【コラム】南チロルの風:3
【南チロルの風 Il Vento dell’Alto Adige 3】
イタリア。ここには僕に大きな影響を及ぼしたあるワインとある人の存在潜んでいたのです。
そのワインとその人が僕をイタリアに連れてきたといっても過言ではありません。
イタリアにくるキッカケのワイン
スイスに住んで半年近く経ったある時期に、トスカーナ州のフィレンツェへ出かけました。
アンティノリ(Antinori)というワイン生産者が経営しているエノテカレストランがあり、郷土料理と自社ワインが楽しめるという、いかにも観光客向けのレストラン食べに行きました。
ランチタイムに伺い、有名な『ソライアSolaia 1996』を昼間から1人で注文しました。
その日はスイスまで帰らなければいけない日でしたし、一人では全て飲みきれなかったのでボトルをテイクアウトしました。
持って帰ってきたボトルは部屋の窓辺に置きっぱなしにしていました。
数日後、仕事終わりにそれを飲んで驚きました。
それはなんともすばらしい酸化具合ですべてが丸みを帯びていたのです。
フィレンツェへ訪れた当時、そのワインのビンテージから3年くらいしか経っていませんでした。
まだ若いビンテージ(年号)のそのワインからは堅い印象、舌に残るザラザラ感、まとわりつく渋みと後味にのこる酸。
それらはゆっくり時間をかけて、打ち解けた友人のように「味わい」という感動を与えてくれました。
その名のとおり「太陽がいっぱい」という抽象的な味わいです。
それまでは実際、あまりイタリアワインに対して良いイメージがありませんでした。
けれどそのとき、
「きっとイタリア人もこのソライアのように、はじめは硬い印象があっても、時間をかければ、打ち解ければ、家族のように暖かい人たちなのでは・・・・」
なんて今から考えれば笑ってしまうようなことを純粋にMasa少年は感じていたのです。
イタリアにくるキッカケになったソムリエ
それともう一つ、ミラノでランチを食べに行ったアイモ・エ・ナディア(Aimo e Nadia)というレストランは衝撃的でした。
当時シェフソムリエだったファビオ・スカルピッティ(Fabio Scarpitti)氏(2000年のイタリアソムリエコンテストの優勝者)が、まるで実のお兄さんのように接してくれたのです。
「問題ない、気にするな、僕がすぐやる」
親しく接してもらえる。しかもなれなれしくない。
これがイタリアのサービスか!なんて心地がいいんだ!
僕も彼のようになりたい!
(でました。すぐに影響されやすい山下少年です。)
その時初めて、
「イタリアにはSolaiaのような感動するワインが他にもたくさんあるかもしれない。
ファビオ・スカルピッティ(Fabio Scarpitti)のように素敵なソムリエにまた会えるかもしれない。
イタリアに行ってワインとソムリエの勉強をしたい」
と思うようになったのです。
そこから具体的にどんな行動をしたのか?
そして何から始めたかと言うと、英語で手紙を書きまくりました。
イタリア国内の有名なミシュラン星付きレストランおよそ40軒近く、返信用の切手と履歴書を入れて片っ端から送りました。
手紙の内容は簡単です。
「あなたのところで勉強したいので働かせてください」
今から考えて見れば、三宅さんに告白するくらい、恐ろしいほど無謀なことでしたが、当時は当たっても砕けるものがなかったため後を顧みませんでした。
幸運なことにいくつかお返事を頂きました。
4分の3はお断りのお返事、残りは働いてもいいけど滞在ビザを用意するようにというお返事。
しかし滞在ビザは持っていなくても、とりあえず行こうと、1番初めにお返事を頂いたミラモンティ・ラルトロヘ翌年からお世話になることになります。
スイス生活では常に、
「他人が敷いてくれていたレールの上を、今はただ歩いているだけ」
と思いながら生活していました。
この場合、学校側がこの環境を用意してくれたわけです。
そのレールは1年分しか敷かれていなくて、その後は、自分でレールを開拓し、進ませなければいけません。
それを考えれば、必然的に今何をしなければいけないのかがわかってくると思うのです。
20歳で感じたこれらの経験は、かけがえのない財産となり、まるで昨日のことのように未だ鮮明に思い出されます。
次回はいよいよイタリア初年度です。
21歳の春、不安だらけのイタリア生活が始まりました。