”Acts of Memory ”ポル・ポト内戦の記憶を記録し再生する物語が始まる。
みなさま、こんにちは。
最近、マガジンの使い方がわかったので私たちAlive活動はそちらに少しづつまとめていきます。
カンボジア歴史文化研修
2024年3月21日、22日の2日間、首都カンボジアプノンペンにあるボパナ音声映像資料センターにて、カンボジア歴史文化の研修とインタビュー技術などを学んできました。その記録を書きますね。
真剣に学ぶ
大きな紙をつなげて、上段に日付を書いていきます。回想法の研修で使った写真を見ながら、カンボジアで何があったかを月日に合わせて並べます。
それによって視覚的に分かりやすくなり、一気に脳へにインプットすることができたんですよ。
「Alive」のメンバーは日本からカンボジアに来てトレーニングを一緒に受けます。私は今まで以上にない表情で真剣に取り組んでいます。実は今、ちょっと忘れかけてる。やばい。
ドュオン先生(中央白シャツ)が過去のカンボジア歴史についてクメール語で詳しく教えてくれます。仲間とディスカッションし合いながらその時代に何が起きたのか書き込みます。
トレーニングを受けていた最中、私が知りたかったのは両親が希望の光を求めてカンボジアからタイ国境に移動し、そこに辿り着くまでの経緯とそこから日本に定住した経緯がどのようなものだったのか、ということです。
カンボジアプノンペンが陥没した1975年以降の歴史は勉強していた記憶がありますがそれ以前が、もう恥ずかしいくらいに知らなくて。
これから勉強して挽回します。そして、自分が学んだ知識を次世代に正しく伝えることが私の使命だと思ってます。
初めての回想法
先ほど、文章の中で回想法が出てきましたが実は私も初めて聞く言葉でした。
SNSでは発信する文章のタグ付けに #回想 と書いていましたが、回想法とはなんぞやとあたらめて調べてみました。
回想法とは、過去に起きた出来事や自分の思い出を思い出すための方法。
例えば、昔の夏休みの思い出を思い出したいときに、回想法を使うことでその思い出をより鮮明に思い出すことができます。
例え話を使って説明すると、回想法はまるでタイムマシンのようなもの。ある日、学校から帰ってきてふと机の引き出しを見ると、そこにタイムマシンが置いてあります。興味津々で乗り込んでみると、「思い出の夏休みへ行く」というボタンがあります。ボタンを押すと、瞬間的に夏休みの風景や友達との思い出が脳内に再生され、当時の気持ちや感覚を思い出すことができるのです。
このように、回想法は過去の思い出をよみがえらせるための手段であり、大切な思い出を鮮やかに思い出すことができます。昔の懐かしい写真や音楽、昔使っていた馴染み深い家庭用品などを見たり、触れたりしながら、昔の経験や思い出を語り合う一種の心理療法とのこと。
1960年代にアメリカの精神科医、ロバート・バトラー氏が提唱し、認知症の方へのアプロ―チとして注目されているそうです。
カンボジア関連の写真を3枚だけ手に取ります。それ以上でも可能。
この写真を見て付随する自身の思い出や両親や親戚、関わる事柄の記憶を脳内に再生させていきます。
この後、仲間の前でその写真が自分にとってどのような思い出、また
その写真を見てどのような感情が湧き起こったのか。
貴重な書籍と映像保存
ボパナ音声映像資料センターのフロアには1970年代、またはそれ以前の貴重な写真が掲示してあり、ボパナセンターディレクターChea Sopheapさんが案内してくれました。
この施設では定期的にイベントが開催されていますので公式サイトをチェックしてみてください。
2階にはカンボジア建築に関する書籍文献や過去の古いフィルム映像をアーカイブで視聴することができます。
あの有名な女優「アンジェリーナジョリー」も映画制作にあたりこの場所に訪れてカンボジア歴史のリサーチをしていたそうです。
プノンペンに行かれる際はぜひお立ち寄りくださいね。
どなたでも入場可能です。
次世代のひかるくんは”Acts of Memory ”プロジェクトで映像制作に携わります。
期待の星です。
[English Below]
日本語訳はnote終わりに書いてあります。
មជ្ឈមណ្ឌលបុប្ផាណាកំពុងសហការជាមួយនឹងមូលនិធិរៃលើការអនុវត្តគម្រោង « រំឭកនៃការចងចាំ » ដែលនឹងអនុវត្តនៅក្នុងប្រទេសជប៉ុនខាងមុខនេះ ក្នុងគោលបំណងចងក្រងបទពិសោធរបស់បុគ្គលដែលបានរស់រានជីវីតពីរបបខ្មែរក្រហមនៅកម្ពុជា និងបានតាំងទីលំនៅថ្មីក្នុងប្រទេសជប៉ុន តាមរយៈការសម្ភាសន៍ពីជំនាន់មួយទៅជំនាន់មួយ។
