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名作にくらいつけ! 安部公房「砂の女」(3) ~比喩、不可知なものに輪郭を(参)~
(参は、1200字程度)
次に説明する形の比喩も、割と見慣れたものと言っていいだろう。言葉にするとどこか馴染みのない印象も与えてしまうかもしれないが、実例を目にすればすぐに腑に落ちるはずなので、特に構えることなく、気軽に読み進めて頂きたい。
知覚やその時々の感情など、物質としての実体はないが心の中に確かに感じているという類のものごとがある。暑い寒いの表現や感情の吐露という形をとって使われたりするので、日常的にも触れる機会は多いものと思われる。そういう、感じている、あるいは考えている事柄を、何かに託して喩え、伝えている、という類の比喩だ。
この形の比喩に関して、文学史的に特筆すべきは、和歌の素晴らしき表現の数々だ。送られてきた短歌のラブレターに対して短歌で返事をする、というのは古典などではよく見られるものだが、現代に生きる我々にはもはや離れ業としか思えない。結婚が絡むとこれほどの教養を身につけることができるのだろうか、などと考えが脱線したところで、再び比喩の話題に戻る。
・・・唇がしびれ、瞼の裏側に、ずっしりとしたビロードの幕がたれた。しめつけられるような眩暈に、総毛立った。
四合瓶をしっかり抱えこむと、借り物のように遠くに感じられる脛の上に、やっと重心を支えながら、ゆらめく足取で家にもどった。頭の鉢には、まだしっかりと、眩暈のたががはまっている。
やけになった男が、砂だらけになりながら、タバコを吸う場面である。タバコを吸った瞬間に感じるあの重さ。普段、タバコを吸わない人が、気まぐれで吸ってみた時など、まさにこういう感覚に陥る。こういう一つ一つの感覚が、小説世界を明らかなものにしていく。
・・・さすがに、睡気は感じなかったが、疲労で意識が濡れた紙のようになる。すかしてみると風景が、濁ったまだらや線になって浮かぶのだ。
濡れた紙のような意識とは、いかなるものか。濁ったまだらや線が浮かんで見えるとは、異常なことではないのか。
しかしそれは、あり得るどころか、ごく日常的なことなのだ。その疲れがこんな風に言語化されることは、実に稀であるのだけれど。
優れた比喩を駆使して伝えることが、どれだけの効果を上げるか、どれだけ重要なものであるか、ここまで挙げてきた実例の数々を通して、すでに納得いただけたのではないかと思う。
それだけでももちろん十分なのだが、実は本当に伝えたいことは、もう少し先にある。私自身、次に紹介する比喩の形こそ、安部公房の真骨頂なのではないかと考えているところもあるのだ。
そう、ここまで読んで頂けただけで十分ありがたいことなのだ。しかし、しばしお待ちを。ここまで読んだのだから、最後までしっかり味わって頂きたい。ここで帰ってしまえばそれは、ご老公の紋所を見ずにチャンネルを変えてしまうようなものだ。せっかくここまで読んだのだから、せめて紋所の放つ光沢までは確かめてから帰路につくことをお薦めする。
(つづく)
[今回で、半分を超えました。いよいよ佳境ですので、残り半分、どうぞお楽しみ下さい。また明日もよろしくお願い致します]
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