![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171130274/rectangle_large_type_2_b6b26529e253ab62159ece78d8056727.png?width=1200)
ゆっくりと沈んでいく
一体私は何をしているのだろう。
朝、目が覚めた瞬間からその疑問が頭の中をぐるぐると回る。何も変わっていないのに、また今日も始まってしまった。日常の繰り返しが、まるで終わりのないトンネルのように感じる。
でも、なんでだろう、どうして私はまだここにいるんだろう。
頭の中はいつも忙しくて、言葉にできない不安でいっぱいだ。毎日が夢のようにぼんやりしていて、何かに追われている気もするし、何もしていない気もする。目の前にあることをこなしていくのが精一杯で、どこに向かっているのかもわからない。ただ、時間だけが流れていく。
朝食も、昼食も、夜ご飯も。何を食べても味がしない。食事を取っている間も、どこかで心がもう食べることを諦めているのを感じる。まるで、胃の中に食べ物を詰め込むことが、ただの儀式に過ぎなくなっているような気がする。
「今日は何をしよう…」
そんなことを考えても、答えが見つからない。やるべきことはわかっている。仕事があるし、返信しなければいけないメールもある。でも、どれも頭の中で浮かんでは消えていくだけで、結局手がつけられない。
どうしてこんなにも、何かを始めることが怖いのだろう。
どうしてこんなにも、何もしたくないのだろう。
夜になると、また同じように「何をしているんだろう」と自問自答する。
過去を振り返ることはできない。何もかもが遠すぎて、手が届かない。明日が来ることに対して、期待なんて感じることはない。ただ、また無駄に過ごしてしまうのではないかという不安だけが心に渦巻いている。
でも、それでも、私はここにいる。
それが不思議だ。私が生きていること自体、意味があるのだろうか。
自分を責めても、無力感に沈んでも、体は動かし続ける。寝て、食べて、仕事をして、また寝る。毎日同じことの繰り返しだけれど、どうして私はそれをやり続けるのだろう。
それでも、死にたくはない。
死にたいとは思わない。
死ぬことは、どこか遠い世界のことだと思っている自分がいる。無意識に、それを避けている。死ぬ勇気が、私にはない。怖くて、心のどこかで生きることを選び続けている。たとえその生き方が、ただひたすら苦しいものでも。
もし死ぬことができるなら、もうこんな気持ちで苦しむこともないのに。
でも、生きている限り、明日もまた私は同じことを繰り返す。昨日と同じように、不安と空虚を感じながら。
ああ、でも、そんなことを考えても無意味だってわかっている。私は明日も、きっと生きているだろう。だって、死ぬことを選ぶのが怖いから、今はただ苦しみながらも生き続けるしかないのだ。きっと、私の中でそれが最善だと思っているから。
明日もまた、無理やり目を覚まし、無理やり手を動かし、無理やり息をする。生きることを強制されているわけではないけれど、死ぬことを避けるために、どうにかして生き続けなければならない気がする。明日もまた、同じことを繰り返すのだろう。
でも、たとえそれがどんなに苦しくても、私はまだ生きている。その事実が、今は少しだけでも力をくれる気がする。明日が来る前に、少しだけでもこの心の重さが軽くなることを願いながら。
「明日も、また…」
それが私の唯一の希望であり、唯一の現実。