នេះគឺជាសកម្មភាពបណ្តុះបណ្តាលដល់សិក្ខាកាមកម្ពុជា-ជប៉ុន ស្តីពីប្រវត្តិសាស្ត្រ ប្រវត្តិផ្ទាល់មាត់ និងបច្ចេកទេសសម្ភាសន៍នៅថ្ងៃទី២១ និង២២ ខែមីនា ឆ្នាំ២០២៤ ដែលជាចំនុចចាប់ផ្តើមនៃការអនុវត្តគម្រោង ដើម្បីធានាបាននូវការប្រមូលយកនូវព័ត៌មានពីការចងចាំបានយ៉ាងត្រឹមត្រូវ។ ការអនុវត្តគម្រោងនេះនឹងចងក្រងឯកសារ និងចែករំលែកនូវរឿងរ៉ាវផ្ទាល់ខ្លួនរបស់អ្នកដែលនៅរស់រានមានជីវិតពីរបបខ្មែរក្រហម ដោយលើកទឹកចិត្តឱ្យយុវជនស្វែងយល់ពីអតីតកាល និងលើកទឹកចិត្តឱ្យមនុស្សជំនាន់មុនផ្ទេរនូវរឿងរ៉ាវរបស់ពួកគាត់ទៅកាន់មនុស្សជំនាន់ក្រោយ ព្រមទាំងសិក្សាស្វែងយល់ពីបញ្ហាប្រឈមនានាអំពីការតាំងទីលំនៅថ្មីរបស់អ្នករស់រានមានជីវិតពីរបបខ្មែរក្រហម ក៏ដូចជាការចូលរួមថែរក្សានូវប្រវត្តិផ្ទាល់ខ្លួន និងធ្វើឱ្យការយល់ដឹងកាន់តែស៊ីជម្រៅអំពីជីវីតនៃការភៀសខ្លួន និងភាពតស៊ូ។ គម្រោងនេះនឹងបម្រើជាវេទិកាសម្រាប់ការសន្ទនា ការឆ្លុះបញ្ចាំង ភាពធន់ និងលើកកម្ពស់ការយល់ដឹងអំពីប្រវត្តិសាស្ត្ររួមគ្នា។
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The Bophana Center and Rei Foundation Limited are collaborating on the "𝗔𝗰𝘁𝘀 𝗼𝗳 𝗠𝗲𝗺𝗼𝗿𝘆" project in Japan, aiming to preserve the experiences of individuals who survived the Khmer Rouge in Cambodia and resettled in Japan through intergenerational interviews.
Here are some highlights of the training activities for Cambodian-Japanese trainees on history, oral history, and interview techniques conducted on March 21-22, 2024, marking the beginning of project implementation to ensure accurate information collection. The project seeks to document and share the personal stories of Khmer Rouge survivors, encouraging both young and elder generations to engage with the past and transmit their messages. It aims to preserve personal histories and deepen understanding of the resettlement challenges faced by survivors. This project will serve as a platform for dialogue, reflection, resilience, and promoting awareness of shared history.
