そくあん

カンボジア/常夏の国。 難民の子どもであった。日本で30年暮らしたのちシアヌークビルへ生活拠点を移す。 生まれた記憶を記録し、 グローバル目線で感じたことを思うままに、日常の暮らし、海外子育ての発信、クメール料理もそのうちね。 #Stand.fm startしたよ。

そくあん

カンボジア/常夏の国。 難民の子どもであった。日本で30年暮らしたのちシアヌークビルへ生活拠点を移す。 生まれた記憶を記録し、 グローバル目線で感じたことを思うままに、日常の暮らし、海外子育ての発信、クメール料理もそのうちね。 #Stand.fm startしたよ。

マガジン

  • 絶対に大好きになるカンボジア料理

    カンボジア人の両親と、カンボジア人の親戚に囲まれて暮らしている私でも知らないカンボジア料理が多くあります。カンボジア好きの皆さんのnoteをマガジンにしてみました。 一人でもカンボジア料理に興味を持ってくれたらとても嬉しいです。

  • そくあんの人生がはじまる。

    カンボジアルーツへの探究心が強まったのは高校生頃だった記憶がある。 しかし、記憶は曖昧ですぐに忘却していきます。 これは私自身が生きた証明を何か形に残すことができればと綴ってます。 今の時代はデジタルなので流行りに乗ってSNSにまとめてみました。

  • 私のビジネスと町の廃墟建物で思うこと。

    2016年に移住して譲ってもらったアパートリノベーションや飽和し続けるシアヌークビルの建物についてあれこれ思うことをまとめてみました。

  • Alive活動とそくあんの使命について。

    「Alive」の意味は生きる。私たちはカンボジア内戦で壮絶な体験をした両親の元に生まれた。カンボジアルーツを持つ私たちが次世代に何を残し伝えることができるだろうか。 当事者の私たちだからこそ寄り添えること、理解し合えること。自分らしく生きること。 次世代が自国を誇らしく思うにはどうしたらいいかな、自分をもっと開花できるんじゃないかな。そんな想いを綴ってます。

  • あぁ、食べたい!南国の果物を紹介。

    南国の果物はカラフルで見てるだけで元気になります。気候温暖化と年中作物を栽培できる環境の中、旬の果物がいつか、見分けが難しく感じる今日この頃。 あなたの知っている果物はあるのかな。マガジンにまとめてみます。

最近の記事

  • 固定された記事

[#01]難民として狭き門の日本へ、noteに想いをのせて。

みなさま、こんにちは。カンボジアシヌークビル在住のそくあんです。 私たちは同じ地球に暮らすも世界規模でなにが起きているのか知らない。 迫害、紛争、暴力、人権侵害などにより2022年末時点で故郷を追われた人の数は約 1億840万人 。そして、2023年に入ってからもスーダン等で紛争がぼっ発しており、世界全体の強制移動の数は1億1000万人に達しているとのこと。 その昔、私は難民のこどもとして日本にやってきたのです。 日本への難民としての旅立ち、ポル・ポト内戦時代に生き延び

    • 長旅の最後に出会った美女に魅せられた瞬間@ドムアン空港

      こんにちは。カンボジアシアヌークビルに住むそくあんです。 タイ滞在記はこれで終わりますので、よければ最後まで呼んでね。 旅をすることで、私には知らなかった自分が開花していくのをふつふつと感じました。 私は妻であり、母であり、嫁でもありますが、それよりもまずは女性であり、人間であることを再確認することができた。 新たな私が開花する中で、これが私らしい生き方でもあるのかなと。 少し前の話し、他人中心の生き方に固執していた時、苦しさを感じたこともありました。 前回書いたパタヤ

      • パタヤのナイトライフを体験しないと語れないよね。だから行ってみた。

        こんにちは。カンボジアシアヌークビルに住むそくあんです。 今日は旅の記憶が鮮やかなうちに、誰に頼まれたわけでもないのに、書き留めておこうと思います。(笑) 2010年、所持していた再入国許可書をもとに日本国籍への帰化が認められまして、それは、私の人生に大きな転機をもたらしました。日本のパスポートを手にした瞬間、世界が一気に広がった気がしました。「これでどこへでも行ける!」と胸を躍らせましたが、現実はカンボジアと日本しか知らない私。 だからこそ、この新しい自由を活かして一歩

        • 格安LCCって安いのかな?ちょっと、パタヤに寄ってみよう。移動記録。

          こんにちは。カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。 日本への帰国と、カンボジに戻る前にタイのパタヤに立ち寄ってきたので、記録しておこうと思います。 カンボジアから日本へ片道航空券と、帰りには日本からタイへの片道航空券で旅をしてみました。 マレーシアの格安航空会社であるAirAsiaのカンボジア法人、AirAsia・カンボジアは2024年5月2日に国内線の運航を開始することになって、 プノンペンからシェムリアップやシアヌークビルへの2路線を毎日2往復運行とのこと

