第7回 ストックホルム×心理学――忘れられない言葉からこころの扉を開く │ 山口貴史
忘れられない言葉
ふとした時に言われた言葉が、その後も忘れられないことがあります。
今から10年ほど前、私は北欧を一人旅しました。と書くと、なんだかオシャレ感がありますが、ろくに英語もしゃべれず、お金もない(当時でさえ500mlのミネラルウォーターの値段が日本の4倍でした)、いわゆる貧乏旅です。
ストックホルムで泊まったおんぼろホテルのフロントスタッフの男性は、超がつくほど不愛想でした(私も人のことを言えませんが……)。
チェックイン時は仏頂面でにこりともせず、「yes」とか「yeah」でごまかす私の英語力に嫌気が指しているようにも見えました。
しかし、翌朝のチェックアウト時、かすかに笑みを浮かべながらこう言ったのです。
「enjoy」
欧米ではよく使われる接客用語なので、誰に対しても言うものなのかもしれません。実際、彼にとってはそうだった可能性は高いでしょう。
けれど、私にとっては、なぜだか長いあいだ心に残るものになりました。
「楽しむか……。人に『楽しんで』って言うのって素敵だな」と思ったのです。
皆さんにも忘れられない言葉はあるでしょうか?
それは誰からの、どんな言葉でしょうか。
言葉がこころに響く瞬間
忘れられない言葉を聞いたとき、その言葉は私たちのこころに残り続けます。
良い言葉だなあとか、なんてひどい言葉なんだ、と、こころに刻まれるのです。
しかし、そこで止まってしまうと、もったいないかもしれません。
どういうことか。
こころに残る言葉に出会ったとき、私たちは自分のこころに触れるチャンスを得ていると思うのです。
ある言葉がこころに残ったのは、その言葉はその人にとって「何らかの」意味があることを示しています。この「何らかの」について深めてみて、その手触りを明らかにすることは、自分自身の心の一部を知るということです。
ただし、一つ注意点があります。
いくらこころに残ったとしても、こころを深く傷つけるような言葉を深めるのは止めましょう。怒りや憎しみが傷跡から噴き出てきて、自分自身を知るよりも、壊してしまう可能性の方が高いからです。
もし、そのような言葉に苦しんでいるのであれば、こころの専門家を頼ってみてもいいかもしれません。
「enjoy」を深めてみる
「enjoy」という言葉を聞いた瞬間、私はこころに小さな波紋が広がるのを感じました。その一言は、まるで凍りついたこころの表面に温かな手を差し伸べられたような感覚でした。
当時、私はこの仕事を極めるべく「修行僧」のような生活を送っていました。夢中になって没頭しているつもりでしたが、こころの片隅にはどこか窮屈さがありました。それを「感じる」ことさえできず、ただひたすらに前に進むことだけを考えていたのです。
ホテルを出て、「enjoy」という言葉を反芻しながらストックホルム郊外の「森の墓地」と呼ばれる世界遺産を散歩していると、森を掃除しているおじさんに声をかけられました。
彼は片言の英語で「俺はこの墓地に30年勤めているんだ。この墓地はな、とんでもなく素晴らしい場所で……」と、まくし立てるように墓地の歴史と素晴らしさを語り始めました。
彼のくしゃくしゃの笑顔は、こころからの喜びと誇りに満ちていました。
その瞬間、私は「enjoy」という言葉の本当の意味を理解した気がしました。墓地を守るという道を極めている彼は、たしかに「楽しんで」いました。それは単なる娯楽ではなく、彼の人生の一部であり、こころからの満足感を感じるものだったのです。
対照的に、私はこころの底から楽しめていない自分がいることを確信し、自分のこころの不自由さを感じるようになりました(しばらく落ち込みもしましたが)。
そして日本に帰国してから義務感で出ていた研修会を全てやめ、数年間遠ざかっていた趣味を再開させました。少しずつこころが蘇ってきた気がしました。
心理学的には、言葉がこころに響くプロセスは大変興味深いものです。
言葉が脳に与える影響についての研究によれば、ポジティブな言葉は脳内でドーパミンの分泌を促進し、幸福感や満足感を引き起こすと言われています(もちろん、その反対も起こります)。また、自己理解や感情の処理においても、言葉が重要な役割を果たします。言葉を通じて自己を見つめ直すことで、こころの奥深くに隠れている感情や思いを解放することができるのです。
この経験を通じて、私は「enjoy」という言葉が自分のこころに響いた理由を深く理解することができました。
それは単なる接客用語ではなく、私自身の心の状態を映し出す「鏡」のようなものだったのです。自分のこころに触れることで、私は新たな視点を得ることができ、自己理解が深まりました。
歌詞でも、本でも
ここでは人から言われた言葉を取り上げましたが、似たようなことは歌を聞いたり、本を読んだりしても起こります。
「あの本のあの場面」だったり、「あの歌の歌い出し」が忘れられない言葉かもしれません。
面白いのは、その言葉を見つけようと本や歌詞を探してみても見つからないことがある、ということです。「あれ、確かにこの本にあったはずなのに」「この歌詞、思ってたのと全然違くない?」と、戸惑った経験がある方もいるのではないでしょうか。
でも、そんなことは気にしなくてもいいのかもしれません。
評論家の小林秀雄はこう書いています。
「すべての書物は伝説である。定かなものは何物も記されてはいない。
俺達が刻々に変っていくにつれて刻々に育って行く生き物だ。」
『Xへの手紙』
つまるところ、書いてある言葉や言われた言葉そのものではなく、自分のこころの中に残っているという事実こそが重要ということです。ホテルマンの彼が言った言葉は、もしかしたら「good trip」だったのかもしれません。
でも、「enjoy」でいいのです。
あなたにとっての忘れられない言葉はどんな言葉でしょう。それは誰かから言われたものでしょうか。あるいは本や歌の中でしょうか。
こころの中の扉を開く
批評家の若松英輔は読書について語るなかで「読むということは言葉を扉にしながら、その奥に触れることだ」と述べています。
それは読書に限らないと思います。私も、若松の言葉のように、この『enjoy』という一言が、その場での意味以上のものを含んでいると感じました。日常のささいな言葉でも、自己理解に繋がる大切な要素となるのです
忘れられない言葉に出会ったとき、私たちは自分のこころを知るための「扉」の前にいるのでしょう。
ときにその扉を開けてみると、忘れかけていた自分、苦しんでいる自分、自分の知らなかった自分に出会うことができるかもしれません。
【引用元】
小林秀雄(1962)『Xへの手紙・私小説論』新潮文庫
若松英輔の「読むと書く」ラジオ「#16 読むとは何か」Voicy