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大切な人の自死とグリーフをめぐる語り合い――wish you were hereの対話を通して|第9回 遺された自分は、幸せになってはいけないのか。セルフスティグマについて。

0歳のときに自死で母親を亡くした筆者が、小学生のときに母を自死で亡くした友人とともに、自死遺族や大切な存在を自死で失った人たちとSNS等で繫がって対話をする活動と、それぞれの率直な思いを話し、受け止め合う音声配信を、約2年間続けてきました。10人のゲストの人たちとの、自死にまつわるテーマでの話しあいや、聞いてくれた方からのメッセージからの気づきと、筆者自身の身近な人の自死の捉え方や心境の変化、グリーフについての学び、大切な人を亡くした人たちへのメッセージを綴ります。
※この連載では、遺族の立場から、自死・自殺についての話をします。それに関連するトラウマ的な体験をしたことがある人や、死にまつわる話が苦手な方などは、読んで辛くなることもあるかもしれませんので、お気をつけください。
※月1回更新

wish you were hereの活動に参加してからこれまで、兄弟姉妹、お子さん、親など、いろいろな立場のご家族を自死で亡くした人たちから連絡をいただいて、話をしてきた。Zoomやチャットでのやりとり、stand.fmにレター(アプリでリスナーが配信者だけが見れる形で送れるおたより機能)を送ってくれた人もいる。そのうち何人かの遺族の方が共通して語っていたのが、「家族を自死で亡くしたことを周りの人になかなか話せなかった」ということだった。「二人がこの活動をしてくれるおかげでいろんな人の思いを聞けてありがたい」と言ってくれた人もいる。

周りの人に話せない理由は様々だ。言ったら相手を困らせてしまうんじゃないかと気をつかって話せないこともあれば、そもそも人に話して良いような話題じゃないという感覚を持っている人もいる。そして、あまり語られないけれど、おそらくもう一つの理由として、自死で家族を亡くした自分のことを話した相手や周囲の人たちはどう思うんだろうかという不安もあるんじゃないだろうか。

スティグマという言葉がある。

もともと、古代ギリシャで身分の低い者や犯罪者を識別するために体につけた印に由来している言葉で、烙印などと訳されることもある。

国立精神・神経医療研究センター(以下、NCNP)によれば、日本語の「差別」や「偏見」などに対応していて、「個人の持つ特徴に対して、周囲から否定的な意味づけをされ、不当な扱いをうけること」をさす言葉だ。

どういう属性や特徴がスティグマになりうるのかは、文化によっても違うだろうし、今の時代に、この言葉を扱うこと自体慎重になる必要がありそうだけれど、あえて語ってみたい。

NCNPによると、個人が経験したり感じたりするスティグマはいくつかに分類されている。実際に経験したわけではなくても、差別的な扱いを受けたり否定的な解釈をされるんじゃないかと思う感覚は、「予期するスティグマ」と呼ばれ、また、なんらかの理由で自分が偏見を受ける存在だという認識は、「セルフスティグマ」と呼ばれる。

自死遺族に当てはめるなら、家族の自死のことを誰かに伝えたら否定的な目を向けられるんじゃないかというおそれは予期するスティグマ、自分が他の人たちとは異なる存在で、偏見や差別の対象になりうると思う感覚は、セルフスティグマにあたるだろう。もちろん人によって感覚はそれぞれだけれど、自死遺族が抱くセルフスティグマは、亡くなった家族を救えなかったという自責の念や、自分が生きているということへの罪悪感などとも絡みあって、自己肯定感の低さに繫がっているかもしれない。

2024年の2月に”wish you were hereの対話”で、よだかさんや、そのパートナーと一緒に、セルフスティグマをテーマに話をした。今振り返ると、なかなか際どいテーマを扱ったものだと思う。
よだかさんは、以前「お母さんが早くに亡くなったから、食事のマナーがなっていない」などと、親族に否定的な言葉をかけられたことがあって、そのことが自身のセルフスティグマに繫がっている気がすると語っていた。

僕の方はというと、育て親である祖母が昔、まだ子どもだった僕や兄に対して、今なら教育虐待にあたるんじゃないかというくらいの超スパルタ教育をしていた。その理由として、「母親を自死で早くに亡くしたことで将来苦労しないように学歴を身につけさせたかった」との思いがあったと晩年の祖母に聞いた。そのことを知ったときに、自分たちの将来を思ってくれていた気持ち自体はありがたく思ったものの、一方で、母の自死のことはやはり偏見の対象になりうるのかと思い、静かに心が沈むような感覚にもなった。

もちろん、ひとことで自死遺族と言っても感じ方は人それぞれで、セルフスティグマは全然感じていないという人もいるだろう。そのうえで、僕自身の経験や、これまでの他の遺族の人たちとの対話を踏まえて、自死遺族の抱えるセルフスティグマには、家族の自死というひとつの出来事だけでなく、様々な要因が複合的に絡み合っている可能性を指摘しておきたい。

たとえば、自死をする人の多くがその前に経験するのが精神疾患だ。まだまだ社会の理解は十分とは言えず、地域や文化によってはそれ自体が偏見の対象になるかもしれない。家族に精神疾患の人がいるということ自体が、すでに家族の側にとってのセルフスティグマになっていたかもしれない。(この指摘で、精神疾患の当事者の自責の念が増すことは決して望んでいない。むしろ社会の理解が進むことが本人の回復にとっても、家族にとっても大事だと思っている。) 

また、自死をしたメンバーが自死に追い込まれるにはそれ相応の理由があって、その理由に、本人だけでなく家族も苦しんでいたというケースも少なくないだろう。そうしたものが合わさって、遺族のセルフスティグマ、自分は他の人たちとは異なる存在だという、漠然とした自己否定的な感覚に繫がっているかもしれない。そうしたときに、なかなか外の人には話しづらい。どこから話せば理解してもらえるのかもよくわからないからだ。

そうして漠然としたセルフスティグマを抱え続けていると、いろいろな場面で、他の人たちの多くが自然に持つような欲求を押さえたり、他者の不当な要求を受け入れてしまったりして、自己犠牲的になったり、自分を大事にできなくなることもある。その感覚が長く続けば、幸せな人生を送ることが難しくなってしまうかもしれない。

じゃあ、どうすればセルフスティグマ、つまり、自分が偏見の対象となるような存在だという感覚や、自己肯定感の低さから、脱することができるだろうか。これについては、wish you were hereの対話を続けるなかで考えたことをもとに、第10回で考えていきたい。

※ここまで書いてきた内容は、僕自身の経験やこれまでの対話を踏まえて考えたことですが、とはいえ僕たちと関わりのある遺族の方にはおそらく一定の傾向があるので、おそらくこの考えにも大きなバイアスが含まれていることを最後に指摘しておきます。

【著者プロフィール】
森本康平
1992年生まれ。0歳のときに母親を自殺で亡くす。京都大学で臨床心理学を専攻後、デンマークに留学し社会福祉を学んだのち、帰国後は奈良県内の社会福祉法人で障害のある人の生活支援に従事。その傍ら、2021年の冬、自死遺族の友人が始めた、大切な人を自死で亡くした人とSNS等で繋がって話をする活動に参加し、自死やグリーフにまつわる話題を扱う番組“wish you were hereの対話”をstand.fmで始める。これまでに家族や親友の自死を経験した人、僧侶の方、精神障害を抱える方の支援者など、約10名のゲストとの対話を配信。一般社団法人リヴオンにて、”大切な人を亡くした若者のつどいば”のスタッフとしても活動。趣味はウクレレと図書館めぐり。
“wish you were hereの対話”
https://lit.link/wishyouwerehere