悲しむ顔を見たくない
ということで
昨日のnote
お仲間から応援メッセージもらい
勇気もらえました
ありがとうござます
無事に卒業宣言できました
そうなんですね
ヨガを伝えるようになって
まだまだ
駆け出しの頃
お仕事をいただいたこのクラス
新しくできるカルチャーセンターで
全部が新しい
そして
参加者さん1名からはじめた
そんな想いから
なかなか卒業できずに11年
ここでまた
勇気を出して手放すことになりました
いつのまにか
ひとつだったクラスも
一時期は5つまで増え
フィーの問題や
方向性の違いから
少しずつ卒業
それでも
まだあと2つのクラスはあるので
完全卒業ではないのにもかかわらず
こんなにも緊張しての
卒業宣言でした
今回こんなに緊張し
不安に押しつぶされそうだったのは
長くご一緒くださった生徒さんの
悲しい顔を見るのが辛かった・・・
悲しませたくなかった
落胆させたくなかった
期待に応えたかった
嫌われたくなかった
そんな想いです
でも
長くご一緒下さるからこそ
みんなを
もっと信頼していい
そして
私自身をもっと信頼しよう
そう想いました
自分の人生を大切に生きていることの決断を
責める人はいない
その想いを
伝えて
その先の判断は
もう私の思いから手放されている
その手放した先をコントロールすることはできない
コントロールできる
コントロールしようとするから辛くなるし
こんがらがる
しかも
悲しむという感情
あって当たり前で
消そうとしなくてもいい
喜怒哀楽
ないほうがおかしい
ですよね
でもね
どうしても
どうしても
悲しい顔みたくない
私の為に悲しませたくない
それって
やっぱり
お母さんを悲しませたくないという
小さいころからの
想いであり
これが想い癖となって
いい大人の私にも
まだまだ
重くのしかかる
もちろん対象は
お母さんだけじゃなくて
この癖は
前方後方
あらゆるく角度の人に対して発動
そりゃあ
お母さんだってにんげだもの
悲しい時もあるし
いつも笑ってばかりで
やさしさしかないのは
もしかしてサイボーグかもしれないよね
もうそこからも卒業していい
その想い癖
ゆっくりでいいから
これも手放そう
顔色伺うよりも
自分の好きなことをして
楽しいことをやって
失敗しても立ち上がって生きていく娘
他人から見て幸せじゃなくても
いいもんね
悲しい顔も
嬉しい顔も
怒っている顔も
楽しい顔も
全部人それぞれの人生に必要な要素だし
彩りとしてさらに輝きをましてくれる
それに
人の悲しむ顔を見たくないからって
我慢して
自分の顔が悲しんでいたら
本末転倒
悲しむ顔をみたくない
まずは自分の悲しむ顔を優先でいこう
そうやって
少しずつ
気づきと精進の日々です
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