ところで、
ボパナ音声映像資料センターとは
Bophana Center :カンボジア国内に残存している映画フィルムや映像、書籍文献などが大切に所蔵され、デジタル化し市民に無償で公開してます。資料を通して自国の歴史を学べる場として価値ある空間です。
リティ・パン監督(1964年生まれ)は、カンボジアのプノンペン出身。
クメール・ルージュ政権による大量虐殺を逃れ、難民キャンプ後、1980年にパリに到着。
クメール・ルージュをテーマにしたドキュメンタリー映画を多く制作し、高い評価を受けています。代表作には『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(2002年)や、『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013年)があります。後者はカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門でグランプリを受賞し、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされました。また、リティ・パン監督は2006年にボパナ視聴覚リソースセンターを共同設立しカンボジアの視聴覚遺産のアーカイブへの保存とその専門家の養成を行っています。
この写真はプノンペンボパナセンターで偶然会いまして、一緒に撮影してもらいました。
▼場所はこちら
▼公式サイト
カンボジアルーツ
多くの人々は知らないかもしれませんが、カンボジアにルーツを持つ人々が難民として日本に多く移住してます。
日本以外の国々でもカナダやニュージーランド、オーストラリア、フランスなどに移住した人々もいます。また、アメリカには難民として渡った人々が約25万人いたそうです。私自身も自分のルーツを調べていくうちに、日本へ渡ったカンボジア難民の受け入れ人数が1217人とのこと。
これは1980年2月から、最終期の101期生の入所の1997年7月までの18年間のデータです。(大和市定住促進センター)
18年間でカンボジア、ラオス、ベトナムの三民族の総計入所者数は2641人であり、その内訳はカンボジアが1217人、ラオスが857人、ベトナムが567人。
他の施設にもカンボジア人がいた可能性がありますので、実際の数はもう少し多いかもしれません。その後、婚姻、家族呼び寄せや技能実習生、留学生などの入国枠が増加し、カンボジア人コミュニティはさらに拡大しました。
ただし、後からやってきた人々はディアスポラの位置付けではないようです。
”Acts of Memory ”
一体どんなプロジェクトなのか。
ポル・ポト政権が終わってから、私たちの親世代は過酷な状況で生き抜いてきました。内戦が終わり、来年で50年になります。
内戦を経験した親世代の多くが定年退職し、高齢化が進んでいます。
私は親世代の子供の1.5世代と呼ばれ、自分自身を指す言葉です。子供の頃、夕食時にはいつも親が内戦の話をしてくれましたが、日本語をうまく話せない両親は全ての情報を正確に伝えることが難しく、また私自身も完全に理解することはできなかった。
カンボジアに関する知識もほとんどなかったのでクメール・ルージュや解放軍、政治の内容になると話についていけなかったんですよね。
今の時代はどこからでも情報を得ることができますね。私自信カンボジアのルーツについて知りたい年齢に差し掛かった時、勉強をしましたが、まだまだ理解が追いついていません。特に政治や歴史のことは苦手ですね。
今回はBophana CenterとRei Foundation LimitedとAliveの3団体が協力して
”Acts of Memory project"に取り掛かります。
以下、上記の英語を翻訳したものを添付します。
移民についての勉強会
私がプノンペンで研修を受けたように選定したインタビュワーはカンボジア歴史文化の研修受講が必須条件となります。
初めの勉強会は6月29日に行われました。
プロジェクトが完了するまでは何度か実施予定です。
instructor: 渡会沙藍さん(Alive)
attend Alive 3people,volunteering interviewing.7people.
