Nari

2002年生まれ。考えることが趣味です。 花屋勤務。MBTIはINFJ-T。 Xでは、読書記録をしています!よければ!

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マガジン

  • ものすごく深く頷いた投稿

    めちゃくちゃ共感した投稿を自分で見返す用にまとめさせていただいております!

  • 就活関連

    就活で病んでいた時に書いた投稿です。

  • 💐花屋の花束紹介💐

    花束について語った投稿をまとめております....!

  • 就活質問に対する回答&参考にしたい記事

    私の就活(&労働)に関する質問に答えてくださった記事を、自分の振り返り用にまとめさせていただきました。(質問の回答だけでなく、参考にさせていただいた記事も含みます!)すべての記事を大切に読ませていただきます。

最近の記事

友達と会って、なにを話すか迷ってしまう。

昨日、高校時代の友達と会ってきた。 卒業式以来、4年ぶりの再会だったため、まあ見事に胃がキリキリして、会う直前まで「ドタキャンしてくれないかな〜」なんて最低なことを本気で考えていた。 医学部に通う彼女は、研修終わりらしく、品のいいスーツ姿で現れた。綺麗になったなぁ〜などと親戚のおじさんのような感想を持ちつつ、高校時代の彼女に想いを馳せた。 彼女は、筋金入りの本の虫で、中高6年間ずっと図書委員だった。高校の教室の中で、私は彼女から数多の、魅力的な本を教わった。 そんな彼

    • お笑いの世界で働きたい!

      私の夢は、お笑いの世界で裏方として働くことだ。 そして、笑いで救える人すべてを救いたい、というあまりにも身の丈に合わない夢まで持ち合わせている。 新卒でこの夢は叶わなかった。諦める理由は見つかっていない。 新卒切符を捨てて夢を追う、と早々に決めてからというもの、自己分析や志望理由などを様々な角度から考え直した。それをここに書き出しておきたいと思う。 この記事が、いつも読んでくださる方の何の役にたつかわからないけれど、志望理由のブラッシュアップ等の参考になればうれしい。

      • 私の生きづらさは性格の問題の範疇を超えない。

        生きづらさの裏には、いろいろな理由がある。 家庭環境や貧困問題、うつ病、不安障害、ASDなどの先天的な発達障害等々。 私の生きづらさの裏には・・・ なにもない。 裏付けはなにもない。 ネットや本で必死になって探した時もあったし、誰かの不幸にすり寄って理由づけにしようと思いついたこともあったけど、それもなんだか卑しくおもえて、結局やめた。 強迫症の気や、躁鬱の気はあるけれど、どれも名乗るのは憚られる程の軽度だと思う。 なんら生活に支障はきたしていない。朝も起き上が

        • 野垂れ死ぬより安全な道を選んで病む方が怖い。

          私は、毎朝ねぼけまなこで、手持ちのカードを1枚めくる。 大抵は「鬱」のカードが出る。 たまに「楽」のカードが出るときもある。嬉しくて、ついその日起きたことを事細かに日記に書き留めてしまう。 めくり続けて、ある日突然、「死」というジョーカーがでるのではないかと考え、クラッとする時がある。 もしくは、「鬱」のカードが100枚貯まったらジョーカーと交換できるとかいうルールがあったらどうしよう、などとベッドの中でぼんやり考える。 毎日引き続け、徐々に溜まっていく「鬱」のカー

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        記事

          おばあちゃん、ありがとう。

          祖母とコミュニケーションがとれなくなって、どのくらいが経つだろう。 80歳の祖母は、4年間過ごした老人ホームで看取り介護のもとにいる。 なにか身体の病気があるというわけではなく、脳神経系に問題があるようで、数年前から寝たきりで、手や足を動かすことも、話すこともできない。 料理がうまく、食べることが大好きで、いつもおしゃれに気をつかっていた祖母の体から容赦なく肉がなくなっていくのを見るのは、最初のうちは胸が痛かった。 また、祖父が亡くなってから、ひとりの寂しさに負けない

          おばあちゃん、ありがとう。

          就活に苦戦した私が見つけた、新卒切符を捨ててまでやりたいこと

          私には、信念とかは特にない。 けれど、すごく個人的に、ユーモアは私が生き抜くためにいちばん大切なものだという直感がある。 だから、将来は、そのユーモアというものにいちばん近いところで仕事をしたいと思っている。 母のユーモアが、小さなわたしも、今のわたしも救ってくれた。 小学校の徒競走で、毎年ビリを意味する渋〜い紫色のリボンをもらってくる私を、「1番余裕を感じるカラーじゃんか」と笑い飛ばしてくれた。 教習所で、いつまでたっても運転の感覚とやらを掴めず、教官に怒鳴られ、

          就活に苦戦した私が見つけた、新卒切符を捨ててまでやりたいこと

          辛いのはあなただけじゃない、なんて言わないでよ

          いつものように、かたちのない不安に襲われ、絶望したり、クヨクヨしたりしていると、 周りの人に「つらいのおまえだけじゃないよ。俺だってつらいよ。」と言われることが多い。 この言葉には、「甘えだよ」「あなたが弱いだけだよ」という責めの気持ちが見え隠れする。 だからか、いやそんなんわかってるわ。と若干腹が立つ。こういった経験が多すぎるため、いつからかこれを反面教師にし、人から悩みを打ち明けられたときにはそれがどんなに些細なことでも、「大したことじゃないよ」と言わなくなった。 

          辛いのはあなただけじゃない、なんて言わないでよ

          大学にいるのがくるしい!

