ヨコハマトリエンナーレ 2020 「わからない」を楽しみ、「わかろう」と試みる。
「難解」、一言で表現したヨコハマトリエンナーレの全体への感想である。決してネガティブな評価ではない。配布されていたパンフレットにも「わからない」を楽しもうとあり(企画者の意図)、それぞれの作品に解説パネルが必ずあった。だから観た人が難解だったと言っても、それは企画者の意図から外れたものではないはずだ。
このトリエンナーレのアーティスティック・ディレクターは、ラクス・メディア・コレクティヴというインド出身のアーティスト3人組である。これまでに幾つかの芸術祭やトリエンナーレを見てきたなかでもとりわけ難解と感じた理由は、日本人ディレクターでなく、彼らがインド出身だからというのは理由としてあるかもしれない。
彼らによればこの展覧会のキーワードは独学・発光・友情・ケア・毒だという。それぞれの作品の解説パネルを読んで、作品そのものを眺めて、メインキーワードは何か考えながら、「わかろう」と試みた(見る側である私の意図)。
冒頭の写真は、ニック・ケイヴ 回転する森。入口はいってすぐの作品は、まさに発光、光を外に放っている。しかし、よく見れば銃や弾丸がモチーフ。まるでアメリカの栄光と影を表象しているような作品だ。
以下では「わかろう」と試み、何かをつかまえかけたと感じた作品を取り上げて紹介。
ロバート・アンドリュー つながりの啓示Nagula
オーストラリアのヤウル族のNagulaという言葉が現れつつある。水を噴射し、洗い流すことがケアであり、茶色の絵の具は流れでて乾いた血のよう、そして文字は痕。Nagulaという言葉を行為として表現した作品と理解してみた。
エヴァ・ファブレガス からみあい
腸には善玉菌と悪玉菌があり、腸はこれらの毒と共生している…この作品はこうした解釈を試みなくても、座ったりくぐったりして楽しめる。数々の作品に首をひねってきた人たちにもケアとなる作品かもしれない。
メイク・オア・ブレイク ロバート・ギャロ&コニー・アンテス 橋を気にかける
個人的に一番共鳴できた作品。橋は土地と土地をつなぎ、人の交流を盛んにする。共生、友情の象徴的なものともいえる。横浜に実際かかっている橋をモチーフにしたこの作品に相対した時、かって渡った幾つもの橋を思い出した。毎日渡った故郷の橋から、パリのポンヌフ、プラハのカレル橋、そしてボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルの破壊され再建されたスタリ・モストまでを。この作品を観る人は、塩水を吹きかけ酸化を促す。それは、作品をケアしているのか、はたまた橋を壊しているのか…
以上は、なんとかわかろうと試み、文章化までたどりついた作品だ。これ以外のものは、輪郭がぼんやり現れた程度、要はわからなかった。それを楽しむことができたのか。帰路につきながら、ふとこの問いは、まるで現代アートそのものへの問いのようだと思った。
私は、日本郵船歴史博物館に1時間、横浜美術館に3時間、プロット48に2時間、移動と休憩等で2時間弱でほぼ一日を費やした。解説プレートを7割ぐらい読んだと思う。もし体験コーナーで体験をし、映像作品を始めから終わりまで見てたら時間が足りないだろう。まあ、ひと目見て興味をひいた作品の観賞パネルを読んだりして、楽しめばいいのではないだろうか、ちょっと身構えすぎて観賞に入ってしまった。
最後に、このヨコハマトリエンナーレの題名は「Afterglow 光の破片をつかまえる」、Afterglow、残光、余韻をこの記事で伝えられていれば幸いだ。
ヨコハマトリエンナーレは10月11日まで。
日本各地で開催される芸術祭、ビエンナーレ、トリエンナーレを訪問する旅もいいな。
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