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「オードリー・タン 母の手記『成長戦争』」近藤弥生子著 を読んで、心が震えた【後編】
昨日の前編では、
・オードリータンとは
・「苦しみの奴隷」
について、お話しました。
「オードリー・タン 母の手記『成長戦争』」を読んで、心が震えた
学びの主導権を子どもたちに返す
タンさんの母親である李雅卿さんによる原書「成長戰爭」からの引用部分です。
タンさんが幼少期に心に傷を負ったことをきっかけに、李さんはずっと子どもと学校教育の関係を模索していたそうです。そんな中、『オルタナティブ教育』を掲げた学校を設立することになります。そして、「自分自身はどんな学校を創りたいのだろう。」と考えている場面での言葉です。
私が唯一納得できるのは、学びの主導権を子どもたちに返すことなのかもしれない。私が学校を創るのなら、子どもたちが自由に学べる学校にしよう!(中略)長い間抑えつけられ、辱められてきた台湾に、『子どもには自分で学ぶ力がある』と信じられる大人が一体どれだけ残っているだろう?
哲学者・教育学者 苫野一徳さん
「学びの主導権を子どもたちに返す」
この言葉に心が震えました。それと同時に、あることを思い出しました。
それは、哲学者である教育学者である苫野一徳さんが書いた記事にあります。
子ども、教員、保護者たち、それぞれが誰かに委ねるのではなく、子どもたち自身が学びの場(=学校)のつくり手であることが学校のあるべき姿だと思います。それがひいては、自分たちの社会を自分たちで作る、そんな市民を育む教育にもなるわけです。
現状、少なくない学校では、学びのコントローラーを教師や学校が握ってしまっています。(後略)
本来は学びのコントローラーは子どもが握るべき。それが学校である。学びのコントローラーを子どもに返そうと。
上に引用した李さんと全く同じことを言っているのです。「わぁ。これこそが私が学校教育に対して抱いている不安の、唯一の解決方法なんだ。」とものすごく腑に落ちました。
この苫野さんの記事でも触れられているし、他の記事(どこかは忘れてしまいました。)でもおっしゃっていたことがあります。
「保護者は何ができるのか」という問いに対して、
・保護者が対話を持つこと
・学校を創る当事者の一員になること
だと(その他にもあるかもしれません)。
PTA本部役員副会長をやっているという話
私は昨年度と今年度の2年間、小学校のPTA本部副会長をやっています。やることになったきっかけは、ただポイントを稼がないといけなかったからです。誰もやる人がいなくて、じゃんけんをして負けた人がなる、というのは私は嫌だったので、立候補しました。
やり始めて1年半が経ちました。毎月の定例会では校長や教頭と一緒に様々なことについて話し合い、教頭とはメールで何度もやり取りします。子どもたちの登下校を見守ってくださる「スクールガード」のおじいちゃんおばあちゃん(高齢化が進んでいます…感謝しかない)と会議もあります。そうやっていくうちに、「私も学校を創る一員だ」というまさに当事者意識を強く持つようになりました。
日本に本帰国することが決まり、台湾で15年暮らしていた私は、「日本の学校のPTA怖いなー。絶対無理!」としか思っていませんでした。
本当に何でも学びですね。
社会の話題にも頻繁にのぼりますが、PTAのあり方などは色々叩かれているし、内容や制度など変えていかなければならないことばかりです。実際は、変えるのも時間と労力がかかりすぎて、少しずつしか前に進めない状況です。
ですが、私が今しているこの「当事者として学校を創る」という経験は、自分にとってとても貴重だと感じています。
それをもっと大きくしたのが、「社会を創る」ということだと思います。
当事者として投票に行く行為も、それに当たりますね。
最後に、本書中のオードリータンさんの言葉を紹介します。タンさん母親である李さんが設立した学校で、大人たちが教育理念や教育方法について議論している時のことです。
「長い時間聴いていたけど、子どもたちの気持ちになって話している声は聴こえてこなかった。子どもの声はどこですか?」
染