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        [#01]難民として狭き門の日本へ、noteに想いをのせて。

        • 長旅の最後に出会った美女に魅せられた瞬間@ドムアン空港

        • パタヤのナイトライフを体験しないと語れないよね。だから行ってみた。

        • 格安LCCって安いのかな?ちょっと、パタヤに寄ってみよう。移動記録。

        マガジン

        • 絶対に大好きになるカンボジア料理
          12本
        • そくあんの人生がはじまる。
          20本
        • 私のビジネスと町の廃墟建物で思うこと。
          6本
        • Alive活動とそくあんの使命について。
          9本
        • あぁ、食べたい!南国の果物を紹介。
          0本
        • Airbnb民泊を受け入れてみた感想。
          0本

        記事

          前世であっていたきみと、私の旅記録の続きを書いてみたの。

          こんにちは。カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。 旅先での写真が溜まっていくのでどうにかしないと。 とりあえずnoteに書き残したら消そう。 人生は予想しない不思議なことが起こる。だから面白いんだ。そう感じる今日この頃です。 日本への帰国記録の続きを書こう。 前半はこちら。 ↓↓↓ 5.伊勢原の古民家でお友達のヨガレッスン! 私と、ヨガの先生のえみちゃんは高校の同級生で同じクラスだったけど、話す機会がなく卒業したんだ。 お互いが成人して一時帰国した時に、

          前世であっていたきみと、私の旅記録の続きを書いてみたの。

          海外住まいの私は、「年に3回、日本に行きたいと願った」

          こんにちは、カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。 noteも不定期ながらに書き続けている自分を褒めたいと思う。 海外住まいの私は、「年に3回、日本に行きたいと願った」 タイトルの通り、これについて書こう。 2023年の夏ごろから、日本へ帰国する機会が増えました。義家族には仕事の口実で行くから。と、説明もしやすかった。 2024年には5月と9月にいき、もう十分に日本を満足していますが、 もしも、3回日本へ行ったら義家族や特に父親はどう反応するのか? 子どもや

          海外住まいの私は、「年に3回、日本に行きたいと願った」

          夫とは12歳で出逢って、それからゼロ日婚をしたのだけれども。

          こんにちは。 カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。 前回のお話の続きです。 その日、夫の家族に会い、近所のインデペンデンス浜辺で一緒にクメール料理を食べ、お酒を飲見ながら、ひとときの幸せを満喫しました。それ以来、家族のような密な関係が始まりました。後に教えてもらったのは、私の母と夫の母が親戚であり、家が隣り同士であったことです。 家系のつながりは詳しくは分からないのですが、かなり近い関係のようですね。 夫は9歳で、私は12歳でした。 3歳年齢が離れています

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          夫とは12歳で出逢って、それからゼロ日婚をしたのだけれども。

          銃を突きつけられたが、名前のわからない旅行会社の田村さんに御礼を言いたいのだ。

          カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。 夫との出会いを書きたいと思いますが、後半あたり、というか別の機会になるかもしれないので興味がある方だけお読みください。 書くことに何年も躊躇していたのですが、自分の感情を記録するためにも綴ることにした。 カンボジアがパリ平和条約を結んだ1992年末に私たち家族はカンボジアへ帰省した。 私は、帰郷ともいうのか。 両親にとっては、ポルポト内戦が終息した1979年以来、初めて祖国に足を踏み入れることになりました。 当時の私は

          銃を突きつけられたが、名前のわからない旅行会社の田村さんに御礼を言いたいのだ。

          タイの難民キャンプで生まれたんだよね、私。

          カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。 なんぜか急にnote熱が出てきたので冷めるまでは投稿が続くと思います。 初めましての方はこちらを読んでね。 名前はそくあん。 1981年11月8日生まれで43歳を迎えます。 現在はカンボジアの南部シアヌークビルに住んでいます。家族構成として、 カンボジア人夫と三姉妹の娘がいます。 日本には兄弟と父親が住んでいます。実母は2019年3月に難病のため他界。父親は25歳の差で再婚している。 読み手がわかるように少し整理して

          タイの難民キャンプで生まれたんだよね、私。

          私の人生とやらを、誰かに話す必要はあるのだろうか。

          カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。 執筆が大苦手と言いながらも、何か書きたい。何か記憶したものを残したい一心で書いている。私にとってストレス負荷がかかる作業だけど、書きたい気持ちが勝るし、なんだかんだ楽しいのですよ。 そう、 私が生きてきた証をこのデジタル日記に残しておこう。 子どもたちが自分のルーツを知りたくなったら見つけるかもしれないし。私と親交があった人たちや、私が愛した人たちも見るかもしれない。 そんなことを思いながらnoteを綴っている。 私