パート1)歴史:日本に住むカンボジアにルーツを持つ人々の背景
1-自己紹介と家族の移動経緯
2-カンボジアの代表的な歴史の出来事(座学)
3-実践 年表に写真貼り付ける
4-フィードバック
パート2)インタビュー手法 Interview instructor: 浅井 美絵さん
"Acts of memory project"の研修の一環として以下のお勉強会も開催しました。
Facebookより引用。
講師:清水 睦美(しみず むつみ) このコースでは、専門家による講義を通じて、日本に関連する移民問題についての知識をアライブチーム全員が習得します。
日本女子大学総合文化学部教授の清水睦美氏をお招きし以下を学びました。
「日本におけるオールドカマー、ニューカマー、労働移民」 「外国ルーツの子供たちの来日経緯を語ることの意義」「インタビュー方法と心得」
長年の研究をしてきた清水先生より講義を受け、とても貴重な情報と時間・有意義なトレーニングになりました。
メンバーが講義内容を録画してくれたのでシアヌークビルでリモート講義を受けます。何歳になっても知らない事実が多くありますよね。
第一回目のインタビュー
【Acts of memory project】
第1回:萩原カンナによる上原富男さん(Samreth Syvantho)へのインタビューをボパナセンターディレクターのチア・ソピアップ(Mr. Chea Sopheap)さんも一緒に参加。
2024年5月27日、アライブのメンバーである萩原カンナが、クメール・ルージュ時代を生き延びた上原さんにインタビューを行った。
カンナは上原さんと親しい付き合いはあるが上原さんの過去を聞くのは始めてである。上原さんは20代でクメール共和国時代に軍事技術空軍として勤務し、政治にも詳しくなった。その後ポルポト時代を生きのびカンボジアで結婚したが、反思想家として迫害され、タイの難民キャンプに逃げ込まざるを得なかった。
日本での生活を振り返り、カンボジアで生きるか死ぬかのドン底からと比べ、頑張った分だけ報われるのであれば、言葉も文化も違う日本での生活はそれほど苦にならないと考えている。また、カンボジア人コミュニティの拠点となる寺院の建設に携わり、コミュニティのイベントにも積極的に参加している。
カンボジア国内でのインタビューではほとんど語られることのない、キャンプでの経験や日本での生活について聞くことができ、良かったと思う。
カンボジア難民第一号の三姉妹
「アクツ・オブ・メモリー・プロジェクト」は、Rei財団、Alive、ボパナセンターの協働イニシアティブです。2024年7月8日、Aliveチームは、日本に難民として到着した最初のカンボジア人家族の3姉妹に2回目のインタビューを行いました。
インタビュワー:Aliveメンバー松橋 南里さん
ヘン・サイチェン(1951年生まれ)
ヘン・サイキム(1953年生まれ)
花野百合子(ヘン・サイチュー:1961年生まれ)
ヘン3姉妹はタケオで生まれ、プノンペンで育ちました。彼女たちは幼少期からいつも一緒でした。クメール・ルージュ政権下で、妹、父、夫を栄養失調で失うという悲劇に見舞われました。1980年にカオイダーン(KID)難民キャンプを経て日本に移住しました。
・サイチェンさんは27歳で未亡人となり、幼子3人を含む8人の家族を引っ張っていかなければならなかった。
・サイキムさんは25歳で過酷な労働に耐え、夜盲症になり生きながらえた後、外国にいる妹に家族の安否を知らせる為、先ずは家族代表でカオイダーン難民キャンプを目指した。
・サイチューさんは14歳でポルポト生きのびたの後、大家族の為毎日食料を求めて1日数キロも歩き回りった、初めてうわさに聞いたアンコールワットを見たときの光景を忘れられないと語った。
彼女たちの会話は、クメール・ルージュ政権下での生活経験や日本での新しい生活の中で直面した課題を明らかにしました。彼女たちは、日本政府が彼女たちを受け入れ、新しい国で新しい生活を始めること受入れてくれたことに深い感謝の意を表しました。
壮絶な戦争体験を持つ第一世代の方々が高齢化する中で、彼らが貴重な体験を私たちに語ってくださることに感謝しています。彼らは日本で新しい生活を立て直すために、必死に生き抜いてきましたし今でも深い心の傷を抱え続けている方々も多くいることを忘れないでほしい。
日本生活での苦しみや困難を誰にも相談できずに抱え込む人たちもおり、
何十年経過してもトラウマが消えることはありません。
これらの記憶を記録し、映像として後世に残していきたいと思います。
上記の写真や文章の一部はこちらから引用してます。
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最後まで読んでくれてありがとうございます。
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