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学生のとき、キモノについて考えたこと

基礎情報学という座学の授業がありました。
横田学先生の講義でした。
とても面白く、興味深く、全出席した記憶があります。
最後の授業は、アートにまつわる著作権やオマージュ、パロディ、二次創作について、考えるものでした。
勿論、レポート提出しなければなりません。
当時の私は、50歳です。
18歳の学生と同じ講義を受けています。
およそ、30年ぶりに書くレポートです。
グダグダになりました。
錆びついた頭に鞭を打ち、拍車をかけていたことを覚えています。
読み返してみると、変な硬さで一杯ですが、今の自分に繋がっています。

キモノの作り手としての、姿勢をテーマにしたものです。


提出時のレポート内容と同じですが、文字の形や句読点、括弧の形やレイアウト、誤字、言い方などは、修正しています。
番号に対応する参考写真、図、資料、文献を、提出したレポートには添付していましたが、著作権が関わりますので、今回の投稿では割愛させて頂いています。

宜しくお願い致します。


著作物となる二次創作物やオマージュと、模倣となる「きもの」の作品事例

1.はじめに

 身近な工芸品として染織品がある。その中には、衣料である「きもの」がある。染織工芸品としての衣料は、歴史や文化の背景を有し、学術的、美術的価値がある。正倉院裂、名物裂、小袖,能装束、友禅染め、和更紗など様々なものが研究、保存、鑑賞され、その中には、使用されているものもある。

 最近の美術館、博物館への入館者数(①)は、美術に対する関心の高さを示すものであるが、市場にある「きもの」への関心は低い。このことは、一般消費者のライフスタイルの変化に伴う嗜好の移り変わりや、事業者の不透明な経済活動に起因すると考えられている(②)が、それに加え、「きもの」を作る側の美術に対する意識の低さがあることも考えられる。この点に留意しながら、過去の美術品や工芸品と比較し、著作権に関わる判例などと共に事例を挙げ、今後の創作活動への方向付けの一つとしたい。
(今回、物故者の作品などと照らし合わせるが、著作物としての成り立ちに着目するため、著作権の保護期間や、作品の所有権について考慮しない)

2.美術工芸品に関わる著作権法と著作物

 著作権法上の著作物にあたる美術著作物は絵画、版画、彫刻などであるが、美術工芸品も含むとされる(1)。美術著作物は思想、感情を創作したもので鑑賞を目的として実用性がないものであるのに対し、美術工芸品は実用品に美術上の感覚や技法を応用したものである。また、工芸品には意匠法が適用される場合があるために、美術品と同じ様には著作権法に保護されない。純粋な美術著作物は著作権法により保護されるが、美術工芸品については限定的である。

 古来より本歌取りという和歌の作成技法が知られている。有名な古歌を自作に取り入れて、奥行きある効果を生み出すための技である。しかし、一方で、この技法による歌が盗古歌と批判的に評価される場合もある(③)。

 美術品に対し、工芸品は特に実用品としてあり続けるため、生活様式や習慣、また、時代や流行に合った既存の美術などを取り入れて、重層的に美しさを表現する傾向がある。その結果として、二次的な創作物には著作物となる場合と、ならない場合がある(④)。

3.美術工芸作品がオマージュや二次創作物、著作物となる場合

 北野天神縁起(5)《№01》や妙法院三十三間堂内の木彫像には神々の姿があり、風神雷神図屏風を制作した宗達《№02》は影響を受けていたと考えられている(6)。盗用とも受け取れる「かたちの本歌取り」は、金色の天空に躍動する神々を描く作品として、元のオリジナル作品とは異なる画面形式や画題への転用を行っている(7)。これは、作家としての個性が発揮されており、宗達による二次的な創作物と言える。

 また、宗達画の風神雷神図屏風について、これを光琳が写したと言われている。他にも宗達の松島図屏風をもとにした光琳画(14)などがあり、光琳が宗達に私淑していたことで知られる(2)。これらの光琳の作品はオマージュであり、単なる模倣や偽造とは異なる。柴田是真が光琳作品の扇面業平蒔絵硯箱《№03》を精緻に観察、研究、模造したことにも同じようなことが言える(3,4)。

 今村紫紅(3)《№04》、安田靫彦(3)《№02》、前田青邨(3,8)《№05》、中島千波(9)《№06》らが既存の風神雷神を、一次の創作モチーフとして捉えていたとすれば、各々の作品は個性が発揮された二次的な創作物であって、宗達らの模倣ではない。例に挙げたこれらの作品には発展的創造が見受けられ、美術著作物である。

 TRIPP TRAPP事件(知財高裁平成判決27年4月)では、「…応用美術に一律に適用するべきものとして、高い創作性の有無の判断基準を設定することは相当とは言えず、個別具体的に、作成者の個性が発揮されているか否かを検討すべきである。」とし、実用品である椅子は個性が発揮されていて、著作物であると判断している(⑤⑥)。

 つまり、衣料として用途をもつ市場にある「きもの」も、個性が発揮されていれば、著作物とされる場合があるということが示された。

4.美術工芸作品がオマージュや二次創作物、著作物とならない場合

 2006年、和田義彦がアルベルト・スギの作品を盗作したと言われる疑惑がある。結果として、和田義彦は芸術選奨文部科学大臣賞を正式に取り消された。和田義彦は自作をオリジナルと主張するが、文化庁は「盗作とみられてもやむを得ない」としている(⑦)。和田義彦の作品は、アルベルト・スギへの敬意あるオマージュとは言い難い。

