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私にとって【本を読む】とは
「本を読む子どもは頭が良くなる」
「成功している経営者は皆読書好き」
「本を読むと人生が変わる」
誰もが必ず聞いたことがあると思う。
こんなことを聞いても、私は半信半疑だった。
読書で人生が変わったら、苦労しないよ、と。
人って人生の大ピンチの時、今までの自分を変えなきゃって思う。
私にも、人生最大のピンチが訪れた。
そこから私は、
「このままだと、私は闇に取り込まれてしまう。」
「このままじゃいけない。何かしなきゃ。」
「ここで止まってるわけにいかない。とにかく日々を前に進めなきゃ。」
と思った。
そこでふと本棚を見ると、そこには読書好きな兄からもらった本がたくさん並んでた。どれもまだページをめくってすらいなかった。
小説・心理学系・哲学系・教育系
様々な本が並んでた。
そこから私は暇さえあれば、というか、暇を作ってまで本の世界に没頭した。
私にとっての読書とは、【洞穴】のようなもの。
そこに入ると、自分が何者なのかなんて全く関係ない。
奥に進んでいけば進んでいくほど、もう外の光は私を邪魔しない。
そんな存在。
最近読んでいる本がこれ。
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何かの本を読んでいて、その中でこの本が紹介されていた。
さっそくメルカリで買った。
幼い息子が奇病にかかり、あと十余年の命と宣告される―理不尽と思える不幸に見舞われたラビ(ユダヤ教の教師)が絶望の淵で問う。神とは、人生とは、苦悩とは、祈りとは…。自らの悲痛の体験をもとに、旧約聖書を読み直し学びつかんだのは何であったか。人生の不幸を生き抜くための深い叡智と慰めに満ちた書。
この本の問いは、
なぜ、善良の人が不幸にみまわれるのか?
その問いの答えとしてよく言われるのが、
「このことがあなたに起こったのにはちゃんとした理由があるのですよ」
「神さまはあなたになにかを教えようとされているのよ」
突然、わが身に降りかかった不幸。
病や事故や事件。わが子や配偶者の死。
そんな人にとって、伝統的な宗教はあまり役に立たない。
筆者はこの本のことをこう説明している。
神と世界の善を信じ、人びとにもそのことを信じてもらいたいと人生のほとんどを捧げ、それなのに個人的な不幸にみまわれ、神や神のなさることについて教えられてきた全てのことを根本から考え直さなければならなくなった、そのような者によって書かれた、きわめて個人的な書物なのです。
つい先日、「アメリカ同時多発テロ事件」について投稿した。
その中に、
「神はどこにいるのか」「神は我々を救ってくれる存在ではなかったのか」
9月11日事件は火曜日。その週末にもいつも通りにホストファミリーと一緒に教会の集まりに参加した。その集まりで、皆が心の不安をそう話した。
ということを書いた。
この本を読みながら、「まさにそうだ。」と思った。
善人に不幸が起きるのはなぜ?
その起きた不幸には意味がある?
この本を読み終えたら、また投稿したいと思う。
私にとってインターネットは【情報の海】。だから、どこまでもその情報が続いている。
本はまるで【洞穴】。
そこに入れば誰からも邪魔されず、没頭できる。
そして、読書を終えて現実世界に戻るとき、洞穴から出てくるように、
そこには少し光が差している。
目下の悩みは、気になる本がどんどん増えていくこと。
だって、本を読み進めていくと途中で、オススメの本とか紹介されてるじゃないですか。あと、参考文献とか。
早く手に入れて手元に置いておきたいから、すぐに買ってしまう。
それで、全然読むスピードが追いつかない…
皆さんどうしてますか?
一冊読み終えてから、次の本に手を出すとかってやっていますか?
是非アドバイスをお願いします!
染