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🇯🇵🇨🇭第6回世界唎酒師コンクールに再挑戦します!

 今年8月から来年2月にかけて、6年ぶりに第6回世界唎酒師コンクールが開催されることになりました。

前回大会は、2018年9月から2019年2月にかけて開催され、私は国内予選を通過し世界大会の準々決勝で敗退しました。

世界唎酒師コンクール賞状

リベンジを果たすべく、トレーニングを積んできましたが、昨年病に倒れ、生死をさまよい後遺症のため今大会への出場はあきらめていました。

詳細についてプロフィール記事に書いています。

その理由は、メンタル・フィジカル両面においてタフさが求められるコンクールに立ち向かうだけの体力はありません。

お酒全般の識別能力・知識・表現力・語学力もピーク時に比べ落ちています。

今の実力では、日本国内予選一次審査の通過も難しいことは十分承知しているからです。

でも、第6回世界唎酒師コンクールへの再挑戦を決めました。

その理由はふたつ。

恩師との約束=世界1という忘れものを取りに行く

前回大会に挑戦する決意をしてから2年に渡り指導してくださった恩師がいました。

その方は全日本最優秀ソムリエコンクールやカリフォルニアワインコンクールの上位入賞者でした。

その後、世界的に有名な日本酒酒蔵メーカーの支配人をされながら、国際的な日本酒・ワイン品評会の審査員をされていました。

その方から日本酒・ワインの知識をはじめ、テイスティングのノウハウを学びました。

さらに、コンクールにおけるモチベーション維持・コンディショニング調整方法や当日のルーティンの細部に至るまで教えていただきました。

そのおかげで国内予選を通過して世界大会でクォーターファイナリストになることができました。

厳しい国内予選を通過出来たのは尊敬する恩師のおかげです

しかし、その方はロンドンで開催される国際的なワイン・日本酒審査会のジャッジをされるために向かう途中のドバイで急逝されました。

今から1年7ヶ月前、最後にその方にお会いした時にいただいたお言葉が忘れられません。

「国際的なコンクールに出場したソムリエや唎酒師は、優勝するまでは『世界1という忘れものを取りに行こう』と思うんですよ。

〇〇さん(私の本名)次回の世界唎酒師コンクールで、その世界1という忘れものを取りに行ってくださいね。これからも応援します。」

優しく微笑みながら背中を押してくださいました。

しかし、それから1年もしないうちにその方と私は相次いで同じ病に襲われたのです。

生き残った身として、いや生きていられるからこそ、その方との約束を果たすため『世界1という忘れものを取りに行こう』とその方の1周忌に決意したためです。

恩師の醸した日本酒はソムリエの世界チャンピオン パオロ・バッソ氏が絶賛しました

🇨🇭スイスワイン愛飲家としてのスキルアップ

このブログを始めてから、パオロ・バッソ氏をはじめ、スイスを中心とした世界的なソムリエの方々と繋がることが出来て様々なことを学んでいます。

そのなかで、もっと自分自身のスキルを高めていかなければという思いに至りました。

そのためには、もう一度アスリートソムリエ時代のように、コンクールに向けてのトレーニングをすることでスキルをブラッシュアップする。

コンクールという「ヒリヒリするような状況」に身を置くこと。

この場所に立つための再び厳しいトレーニングを積む

そのための準備としての厳しいトレーニングを積むことにより若返りとともにリハビリにもなるのではと思ったからです。

ひょっとしたら出場者で一番年上かもしれません。

体力・気力・記憶力のすべてにおいて日本や世界を代表する有能な若き唎酒師・ソムリエたちの前に歯が立たなず無謀な挑戦であることは十分承知しています。

ダグラス・マッカーサー元帥の名言「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」を選択するのが賢明かもしれません。

ただ、結果はどうであれ、
アラ還ソムリエ&国際唎酒師 ソムリエ シャスラは第6回世界唎酒師コンクールに再挑戦します!

(注:コンクール対策にフルコミットしていますので、先々月から当ブログの更新頻度が落ちていることをお詫びします。)

スイスワイン🇨🇭それはワインラバーに残されたファイナルフロンティア

お読みいただきありがとうございました。

アビアント(à bientôt)

この記事の執筆者
🇨🇭ソムリエ シャスラ
スイス プロフェッショナル ソムリエ協会(ASSP)所属ソムリエ/国際唎酒師(英語)/世界唎酒師コンクールクォーターファイナリスト

もうひとつのブログを書いています。


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