          あと数ヶ月で大学を卒業できる。やっと。 大学生というモラトリアムが終わることの寂しさより、大学にも馴染めないほどの自意識の強さにもう うんざりしなくていいんだ!という安堵の気持ちが大きい。 自由であればあるほど、選択肢があればあるほど、なにもしてない自分の敗北感が強まる。 入学前は、「やっと世間と隔離されすぎた中高一貫校から解放される!私は自由だ!はっちゃけるぞ!」と意気込んでいたのに。 そんな淡い夢は入学後数ヶ月であっさり萎んだ。 大学にいると、信じられないくらい

          大学にいるのがくるしい!

          ひさしぶりにnoteを書いたら心がざぶざぶ洗濯された!そしてスキの通知に恥ずかしいほど心が躍ってしまって仕方ない、めっちゃうれしい ここ数週間でまた新たな気づきがあったのでゆるやかに文章にしていきたい

          ひさしぶりにnoteを書いたら心がざぶざぶ洗濯された!そしてスキの通知に恥ずかしいほど心が躍ってしまって仕方ない、めっちゃうれしい ここ数週間でまた新たな気づきがあったのでゆるやかに文章にしていきたい

          「辛い時はいつでも連絡してね」は、言った側の免罪符にしかなり得ない。

          これ(タイトル)は言い過ぎだろうか。 もしかしたら、「辛い時はいつでも言ってね」という言葉は、言われた側にとって心の中にしまっておけるちいさなお守りにはなり得るのかもしれない。 ただ、そのお守りの中を覗く時は一生訪れない..... だって「辛い時」とか「何かあった時」に、そう気軽に頼れるタイプの人間じゃないからこそ悩んでるわけであって、しかも言った側にその悩みを徹頭徹尾背負いこむ覚悟があるとも限らない。(実際はないことが多いように思う。) 先日、私はどうしても救いたい

          「辛い時はいつでも連絡してね」は、言った側の免罪符にしかなり得ない。

          信じる力が強い人はかなり尊い。

          父が雑誌のプレゼント企画に応募するためのハガキをせっせと書いているのを見ると、泣きそうになる。 「プレゼントが当たるかもしれない」と父が期待に胸を膨らませたという事実に、超現実的でつまらない思考を持った私は痺れるのだ。 そして、宝くじを買う人にも、私の心の同じ部分が反応する。 幼い頃、大好きな叔母が私に宝くじを分けてくれたことがある。彼女は私に「当選発表の日まで当たったら何をしようかなと考え続けられることが楽しみなんだよ」と教えてくれた。 つまらない大人に成長した今の

          信じる力が強い人はかなり尊い。

          どんな時に本が読みたくなるか。 こころに余裕がある時にしか本を読めない人と、こころに余裕がない時にこそ本を読みたくなる人。 本に求めてるものが違うのかなあ、私は圧倒的後者。本に救いを求めるように残った力をふりしぼって縋り付く。

          どんな時に本が読みたくなるか。 こころに余裕がある時にしか本を読めない人と、こころに余裕がない時にこそ本を読みたくなる人。 本に求めてるものが違うのかなあ、私は圧倒的後者。本に救いを求めるように残った力をふりしぼって縋り付く。

          「 恥の多い生涯を送って来ました 」 に射抜かれる。

          中学生の頃、確か夏休みだったと思う。はじめて太宰治の『人間失格』を手に取った。 蝉が耳を刺す音量で鳴いている祖母の家で、黄色い日差しを避けるように、ソファに寝転んでページを開いた。 そこにあった一行は、私の体のど真ん中を貫き、それは今もずっと腰のあたりで鈍く重く留まっている。 その時の私は「これは途方もなく、繊細で、自覚がある人が書いた小説なんだ」と感じて、それだけで胸がいっぱいになってしまって、読む気が失せ、そのまま目を閉じて昼寝をしてしまった。 その後も、あの日の

          「 恥の多い生涯を送って来ました 」 に射抜かれる。

          前向きな理由より、後ろ向きな理由がエンジンになっている方が、ホンモノ、という感じがする。多分そっちのエンジンのほうが力強いし、長持ちすると思う。

          前向きな理由より、後ろ向きな理由がエンジンになっている方が、ホンモノ、という感じがする。多分そっちのエンジンのほうが力強いし、長持ちすると思う。

          とにかく1年考え続けていたら、「新卒切符を捨てる」という答えが出た話。

          ある日、カチッと何かのスイッチが押されたように、私は大きな決断をすることになった。 新卒切符を捨てるという決断。もう就活をしないという決断。 苦し紛れにした決断というより、「これ以外に選択肢はない」という気持ちだった。 それ以降、スーツを着て大学のゼミに現れた子を見ても、何にも思わなくなった。就活関連のメールが届いても、携帯の画面を割りたい衝動に駆られなくなった。 就活のことでこの1年間、ずっと悩んでいた。深い深い闇の底にいるような気持ちで、社会すべてに裏切られたよう

          とにかく1年考え続けていたら、「新卒切符を捨てる」という答えが出た話。

          なぜ、私は本が好きなのか?

          友達や恋人と会った後、自分の生き抜き力のなさに絶望する。 自分の弱さ、ずるさ、へたれさに嫌気がさし、ものすごくへこむ。途方に暮れる。こんなん勝てっこないよ、生き抜けっこないよ、と思う。よゆうで、どこかに属してお金を稼ぐことができず、病んで野垂れ死ぬ未来が想像できてしまう。 友達や恋人と会った後は、自分のことが本当に嫌いになり気分が落ち込むので、口数が自然と減る。 どうしてこうも自分は弱いのだろうかと思う。 みんなが当たり前に(装いながらも)できることを私は平気だと装う

          なぜ、私は本が好きなのか?