
#23 観光地でひっそりと生き抜くレトロを探して(日暮里/東京)|写真とひとり散歩
人気の観光地の日暮里。
上野に隣接しており、谷中銀座商店街や夕焼けだんだんが有名で、休日ともなれば多くの人で賑わっている。

夕焼けだんだん
また、駅をまたいで反対側は、日暮里繊維街と呼ばれる問屋街になっている。
布や革、ボタンなどが売られており、手作りや手芸をするなら、ここを知らない人はいないだろう。
ここには、多くの昭和レトロが残っている。
今回は、日暮里を少し散歩してみることにした。
お供は、GR3だ。
南口から繊維街へ
まずは、日暮里駅から繊維街へ。
最近ハマっている着物を探しにいこうという魂胆だ。
歩いていると、遠くにレトロな建物を見つけた。
今回は、反対側にも行くため、帰りにあの辺りを通ってみよう。

日暮里駅前は、今はすでに再開発が終わり、キレイな景観となってしまっているが、その前はレトロな小路があったらしい。
当時の写真は、検索すれば見られるが、今となってはその面影は皆無だ。
もちろん、街を歩けば古い建物は残っている。


しかし、これらもいずれなくなっていくかもしれないと思うと、今のうちに写真に残しておくべき風景なのだと感じざるを得ないのだ。

日暮里繊維街
さて、歩いて5分ほどで日暮里繊維街ついた。
ここに来るのは初めてではないと思っていたのだが、全く見覚えがない。

しかし、新鮮な気持ちで楽しめるということで、良しとする。
そもそも、なぜこの近辺は繊維問屋街となったのだろうか。
大正初期、繊維業者たちは浅草で営業をしていたらしい。
しかし、明治頃には浅草が観光地化してしまい、移転を余儀なくされたことから、以後、日暮里には繊維業者が集まるようになったそうだ。
街並みをざっと見た感じ、改築されているものもあったが、おそらく昔ながらの建物だろうとわかるものも多かった。


見た目はそこまで歴史を感じないが
形状的には昭和ぽい
目当てにしていた着物店は2店舗ほどあったが、正直あまり惹かれるものがなかったためその場を後にした。

今のところ、特に何かを作ったり、手芸をしたりする予定はない。
繊維街を離れて少し路地に入ってみることにした。
すると、歴史を感じる建物がポツンポツンと姿を表した。

取り壊して駐車場にするパターンが多い


甚だ疑問である

駅方面に戻る
駅方面に戻る途中、何やら気になる店を見つけた。
なんとなく、田舎の商店街にありそうな雰囲気である。

どうやら激安の服屋らしい
行きでみつけたレトロなビルもしっかりと写真におさめる。

駅の反対側に向かおうと、高架橋を渡っていると、人だかりができているのを発見した。何があるのかと見てみたが、どうやら新幹線を撮っているようだ。

谷中方面を散歩
駅の反対側に辿り着き、ふと見上げると猫仕様になっている駅名が。
何か猫に由来でもあるのだろうか。

この近辺には寺や墓が多く、コンビニにも仏花が売られている。
後ろから歩いてきたマダムたちもこれが気になったらしく、気が利くわねとか意外に安いわねとか話していた。

ここの仏花は、菊のほかにカーネーションやカスミソウが入っていた。
白いユリなんかも仏壇や墓地でよく見るような気がするが、香りの強いカサブランカなどは実はNGらしい。
さらに、季節の花でも備えてはいけない花がいくつかあるようで、例えば今の時期だとスイセンは適していない。
これは毒があるからということで、スズランやチューリップなんかも同じ扱いだ。
実は、両親の実家が九州で遠かったこともあり、自分は墓参りに行ったことがない。
まだまだ知らないルールがたくさんあるなと思った。

佃煮屋らしい
このままこの通りをまっすぐ行くと、谷中銀座商店街のほうに行けるが、今回はその前に寄りたいところがある。

ひっそりと生き残るレトロ、初音小路
今回絶対に寄りたかった場所、それは初音小路という場所だ。
戦後まもなくから続く飲み屋横丁である。

ひっそりとある
この地域がかつて「初音町」と呼ばれていたことに由来するようだ。
早速入ってみよう。





タイムスリップした気持ちになる




この横丁は、戦後の混乱期に屋台を生業としていたものの、世の中の流れを受けて商売ができなくなった人たちが集まったことから始まったようだ。
通りの先は、行き止まりではなく、別の道に続いていて、その道もまた狭く路地裏感があった。
こういう路地裏探検は、ワクワクする心が止められない。
あまり長居すると迷惑になりそうなので、写真だけ撮らせてもらって早々に立ち去ることにした。
谷中銀座は予想通りの人・人・人
せっかくなので、有名観光地の谷中銀座にも降りてみることに。


しかし外国人の割合が相当多い


ゆっくり見て写真をというのは難しそうだ


谷中銀座商店街は、昭和20年頃に自然発生的に生まれたそうだ。
平成に入った頃から、谷中・根津・千駄木の界隈が「谷根千」と呼ばれ観光地化し、現在の人の多さにつながっている。
谷中銀座のHPによると、平成30年の平日で約1万人、週末では1万4千人が訪れているとの記載から、今はさらに多くなっているのでは?とも思う。
歩いているうちに、このあまりの人の多さに辟易して、早々に道を外れることにした。

横道を歩いてみる
商店街を歩き続けるのは、無理だと判断して、横道に入るとそこもまたいい雰囲気だった。
意外に、商店街よりこういった横道の方が面白い発見がある。

なんだろうと思ったら梅だった

やたら風呂が広くて(本当にちょっとした銭湯ばりに)
イトコたちと走り回った記憶がある

ゆるゆる歩いていると、大通りに出た。

古い建物も残っていていい
ここでも、裏道や横道を観察しながら進む。


昔は商店街の中にある店は大体これだったはずだ




ただし音は鳴らない

バイクがいい味出している


なんだかんだ人通りを避けながら歩いて、興味惹かれるものを探し、気分で歩いていると古そうな住居を見つけた。



西日暮里方面へ
歩いていると、西日暮里の方に近づいていることに気づく。
このまま歩こう。

そういえば、開成高校が西日暮里にあることを初めて知った。
あの街を歩いている学生たちは、全員トップクラスの頭脳を持っていると思うとちょっと見る目が変わる。
週6日制の授業だということだから大変だと感想を持ったところで、そういえば自分も半ゆとりのため、小学校あたりまでは週6日制だったことを思い出した。




ちょっとなんか…臭かったけども(笑)

ふと路地をみたら熟女…なんともいえない気持ちになった
ということで、今回は日暮里周辺を散歩してみた。
昔は、下町がそんなに好きではなかったが、カメラを始めてからすっかりハマってしまった。
これから、台東区や墨田区など、東京の東側にくることも増えそうだ。
📷RICOH GR III HDF