識の変化(酩酊)は神との繋がりをもたらすと考えられるようになった。古代ローマ時代には、ディオニュソスへの崇拝は、「ワインの神」とされたバッカスへと受け継がれ、後の聖書時代においても、ユダヤ人の間で儀式的な価値が伝えられていたワインは、イェス・キリストの登場と最後の晩餐において「キリストの血」としての決定的な宗教的意味を得たことによって、その象徴性が極地に達することとなる。その後、カソリック教会でミサを祝うために必要なワインを確保するために、ベネディクト会やシトー会といった修道会がワイン造りの中心を担うようになり、15世紀になってようやく、ヨーロッパ全土で世俗的な飲用が可能になるほどの産業へと発展した。やがて大航海時代に突入し、植民地における葡萄樹の植樹とワインの生産は、新天地での儀式的飲用のためという名目を超え、植民地支配の象徴となった。
世俗的な飲み物となったとはいえ、庶民が簡単に手を出せるものではなかったワインは、ワイン産地の拡大によって、徐々に裾野を広げてゆき、やがて宗教的意味が薄れ始める。他産地よりも高い名声を得るいくつかの産地が形成されつつあった中で、宗教的意味とは異なる価値が生じ始めた。それは権力の象徴としての(現代まで続く、自己顕示欲の対象としての)価値、そして享楽の象徴としての(現代まで続く、日々の生活の中で酩酊のひと時を楽しむもの、または苦難から一時的に逃れるための手段としての)価値である。これは、ワインの誕生から7,500年以上もの時を経て、確認できる範囲でも4,500年を超える間、重要な宗教的意味と共にあったワインに、ようやくヒトのエゴイズムが反映されたということも意味する。
そして、栽培、醸造技術の急速な進歩と、超長距離輸送のインフラが整備されたことによって、フィロキセラ禍という試練を乗り越えたワイン産業は世界規模へと発展していった。この巨大なうねりの中で、ワイン造りが産業としてのビジネス的側面を強めていったのは必然であり、ワインの語り手であるソムリエという職業が一般化したことも相まって、様々な「ロマンス」が形成され、広く伝播されるようになっていった。
そう、近代から現代までの市場は、ビジネス、ロマンス、そしてエゴイズムに支配されてきたのだ。これらの価値がワイン市場を劇的に拡大してきたことは事実であり、筆者自身もその経済インフラの上で生きているのは間違いないのだから、感謝の想いが無いといえば、嘘になる。
しかし、我々は大きな転換期を迎えている。本特集で繰り返し述べてきたが、このままではもう地球が保たないのだ。そして、嗜好品であるワインは、環境破壊に加担する産業形態から抜け出さない限り、厳しい弾劾を受けるだろう。
スティーヴ・マサイアソンとの対話
健全な農業
カリフォルニアで25年もの間、葡萄栽培コンサルタントとして、1,000を優に超える葡萄畑に関わってきたスティーヴ・マサイアソンは、オーガニック農業とワイン産業全体のサスティナビリティ、そしてそのナチュラル・ワインとの関係性の構築を、真摯に追い求めてきた。スティーヴは決して感情論に流されることは無い。常に科学的根拠に基づき、冷静に客観的に物事を判断する。過去の過ち(90年代には正しいと信じられていたこと)も簡単に認める。そんな彼の言葉は、サスティナブル社会の中でワイン産業が進んでいくべき道筋を、はっきりと示していた。
「ある程度温暖で乾燥した気候という前提条件はつくけども、葡萄畑に発生するトラブルに対して、オーガニック農法で認められている手段では対応できないような事態に陥ることは、極めて、極めてレアだ。」
そう毅然と話すスティーヴの姿に、3年前にナパ・ヴァレーで出会った時に、オーガニック化の進みが遅いことに苛立ちを見せていたことを鮮明に思い出した。乾燥したナパ・ヴァレーでは、うどん粉病やベト病のリスクが非常に低いため、ボルドー液も基本的には必要ではない。ナパ・ヴァレーと類似した気候条件の産地は世界中に非常に多く存在していることから、U.C.Davisのバックアップの元、最先端の研究が反映されるナパ・ヴァレーの成果は、世界各地のモデルケースとなり得るものだ。しかし、オーガニック農法の範囲で対処手段があるとはいえ、コストが膨らむことは間違いない。その点に関しても、スティーヴは強い姿勢を崩さなかった。
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