          私の人生とやらを、誰かに話す必要はあるのだろうか。

          自分が何者か、分からずにいる43歳。

          カンボジアシアヌークビルに住んでいるそくあんです。 昨晩、早めにベッドに入ったもの、深い眠りにつくまでには時間がかかりそうだったので、Twitterで繋がった女性のnoteを読んでるうちにうとうとしながら眠りについた。 SNS上は匿名で誰でも理想の人物になりすまして書くことができるが、 彼女とは実際にお話をしたこともあるので、 書かれていることが真実なんだと思う。 そして私は彼女のことを何も知らずにいたこと。 吸い込まれるように一気に読んだ。 そしたら私もnoteに自分

          自分が何者か、分からずにいる43歳。

          [#6]SORIYA HOUSEリノベーションの記録(2024年になっても終わらない補修工事)

          もろいトタン屋根概ねの修繕は終わりましたが、毎年降り続く豪雨のせいでトタン屋根に大きな穴が開いてしまったり、古いネジの隙間から水が滴り落ちてしまうなど、困った状況が長く続きました。 トタン屋根の接着部分が剥がれ、そこからたくさんの雨が滴り落ちます。 屋上の修繕は何度も行っているのですが、結局改善されず毎年同じ状況になってしまい、雨季が近づくと私は憂鬱で、憂鬱でたまらないんです。 この日、隣の家の息子さんが車に乗っている私を呼び止めたのです。 メガネをかけていてとても頭がいい

          [#6]SORIYA HOUSEリノベーションの記録(2024年になっても終わらない補修工事)

          [#5]SORIYA HOUSEリノベーションの記録(補修補修補修の日々から抜け出した日)

          補修の日々にうんざりいつになったらアパートの補修が完全に終わるんだろう。なんで、毎日の悩みがこればかりなの。私は他にもやることがあるんだよ。他のことに着手したくても今日はこれを直す。明日はこれ。明後日はこれ。こればかりの毎日にうんざりw 気持ちがネガティブになりがちな日々。 「SORIYA HOUSEリノベーションの記録」を過去の記事にまとめているので読んでみてね。 場所はこちら。 無収入が続く リノベーションが終わってからも、細かい箇所の補修や修理が長く続きました。

          [#5]SORIYA HOUSEリノベーションの記録(補修補修補修の日々から抜け出した日)

          [#4]SORIYA HOUSEリノベーションの記録(侮れないシアヌークビルの雨季よ)

          カンボジア気候と雨量 カンボジアの気候は、熱帯モンスーン気候に属し、1 年は大きく雨季と乾季に分かれています。雨季は5月から11 月にかけて始まり、5月中旬から風向きが変わり、下旬には強い雨が降り始め本格的な雨季が始まリます。 乾季は12 月から4月にかけてですが近年は温暖化変動もあり違っているように感じます。乾季後半の 2 月から雨季の始まる 5 月頃までは酷暑の時期に入り、日中の気温が35°Cを超え体感温度が45℃になる場合もあります。 カンボジアで唯一外

          [#4]SORIYA HOUSEリノベーションの記録(侮れないシアヌークビルの雨季よ)

          [#3]SORIYA HOUSEリノベーションの日々(絶望的だけど前に進むしかない)

          2020年初めより2年間放置した物件に足を踏み入れたのは、2022年2月14日のこと。その理由を記憶を辿り書いていこう。 この頃よりシアヌークビル州の道路復旧・拡張プロジェクト、インフラ整備が始まりました。市街地に繋がる大通りの道路から工事が始まります。 観光客はおらず地元民も外出が困難になり生活に支障をきたします。 終わりの見えない工事と収入が途絶えていく日々。 そして世界を震撼させた「コロナ」がシアヌークビルにもきた。 これらに引き続き、団体観光客がコロナクラスターに

          [#3]SORIYA HOUSEリノベーションの日々(絶望的だけど前に進むしかない)

          ”Acts of Memory ”ポル・ポト内戦の記憶を記録し再生する物語が始まる。

          みなさま、こんにちは。 最近、マガジンの使い方がわかったので私たちAlive活動はそちらに少しづつまとめていきます。 カンボジア歴史文化研修 2024年3月21日、22日の2日間、首都カンボジアプノンペンにあるボパナ音声映像資料センターにて、カンボジア歴史文化の研修とインタビュー技術などを学んできました。その記録を書きますね。 真剣に学ぶ大きな紙をつなげて、上段に日付を書いていきます。回想法の研修で使った写真を見ながら、カンボジアで何があったかを月日に合わせて並べます。

          ”Acts of Memory ”ポル・ポト内戦の記憶を記録し再生する物語が始まる。