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高校生の大舞台 a
先日、夏の高校野球の中止が決まり高校生にとっての二大スポーツイベント(インターハイ・高校野球)がなくなった。大人となった今は仕方ないと思う反面、自分が高校生だったらどう思うだろうか。そして当時どうだったか。高校時代を振り返りたいと思いました。
はじめての全国大会
高2の夏、私は京都インターハイへ出場した。陸上を始めてから、初めての全国大会。ベスト記録は10秒79。出場選手の中では下から数えた方が早かったと思う。当時はインターハイ(全国大会)に出場した事で満足をしていた。結果は準決勝敗退だった。当然の結果だが当時、準決勝が4着取り(各組4着まで決勝進出)だった事もありスタートラインに立った一瞬「いけるかも?」と思った事を今でも覚えている。400mリレーでも出場した。リレーでも準決勝までは進んだが決勝へ残る事はできなかった。
意識した瞬間
当時、私にはライバルがいた。一方的だったら残念だが、お互いそう思っていたと思っている。そのライバルは成田高校の井上君だ。(井上真一・いのしん)
いのしんも100メートルに出場した。同じく準決勝敗退だったが、400mリレー(板宮ー小山ー鈴木ー井上)※多分。では決勝に残った。順位までは覚えていないが同じ宿舎だった事もあり遅くに帰ってきた成高の選手がかっこよくて大きく見えた。その瞬間、『いのしんに勝ちたい』そう思うようになった。
えっ!?
この大会では、もう1つ思い出に残っている事がある。小島さん(小島茂之・市立船橋)が負けた事だ。県大会で10秒39。私にとってのスーパースターが登場した。そんな小島さんが負けたレースをスタンドから見つめていた。当時、決勝に残った選手達に憧れ、この決勝の舞台で走りたいと思うようになった。
気持ち
2学期が始まった。インターハイを経験して、自分が大きくなったような気がしていた。教室では同級生が少し小さく(幼く)感じた事を覚えている。
学校の楽しみ
部活の時間が待ち遠しい日々を送っていた。授業中もレースのイメージトレーニングばかりしていて、いのしんの存在が大きくなっていくのが分かった。早く勝負がしたかった。練習ではいのしんがいるつもり、インターハイの決勝で走っているつもりで走っていた。
ー 続 ー
缶のポカリスウェット
3年間、高校総体で200mを走る事はなかった。2年の時、予選だけ走り準決勝を棄権した。当時、重度の貧血になった。体に異変を感じ、自ら走れないと直訴した。(貧血の話はまた別にしたい)その時、思いっきりポカリスウェットの缶を投げつけられた。
きっと悔しかったのだと思う。私以上に。
その感情に今は感謝しかない。
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