二〇秒八五 i
リレーの落選から1日、200mの日を迎えた。全国の舞台で200mを走るのは初めてだ。そもそも県大会以上の経験もない。
ド緊張
ウォーミングアップを終えて予選の時間になった。凄く緊張した事を覚えている。足も怖い、距離も不安。レースプランを考える余裕もなく必死に走った。予選は2着だった。前半から一気に行かれた。必死というよりガムシャラだった。まったく敵わなかった。というより走れなかった。後半あんな風にバタバタしたのは初めてだった。21秒36。ベストは更新した。※1着はのちの五輪メダリストだった。
どうしよう
予選から数時間、準決勝を迎える。さすがに予選の走りではヤバイ。痛いをとるか軽くなるをとるか。お願いするしかなかった。あの必殺技を。この日はいつも以上に痛かった。多分、数秒逝った。※ただ、本当に軽くなるから凄い。とっつぁんの両手をバチンと叩き気合を入れた。
「いってきます」
静寂
準決勝のスタートラインにたった時、妙に落ち着いていた。1本走って安心したのだろう。初めての全国決勝に向けスタートをきった。さっきは前半から行きすぎた。(心も体も)今回は冷静にコーナーを走り直線に差しかかる所で全開だ。トップで直線に入った。あとは「がんばらない」一定の腕振りと一定のリズムで乱れない事だけ心がけた。まわりに気配は感じない。そのまま1着でゴールした。
「 20秒85 」
確認した瞬間、何も聞こえなくなった。電光掲示板には両手を広げゴールする自分が映っていた。
後に、とっつぁんが教えてくれた。レースを見ていた時「いった」と確信したらしい。カマキリ(藤島先生・跳躍ブロック)に確認してこいと伝え、カマキリはタイムを確認しに向かった。確認し「21秒85です」と伝えたらしい。すると「21秒の走りじゃなかったぞ」「もう1回みてこい」と伝え、再度確認したカマキリが飛び跳ねながら戻ってきた「にじゅーーびょうはちごぉーでぇす」「ほらな」と。
出ません 無理です。
そういえば、日本ジュニアの数日前からとっつぁんが「20秒でるぞ」「絶対出るぞ」と何度も言っていた。その時は「出ません」「無理です」そう思っていた。結果的に私が間違っていたわけだ。
決勝
決勝は翌日だった。朝起きると全身筋肉痛になっていた。結果は惨敗、7着だった。帰り際インターハイでも入賞してる戦友たちが声をかけてくれた。
「 次は国体でね 」
やっと追いつけた
そんな気持ちになった。
「 国体でね 」
そう言って手を振った。
※20秒85は公式の記録として残っていない。追い風参考だった。
ー 続 ー
おまけー馬刺しー
今大会は熊本で行われた。初日の夜、地元のものを食べた方が良いという事で、馬刺しを食べに連れていってもらった。
とっつぁんは基本、取り分けを好まない。成田のうどんや(香車)にいくと(釜うどん・サラダ※かるく2人前はある・鳥の品川揚げ)これで1人分だ。サラダなんて食べきれないので、みちおは良くうどんのスープに隠していた。
馬刺しも当然、1人1皿だ。すると運ばれてきた馬刺しは5皿だった。とっつぁん・藤島さん・みちお・せいじ・大堀・おれ。ん?すると一言。
「俺は食わねーぞ」
「馬の祟りで競馬とれなくなっちゃうからよー」
そう言い、翌日に向けて競馬新聞を広げていた。