「臭いものには蓋」はしないほうが良い
バツイチ子持ち京大卒元メガバンカーで最近プログラミングスクールを卒業し物販ビジネスと就職活動をしている総一郎です。
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▼「臭いものには蓋」はしないほうが良い
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ある友人が「排水溝に蓋が無い物件には住めない」と言っていた。
排水溝は目に入るのすら嫌なので、排水溝を覆う四角い蓋が有って中が見えないようになっている物件じゃないと住みたくないそうだ。
なるべく髪の毛が流れないように気をつけながら髪を洗い、2~3ヶ月に一度、意を決してゴム手袋をはめて目を薄く開いて直視しないようにしながらピカピカになるまで掃除するとのこと。
僕も昔そうだった。
風呂の排水溝の髪の毛というのは不潔だしグロテスクだし、
キッチンの排水溝の食材の残骸たちも気持ちが悪い。
ヌメヌメしていたらもっと最悪。
見たくもないし当然素手では触りたくない。
だから手袋をはめて掃除をしていた。
だが、今では毎日シャワーを浴び終わるたびに、排水溝にはめているゴミ受けの髪の毛を素手で取ってゴミ箱にポイっと捨てているし、
料理を終え、食後に食器を全て洗い終わった後に排水溝にはめているゴミ受けのゴミをティッシュで包んでポイっと捨てている。
排水溝はいつも綺麗だ。
ゴミ受けというのは、以前も記事でご紹介したのだが、ステンレス製の小さなザルのようなもので、ゴミはキャッチしてくれるしヌメらない。
さて、今日の記事で何が言いたいのかというとタイトルの通りで、
「臭いものには蓋」はしないほうが良いのでは?
ということだ。
排水溝という「臭いもの(不潔なもの)」に蓋をしたい気持ちはたしかに分かるが、
臭い(不潔だ)から蓋をしたくなるのであって、
そもそも臭くならないような工夫をしたほうが根本的解決になる。
「臭い(不潔)」→だから→「蓋をする」
のではなく、
「蓋をする」→から→「臭くなる(不潔になる)」
のだ。
蓋をして見て見ぬふりをするからこそ不潔になり、不潔だから蓋をして見て見ぬふりをしたくなる。
「ニワトリたまご*」なのだ。
*ニワトリが先か、たまごが先かの議論のように堂々巡りなこと
「蓋をしない」→から→「不潔なまま放置するわけにはいかず掃除をして清潔に保つ」
「清潔」→だから→「蓋をする必要もない」
というように変えたほうが根本的解決だ。
たしかに毎回毎回、たまった髪の毛をポイっとするのは少し不快だが、何ヶ月も溜めに溜めた排水溝を掃除する嫌悪感に比べたら無いに等しい。
毎回掃除をすると一瞬一瞬は不快でも、「常に清潔だ」という気持ちよさがある。
一方で、2~3ヶ月に一度の掃除は毎日掃除をする必要は無くなるが、その掃除1回はとてつもなく不快だし、掃除をしていない日々も「あぁそろそろ掃除しなきゃ汚いよなぁ…」と心のどこかで不快感を抱え続けることになる。
そう考えると、
「臭いものには蓋」ではなく、
「臭くならないように蓋をしない」ほうが良い。
と僕は思う。
ご共感いただけた方は、これを機に排水溝にゴミ受けを置いてみてはいかがだろうか。
「排水溝すら常に清潔だ」というのは自己肯定感も上がるし良いことづくめだ。
お試しあれ。
PS(追伸)
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