【顔か性格か】どっち派かと言われてもどっちもでしょ
もう果たして何度聞いただろうか。「顔と性格どっち派~?」
もちろん、どちらかと言えばという前置きを省略して、この質問をしているのだと思うが、実際問題どちらかだけを選ぶという事なんてあるのだろうか。顔を重要視していると豪語しておきながら、世間一般でいう残念な顔の相手を選んでいる人もいる。その人なりの価値観なので、それは問題ないのだが、それならそもそも顔か性格かということを聞く必要性が分からない。所謂世間話の一種としてほこまで深く考える内容ではないと思うが、あえて、この質問について深く考えてみる。
顔か性格か
・極論なのか
・どちらを選ぶのがウケがいいのか
・極論なのか
まず、この質問というのは、所謂極論なのか。人を選ぶ要素としては、顔、性格、だけではなく、声、価値観、職業、オーラなど多岐にわたる。比較というのは一般的には対照的なものを比較対象に選ぶので、顔と性格は反対のものという風な考え方が出来る。
では例えば、顔か年収か。この質問ならどうだろう。この質問もたびたび耳にすることがあるが、これでも成立しそうだ。ただ、通説的な質問ではない。女性の場合出産に伴って仕事をやめるというのが一般的であるため、男女ともに使いやすい質問にならないからかもしれない。
声フェチと呼ばれるタイプの人はそもそも顔より声が大事で、声か性格か。という人もいるだろう。しかし、声というのはぱっと見ではわからない。中身に分類されるのかもしれない。
ここまでで考えると顔は、ぱっと見で誰でも判断できる要素。性格は、ある程度交流を重ねないと知れない部分。外と内という意味での対比になっているので、極論というわけでもなさそうだ。しかし、それでも一方だけが完璧ならもう一方は度外視という訳にはいかないだろう。たいていの人はどちらも大事だと思う。それでもこの質問をされたら、どっちを答えるのがよりウケがいいのだろう。
・どちらを選ぶのがウケがいいのか
顔というと面食いといわれるが、性格というとこんな顔でもいいのかと、ブサイク芸人を例えに出される。納得させる解答が欲しい。
私は性格派と答えるので、そちらでいい解答を考えてみよう。
顔より大事だと納得させるための要素として、顔は劣化する、性格は基本的に変わらない。
もし、事故にあって顔が変わってしまったら、顔派の人はその人を愛せないのか。
見ているだけなら顔が重要だが、関わり合いを持つなら性格が一致している人と会話するほうが、満足度は高くなる。
ここら辺でどうだろうか。別に論破してもされてもお互いに得があるとは思えないので、どちらでもいいのだが、これらの材料があれば、多少は性格派の言い分も理解しれもらえそうな気がする。
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