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エイジズムの落とし穴 ―「ITは苦手」という思い込みを、なぜ高齢者自身が受け入れてしまうのか

「私ももう年だから、そういうのは苦手で…」
「昔の人間だから、デジタルは…」

こういった言葉を、周囲の高齢者から聞いたことはありませんか?

実は、これこそが最も危険な形のエイジズム(年齢差別)かもしれないのです。

気づかないうちに刷り込まれる「自分への諦め」

エイジズムには、制度的なものや対人的なものの他に、「自己(内在化された)エイジズム」という形態があります。

これは、社会の偏見や固定観念を自分自身に向けて適用してしまうことを指します。

特に深刻なのは、「高齢者はITが苦手」という偏見を、高齢者自身が「当然のこと」として受け入れてしまっている現状です。

これは単なる謙遜や自己卑下の問題ではありません。

デジタル社会から自ら距離を置いてしまう、深刻な自己排除に繋がっているのです。

なぜ「受け入れてしまう」のか

「年寄りはITに向いていない」という偏見を自分で納得してしまう背景には、以下のような要因があります:

  1. 周囲からの「思いやり」という名の低評価 「無理しなくていいですよ」「年齢を考えたら当然です」といった、一見優しい言葉が、実は可能性を否定する暴力となっています。

  2. メディアや社会による固定観念の強化 「デジタル弱者としての高齢者」という画一的なイメージが、繰り返し発信され続けています。

  3. 失敗経験の過度な一般化 一度の躓きを「年齢のせい」にしてしまい、それが自己否定的な信念として定着してしまいます。

デジタル時代の新しい差別の形

DX(デジタルトランスフォーメーション)が加速する現代社会において、この「自分への諦め」は新たな形の社会的排除を生み出しています。

特に問題なのは、この差別が「自己選択」という形を取っていることです。

「自分から遠ざかっているのだから仕方ない」
「無理に参加する必要はない」

こうした「優しい言葉」で片付けられてしまうことで、問題の本質が見えにくくなっているのです。

内なるエイジズムとの闘い方

この状況を変えていくために、私たち一人一人にできることがあります:

  1. 「年齢だから」という言い訳を疑う 本当に年齢が原因なのか、それとも他の要因があるのか、立ち止まって考えてみましょう。

  2. 成功体験を共有する 世代に関係なく、新しいことに挑戦している人々の事例を積極的に発信していきましょう。

  3. 「できない」を受け入れない 年齢を理由にした諦めの言葉に対して、それを当然とせず、可能性を指摘する勇気を持ちましょう。

さいごに

「年だから仕方ない」という言葉を受け入れてしまうこと。

それは、自分自身の可能性を否定してしまうだけでなく、同世代全体の可能性をも制限してしまう危険性があります。

デジタルデバイドは、技術的な問題である以上に、

私たちの中にある「思い込み」の問題なのかもしれません。

その思い込みに気づき、疑問を投げかけることから、真の変革は始まるのです。

誰かに決めつけられた限界を、自分で納得してしまわない。

それが、エイジズムのない社会への第一歩となるはずです。

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