INFJの私、なぜ就活に拒否反応が起きるのか分析してみた
こんにちは、Nariです。
私は現在大学4年生で、就活を始めて約1年が経ちました。兎にも角にも、つらい1年間でした。
(現在は、企業から内定がもらえたわけではないのですが、少し別の方向で卒業後の進路が決まりつつあります。そのため、さも就活が終わったかのように書いております、、が、全然終わっておりません。)
就活のなにがつらかったのか。
私にとってつらかったのは、就活を「頑張れない」ことでした。
巷でよく耳にする就活の「つらさ」とは、不採用通知が届くことや、面接官に厳しいことを言われる、などでしょうか。しかし、私の場合は、そのようなつらさではありませんでした。
私は、これまでずっと「頑張る」ということを、自分を正当化する理由に使ってきました。中学受験でも大学受験でも、勉強を「頑張る」ことで、自分が出せる最大限の結果を出してきました。頑張ることで、自分自身を認めることができ、生きやすくなる、ということを無意識のうちに認識していたため、常に「なにか頑張ることはあるかな」と探しながら生きてきました。
そのため、1年前、就活を始めたばかりの私は、「よし、また頑張るか」と燃えていました。
しかし、結局、就活は全く頑張れませんでした。
はじめて、「頑張れない」という経験をして、頑張れないことがこんなにつらいのかと驚きました。頑張れているときの何百倍もつらかった。
では、なぜ頑張れなかったのか。
それは、私が「なんとなく頑張る」ということができない性格だからだったのだと今になって思います。
「みんなが頑張っているから自分も頑張る」や、「大事そうなことだから頑張る」がとことんできなかった。
脳死で動くことはできず、自分の中で意味を見出せてはじめて頑張れるタイプということです。
自分なりの信念がないと、自分の内側に本物の熱がないと、頑張れない。納得してから出ないと動けない、これはよく言うと、論理思考タイプといえるのかもしれません。でも、全然よくなんてなかった。頑張りたいのに頑張れないというのは、とても辛かった。
でもひとつだけ、このような性格タイプのいい点をあげるとすれば、納得できる理由に出会えたときには、そこに爆発的に力を注ぎ、頑張ることができるということです。
中学受験、大学受験のときは、頑張る理由が自分の中に、しっかりと図太く存在していて、自分の中にある目標とそのための手段が、がっちりと強く結びついていました。だから、疑問を抱かず、ただひたすら「頑張る」ことができたのだと思います。
対して、就活を頑張る理由は、ずっと見つかりそうで見つかりませんでした。そして同時に、頑張る理由とがっちり結びつく手段も見つかりませんでした。
就活を頑張る理由って、高い地位や年収が欲しいから?安定した生活が送りたいから?親に喜んで欲しいから?
なんかちょっと違う・・・
基本的には、全ての頑張る理由の最終ゴールは「しあわせになりたいから」に集約されると思うのですが、自分の思うしあわせの形は、就活を頑張る理由になり得ませんでした。
また、就活を頑張ることが、高い地位や年収に絶対繋がるの?手段として確実なの?どれくらい有効なの?という疑念もありました。
この1年間、「就活を頑張れない自分には、周りの子と比べて、なにかとても大事な力が絶望的に欠けているんだな」と思い、ずっと落ち込んでいたのですが、今は「なんとなく頑張る」ができない性格だから、就活を頑張れなかったんだと結論づけられるようになりました。
そして、こう結論づけることで、自分がとるべき戦い方が2つ見えてきました。
方法①「なんとなく頑張る」ことができるようになるための特訓をする
方法②「自分が納得して頑張れること」を見つける
方法①は自分の性格や思考法をまるごと変える必要がでてくるので、かなり実現性が低いですよね・・・そこで、私は方法②を取ることにしました。
つまり、みんなと同じように、大企業になんとなく応募する、をやめる。自分が本当にやりたい、納得できることを探しはじめました。(その結果を書きたいのですが、長くなるのでまた改めて書こうと思います!)
新卒就活というのは、「なんとなく頑張る」ことができる人に向いている仕組みのように思います。
統計をとったことがないので、これは私の勝手な予想に過ぎませんが、「なんとなく頑張れる」という大学生が大半だと思います。だからこそ、新卒就活というものが今まで根強く残ってきたんだと思います。
でも、たまに、「なんとなくでは頑張れない」という人がいる。私のように。
この1年間で、「就活は運だから、落ちたって凹むな」とよく耳にしました。この言葉は私にとって100%理解不能な言葉でした。
なぜなら、私は、落ちても凹まないような企業 ≒ 自分の中に熱がない企業 にはどうしても応募できなかったからです。落ちたら凹むに決まっているような、どうしても働きたい企業にしか応募できなかった。
そしてことごとく全ての企業に落ちました。
私にとって、応募した全ての企業は、「運のせいで落ちたなら仕方ない」と納得できるような企業じゃなかった。
この言葉を耳にする度に、「たとえ運のせいで落ちたとしても、そうじゃなかったとしても、どうしても働きたい企業に応募して落ちたんだから、落ち込むにきまってるだろ!!!」とひっそり怒っていました。
この言葉って、「就活生は手当たり次第に適当な企業に応募している」という前提で生まれた言葉じゃないのか?と疑っていました。
やるなら心血注いでがむしゃらにやりたい。嘘つかないで自分の本当の気持ちだけでやりたい。
私は、この1年間、切実にこのことだけを願い続けていました。
例えば、「良い方向のリスクは少しでも多く取っておいた方がいいから、なんとなくでも大手企業にはなるべく多く応募しておくべき」とか「なんとなくでもいいからwebテスト対策や面接練習はがんばっておくべき」ということが大事だと、頭でしっかりわかっていてもそれができなかった。
すごくわがままかもしれません。なんとなく頑張れる人からしたら、社会を舐めるな、と言われてしまうかもしれません。
でも、決して怠けたいわけではないのです。がむしゃらに頑張る気はあっても、頑張れないということが往々にしてあるのです。
「頑張りたいのに頑張れないのはなぜなのか?」
今までの経験からして、自分は真面目なはずなのに、自分は頑張れるはずなのに、なぜか今回は頑張れない。ならば、そこには必ずなにかしらの理由があるのです。
私は、今、自分が信念を持って頑張れそうなことを見つけかけています。これはただの希望的観測かもしれませんが・・
しかし、そうであったとしても、一般的なリスクにばかり捉われず、自分に合った戦略で戦ってみることにかけるのも面白そうだな、なんて思っています。
少し長くなってしまいましたが、私の一年を通した就活での気づきが、「頑張りたいのに頑張れない」とつらい思いをしている方に、なにか希望的なものを届けられたらいいなと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました💐
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