 佐賀錦帯事件(京都地裁平成元年6月15日判決)では、「原告の図柄は、それなりの独創性を有しているが、実用性の面を離れてもなお一つの完結した美術鑑賞の対象とは認めがたい」 としている(⑧)。つまり、「きもの」も、図柄だけを取り出した場合に、美術鑑賞となる独創性がなければ、著作物ではないことが示された。

5. 比較と考察

 田畑裕三郎《№07》、西山謙一《№08》、中井淳夫《№09》、粂井道男は《№10》、宗達、青邨、抱一、応挙への敬意を言葉で表している(10)ので、彼らの「きもの」は剽窃とは認められない。しかし、過去の著名画家達の美的表現によってはじめて成り立つ実用的衣類である。屏風などから衣類に変化させた意匠は存在するが、実用性を分離すれば、それらは画家達の表現を借りずに著作物として成立しないし、美術工芸品としても成立しない。また、精緻、大胆な表現の宗達、青邨の風神雷神図《№2》《№05》、抱一の富岳秋色図《№11》、応挙の雪松図《№12》を、意匠の中で主な図柄として構成しているものの、染織加工で精巧に表現され、創意工夫を施されているようには思えない。図柄以外の部分に着目すると、背景色や雰囲気で、さらなる創造を発展的に表現されたものとは判断出来ない。よって、作者の明確な個性を見出し得ない。これらは、オマージュや二次的な創作物と言えず、模倣品と言える。

 さらに、彼らは商人である。加工を職工人らに発注する立場にある染屋業者つまり、染匠(11)であって、制作者ではない(注)。「作 誰々」と標榜しているものの、複数の外注先によって製作される商品に関わる、製作渉外担当の監修者である。つまり、著作人格権を有していない。

袖振草に蝶紋と題される図柄の大島紬(12)《№12》は、光悦謡本(13) 《№14》にある蝶にヒメシバから模倣された「きもの」である。伝統産業品の織物として制作されていても、五代清水六兵衛が雪佳の図案から向付を制作した《№15》ような、新たな趣向ある意識を感じさせる工芸品の同じ類とは思えない(3,14)。

(注) (染屋はそめものを取り扱う商人であって、漬け染め、引き染め職人のような加工技術者や作家ではない。これは、魚屋が一般的に魚を取り扱う商人であって、魚を捕らえる漁師や調理をする加工業者ではないことと、同じようなものである。
また、かれらは作品を自分で仕上げたなどと述べている。これは誤りである。かれらは制作者ではないし製作者でもない。髪を切った。あるいは、家を新しく建てた。などの習慣的言葉使いで、「作 誰々。作った。仕上げた。」という言葉が使用されているに過ぎず、言葉使いに対する意識の低さの現れである。)

6. まとめ

 美術作品にインスピレーションを受け、敬意ある模倣を応用し、新たな作品を創ることは違法ではない。しかし、模倣することを重視して、自らのオリジナリティーを追求(⑨)しなければ、制作者の持つ創作性や独創性、精神的個性を作品から読み取ることは出来ない。仮に作者が高い評価を受けることがあったとしても、それは模倣元の作品による影響の結果である。

 作者の意識が低い模倣作品には、元のオリジナル作品が醸し出す美術表現によって、偽造やコピーめいた疑念を抱かせる。例え精緻な加工技術で高度に作成された作品であっても、オリジナルより関心を惹きつけることは困難であると思われる。創作活動を行う制作者には、美術に対する意識が求められる。

7. おわりに

 ヨーロッパでタペストリーは中世からルネッサンス期にかけて、芸術の主役であった。しかし、ラファエロやルーベンスの様な芸術家らによって描かれた意匠制作を精巧にコピーして織り上げるようになったタペストリーは、芸術の脇役となった。精巧な織工の技術は、美術的には、絵画に従属的であった。現場で働く労働者や職人の感性や創造性は無視されていた。その後、20世紀初期まで利潤追求を優先し、画家のコピーを製造するタペストリーは混迷する。デザインの創造性を軽視し、機械と比較して人間の創造性を軽視したからである(⑩15)。

 これらの歴史は、市場にある「きもの」に類似しているように思える。タペストリーの場合は20世紀中期以降、ジャン・リュルサらの活躍に表されるように、タペストリーを絵画のコピーから独立させ、タペストリーのためのデザインを美術作家自身が担った。そしてその後、繊維による創作・表現という理念が造形を生んだ。

 「きもの」も同じ様に、模倣に過ぎない既存の絵画や下絵から開放されて、実際に制作する作り手、つまり著作人格権を持つ者による、より自由度を促した創作活動に進めば、改めて関心を引くことが出来るようになるのではないだろうか。

以上

〈おしまい〉

PROFILE
中井 亮 | nakai ryou
模様染め呉服悉皆業を営む。1966年生まれ。京都府出身。
幼少の頃より 家業のキモノ製作現場に親しむ。
      
友禅染めを中心に、古典柄から洒落着まで、様々なジャンルの後染めキモノ製作に携わる。
また、染色作品の制作や、中高校生へ基礎美術の指導を行っている。

#基礎情報学
#kimono
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