セピア色の記憶
小さい頃の自分に思いを馳せていると、時折普通の思い出とは様子の違った思い出に出くわすことがある。
人生をフォトアルバムに例えるなら、その思い出はセピア色の写真のようなもの。
…このニュアンス、果たして伝わるのだろうか。
今日も一つ、思い出した。
保育園の年長さんか小学校低学年の頃。
母の実家にある、大きなアンティーク調のCDデッキの前で、私はクラシック音楽を聴いている。
そのCDデッキは、CDプレーヤーと収納が一体化していて50枚ほどのCDが並んでいる。これらは全てクラシックのCDで、作曲家ごとにまとめたアルバムや、「くるみ割り人形」などバレエ音楽の演目別にまとめられたアルバムが並んでいたのを覚えている。
中でも私がお気に入りだったのは、
グスターヴ・ホルスト 組曲「惑星」
カミーユ・サン=サーンス 「動物の謝肉祭」
ヨハネス・ブラームス 「ハンガリー舞曲集」
組曲「惑星」の中では「木星」、「動物の謝肉祭」では「白鳥」、「ハンガリー舞曲集」では「ハンガリー舞曲第5番」といった感じ。
その曲が流れる番号までスキップボタンを押し、曲を聴き、また曲を聴こうと思って戻るボタンを押して、ちょっと戻し過ぎたりなんかして、またスキップボタンを押す。
クラシック音楽の柔らかな音色に、私は時間を忘れて夢中になる…
実際にあったことだけど、何だか古めかしくて、ぼんやりとしている。
これがまさしく、私が思うセピア色の記憶。
画面が白黒だった時代やセピア色だった時代に生きていたことがない自分だけれど、この記憶がもつ「どこか懐かしく、優しい」とか、「しっかり刻まれているのに、ぼんやりしている」というニュアンスを表現するには、やっぱりセピア色がちょうどいい。
セピア色の記憶、思い出すだけでなんとなく時間がゆっくりと流れているような感じがして、落ち着く。
この記事は、今日G・ホルストの「木星」を聴きながら朝を迎えた私の、穏やかなセピア色の記録。