どんな時も、負けないように枯れないように。
20代も終わる頃。
私は激務とパワハラとで、うつと診断されてトータル約10か月、休職していた。
休職前の生活は結構ハードだった。
ある月曜日。
大荷物を引きずり、ヒールにスーツで朝7時の新幹線に乗り、地方の客先へ行く。
月曜から木曜までは、毎晩12時まで客先の資料を整理したり、銀行向けの資料を作ったり、銀行と飲み会したり。
金曜夜、また東京へ戻る。
土日は会社で作業して、月曜日はまた大荷物を…(繰り返し)。
そんな生活が休職で突然、なにもしない生活に。
休むことが"仕事"になった。
それにもちろん納得していたはすだけれど、不安と焦りでいっぱいだった。
常々、遠方での結婚で大好きな仕事を辞めたことを後悔していた母から「結婚出産でも辞めなくていい仕事に」と言われ育ったのもあり、友人たちもそんな感じだった。
だから、自然とバリキャリになるつもりだった。
休職するなんて、まさに青天の霹靂。
仕事にいつ戻れるかわからない。
戻ったとして、同じ仕事ができるのか?
同じ仕事ができずして、会社に居場所はあるの?
それに、結婚の予定もないし相手もいない。
休職前後はちょうど高校や大学の友達の結婚ラッシュで、ますます気持ちは焦る。
すべてのレールから外れた感じがして、心許ない、不安で先の見えない日々だった。
その頃、よく聴いていたのがミスチルの『花 -Mémento-Mori-』。
いやー、私のこと見てるのか?と言いたくなる言葉ばかり(発表はそれより前の1996年(笑))。
当時、母やおじ、友人たちがそれとなくいつも支えてくれた。
病気の症状で無表情になってしまった時も、落ち込んで泣きそうな時も「今は病気なだけ。あんなはそんなもんじゃない。良くなったら必ずいいことある!」と離れないでいてくれた。
仕事もしてない、肩書きを失ってただ休んでいる「自分」が情けなくて、何者かわからなくて。
そんな、なんもない「等身大の自分」を愛せる時が来るのか?
「自分に迷う」ばかりだったから、それでも希望があるよと言われてるようで、よく聴いていた。
歌詞もそうだけど、ベースのメロディよりは控えめだけど曲を引っ張っていく感じにも、前を向こうと思わされた。
使っている楽器が少なくシンプルな曲だから、ベースがよく聞こえるのかも。
「もう最前線に立つ人にはなれないかもしれない。
でも、目立たない縁の下の力持ちもいいんじゃない?」
ベースは、今振り返るとそう自分を納得させてくれた気もする。
今だって、等身大の自分を愛せてるのかわからないし、迷いまくりだし。
でもそんな自分でも、笑って咲く花になろうと思っていればそれでいいのかも。
今聴いても、そう思わせてくれる。
やっぱりいい歌詞だなぁ。
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