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200年後の伝統を目指せるか…

きもの製作現場からvol.4

§1 現場の状況から見えること

本来なら、退場を迫られるはずの、ある種のきもの職人がいます。

彼らは、何かが変わることを極端に嫌います。
自分達が今まで行ってきたことを全部肯定したい、という幼稚な考えがあるからでしょう。

今の地位を守りたいために、また、他者に必要とされるほど腕が良いという幻想を信じたいために、アート分野の従事者やセンスの良い若年層などの能力を認めようとしません。

従来通りの同じ顔ぶれで、手を取り合って、上から目線を保ちながら居座り続けようとするのです。

無償となれば、技術の継承なんて、二の次、三の次、…。
何よりも、かによりも、自分の今の状況が、変わらず続くことを優先。

結果として、画一性の高い、偏った集団となってしまうのです。

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そこでは、例えば、センスや腕の良し悪しに関係なく、従事した年数によって評価される仕組みを、皆で共有しようとします。

自ら退場しない限り、長期間従事すればするほど高評価が得られるからです。
年功序列の護送船団方式という、大昔に流行った評価パターンの極みにも見えます。

センスや腕を比較することによって優劣や良し悪しを突きつけられる、そんな相対評価から、皆で一緒になって逃げようとする雰囲気があります。

年月という不変の事実を過大評価することによって、モノ作りの付加価値を求めながら利潤へと還元しようとするものでもあります。

新陳代謝を捨てる行動に価値を置き、既得権益として動かさない。
そして、その恩恵を、皆で足並みをそろえて享受し続けようとする。

まるで反社会的な行動に見えます。

当然、このことによって、健全な経済活動が損なわれます。
そして、市場は歪みます。

§2 不思議なうわさから見えること

とある紬の産地では、生産者の時給は、最低賃金の四分の一ほど。
しかし、小売販売店で消費者が商品を購入する時には、数百万円の高額の品物となっていることがあるらしい。
こんなうわさを耳にしたことがあります。

自由なビジネスの建前として違法ではありませんが、小売や仲買いの形態を持つ流通ビジネスに比べ、製造側の生産ビジネスには、バランスの悪さが存在することが見えます。

このことは、きもの産業の中にある硬直した価値観が、働いているからだと推測します。

今まで行なってきたことは全て正しく、過去を繰り返し続けることこそが、伝統である、という考えのことです。

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改善するためには、100年後、200年後になって初めて伝統になる、そんなモノ作りが大切ではないでしょうか。

でも、生産職工人の間では、そのことについて、タブー視しているようです。

あくまでも、過去の産物や過去の技術、過去の人たちのモノの見方や考え方は、絶対的価値のあるものとして位置付けるからです。

過去を真似ることこそが、価値のある伝統であると、信じて疑わないからです。
未来志向せず、過去が全てだという空気で支配し、自分達が行ってきたことを正当化したいのです。

発展が無ければ、進歩は停止し、時間経過とともに劣化すると分かっているにも関わらず…です。

仮に、その価値に疑問を持つ者がいたとしても、既に狭くなった生産職工人の集まりの中では、そのことについて話題にすることが出来ません。

なぜならば、空気の読めないヤツとして、レッテルを貼られることを恐れるからです。

自分で自分の意見を明確にするよりも、同業の眼を気にしてしまうからです。

結果として、伝統を守る=過去を真似し続ける、そんなメッセージを広め、それを演じる者となるしか、立ち位置が見つかりません。

だから、きもの従事者は、いつまでたっても時代劇の悪徳呉服問屋のように見られ、そして、民度まで疑問視されるのです。

発展性のある未来志向の伝統としてよりも、硬直した、後ろ向きの、そんな伝統に見えてしまうからなのです。

§3 他の産業から見えること

冷静に伝統的な他の産業を見ると、きもの職工人特有の過去志向が、相当奇妙であることに気付きます。

酒造メーカーの生産者の中には、農学系アカデミア出身の後継者がバイオテックを導入したり、若年女性杜氏が伝統技術を継承しながら活躍したりして、新しい文化を生んでいる例があります。

アルコールの身近さと、きものの縁遠さには、乖離があるものとして、比較するには無理があると思われるかも知れません。

しかしながら、きもの職工人らの生産者側が、アルコールが持つ期待や興味の熱量に圧倒されて、きもの文化の新しい発展に対して、無力感を引き起こすことがあるのならば、それは、きもの職工人ら生産者の、ただの身勝手さではないでしょうか。

§4 きもの製作現場から~感想~

別の見方をすれば、文化的、教育的水準がある程度保たれているときには、きものは時間と共に、発展していくと思います。
そして、その発展を重ね続けることで、より新しい、より素晴らしいものへと変化することになるのではないでしょうか。

そのためには、小学校の図工、中学校の美術、高等学校の工芸や美術の芸術科目を見直し、基本や基礎をやり直す機会が大切になるのでは…と思っています。

〈おわり〉 

PROFILE
中井 亮 | Nakai ryou
1966年生まれ。京都在住。
誂呉服模様染め悉皆経営。そめもの屋。
京都市立芸術大学  大学院   美術研究科  中退
友禅染めを中心に、古典柄から洒落着まで、様々なジャンルの後染めキモノ製作に携わる。
また、中高校生へ基礎美術の指導を行っている。


個人作品では、日常で捉えた事物を空想視点から置き換えて再構築し、
「着るキモノから見るキモノへ」を主題に制作する。


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