俺は左を向くクセがある / 朝帰りのエッセイ
最近は言葉を手書きしているのでそれをこのデータに起こす。線までの下記の文はここで記している。
12/4 朝7:47
4は嫌いな数字だ。
それなのに大叔父くらいにあたる人は4月4日の4時頃死んだみたいだ。仕事はとても楽しい退屈しない。
3週間ぶりに街に遊びに出た。前あったはずの店はもうないし今日開く予定の店も開いていない。
gezanというバンドが撮った映画の特別上映会に行った。まだ公開は先だから感想も言えない。
作品とは関係はなく詩や死でしか伝えられないことが世の中には沢山ある。それが最たる表現法である。彼のことを尊重することにした。活動は続けるが死んだら終わりだからと終わるなんてこともある。人生は続かせる必要があることもあるし終わらせることもある。ただ目が黒いか白いか空が青いか海が碧いかそれだけの話だ。見つめられる三白眼。
朝まで飲んだときだけ食べれる朝マックというメニューが好きだ。
馬の視野や相当広いらしい
俺はいつも左ばかり向いている
俺は左を向くクセがある
右を向くこの感覚を言葉にしなければならないのに何を言えばいいかわからない
好きという言葉の内訳を説明しようにもまったくできやしない
あなたを好きな理由を100も並べることはできない
ただ好きかだからそばにいたい
左を向くと夕日が沈む
右はただただまぶしい
光っているものはいつも嘘みたいで
形がない光には。
大概のことは夜に起きてクッキリと形を残す
そんな中で光っているものは—。
この一瞬のことも、この10年のことも永遠なんだ
なあそうだろ?
君は死んでしまったけれど、あの一瞬と変わらずフロアの光となり
煙草の煙となり
赤ワインや交わす言葉となり今ここにいる
そんな光に照らされ風に吹かれる
人は死んだら星になるかもしれないぜ
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