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起業して3年目に起きた、会社と僕にとって最大の“ハードシングス”について全部書いてみる
こんにちは。マイノリティという会社で代表をやっている柳澤大介(@socialselling84)といいます。
当社はBtoB企業のグロースを、特にマーケティングと営業において支援しています。
さまざまなクライアント企業の新規事業をPMFに導くために、“売れる仕組み”を提供することを強みとしているわけですが、実はちょうど1年ほど前、うちの会社はとても大変な状況にありました。
今回は、僕が起業して以来はじめてと言っていい、いわゆる経営のハードシングスを感じた出来事について振り返ってみたいと思います。
3期目までは順調だった
1年くらい前というのは、細かくいうと2023年秋から2024年春にかけてのことでした。
当時は会社を設立して3年目で、12月決算に向けて1月から9月まではとても順調でした。過去最高売上と過去最高利益を毎月更新していたような状態です。
起業してからピンチらしいピンチはほぼありません。契約してもらっているお客さんは常に途切れることはなく、提供するサービスにも満足してもらっていたと思います。
ただ、うちの会社はSaaSなどのプロダクトとは違って、お客さんのビジネスを一定の成功まで導くための支援・コンサルティング業です。お客さんが成功して、自走できるようにするところがゴール。
なので、お客さんとの関係がずっと続いてしまうと、それはそれで問題があるんですね。卒業が必ずやってくるのです。
たまに長く続くケースもありますが、それは自社のリソースがない会社に業務の深いところまで関わっていたりする場合に限ります。主な支援先はSaaSのスタートアップなので、資金調達もがっつりして、シリーズBぐらいになると10人、20人という単位で急激に人員が増えてきます。
そろそろお客さんが契約更新せずに卒業かな?というタイミングはこちらもなんとなくわかるものです。だいたい1、2ヶ月前には状況を把握できますし、ゴールを達成して卒業されること自体は嬉しいものです。
プロジェクトに参加して1年〜1年半たつ間にお客さんに営業・マーケティングノウハウをインストールして終了というケースが多いので、一定の新陳代謝はあるという前提でした。
そういうサイクルでビジネスを続けてきても、幸いにして新規のお客さんが途切れないので特に困ったことはありません。
3期目までは、問い合わせが来たり、他のお客さんからご紹介いただいたりと、なんだかんだと案件が切れることはなかったんです。
ところが2023年の秋、想定外のことが起きました。
取引先が一気に3分の1に
9月というのは上期・下期の締めのケースが多いタイミングです。3年間のクライアントワークを振り返ってみると、9月末で卒業される会社はそこそこ多かった印象です。
今回も多少はあるだろうなと楽観視してたのですが、これまではたまたまうまくいっていただけでした。
10月に入ると、なんと取引先が一気に3分の1に減ってしまいました。同じタイミングで新規の問い合わせは来たものの、3分の1まで激減した分をリカバリーできるほどではありませんでした。それに取引上の問題で、一部はこちらからお断りせざるを得ないケースもありました。
突然、会社の仕事量が3分の1になったので、「これはまずいぞ…」と。そこでようやく実感するという状態でした。じつは8月ぐらいから想定はしていたものの、いつも通り何とかなると思って、現実になるまでは本気で対処しようとは考えていなかったのです。
10月に入った時点で見込み客にDMを送ろうか、テレアポをしようかといろいろ検討して仕込んではみたのですが、あまり大々的な動きにはできませんでした。
なぜかというと、うちの会社のビジネスの根幹に関わる理由からです。
弊社マイノリティは「他社とは違う鮮やかなやり方で」売り上げをあげる仕組みをつくったり、その手段を考えだすというコンサル業務なので、自社の集客はテレアポのようなある意味、当たり前の方法で集客することができない、というか、やりづらいんです。
その手の方法でお客さんの前に現れても、説得力がないわけです。結果的に積極的なアウトバウンド営業をしづらい。ピンチのときに一気に営業をかけられないのは大きな弱点でした。
結果、小規模にDMを送付した結果、それなりの反響はあったんですが、3分の1になった仕事をリカバリーできるほどのものではなかったのです。
もちろん自分なりの方法で集客のタネはまいていました。このnoteで営業に関するナレッジを書き続けたり、Xでの情報発信を強化したりとあとでレバレッジが効くような仕込みはしていたつもりです。
ただ、いま振り返ると、やっぱりその年の1月から9月までは既存のクライアントワークが順調かつ忙しすぎたので、なかなか思うような情報発信ができていませんでした。
「何もやってないわけじゃないけれど、十分ではなかった」という状態だったんです。
目先の仕事に振り回されて、忙殺されて、中長期での仕込みがおざなりになっていた。いざピンチになると、「ああ、あの時あれをやっておけば」みたいに思えるものです。
自分の業務のキャパシティーが100あるとして、その100すべてを目先の仕事で埋めてはいけないんだと、ようやく実感しました。
そんなときに悪いことは重なるものです。10月中旬ぐらいに、かつての部下が急死したという連絡が来ました。
これまでの人生で一番慕ってくれた部下
死因はわかりません。その元部下の彼とは長い付き合いでした。僕が以前勤めていた会社で上司部下の関係にあり、その後、僕が転職した先の会社にもリファラルで引き抜くほど、優秀な人物でした。
僕が独立したあとも副業で手伝ってもらっていて、亡くなる3ヶ月前まで仕事をお願いしていました。
いままでの20年弱の社会人生活の中で、たぶん一番僕のことを慕ってくれてた人でした。
折り悪く10月上旬、自分の会社が大ピンチで必死に動いていたところに、その部下が急死したという話が飛び込んできました。しかし僕も又聞きのような感じで詳しいことはわからないわけです。
家族の方との付き合いがあるわけではなかったので、連絡を取る手段もありません。前職のメンバーたちから入る断片的な情報しかないため、いったい何があったのかと考えるばかりで落ち着かない日々。
亡くなる3ヶ月ぐらい前、「ちょっと本業が忙しくなるので、しばらくは本業に専念させてください」という前向きな会話をしたのが最後です。僕より若い30代なのに。とにかくショックでした。
1ヶ月くらい悶々とした結果、「これ以上ただ落ち込んでいてもしょうがない」と思えるところまで、自分も会社もボロボロになりつつありました。そこまできてようやく現実を受け止められたのだと思います。
会社の経営がピンチな状況は変わりません。精神的にも不安定になっていました。3分の1にまで減ってしまったクライアントワークを進めるだけで精一杯です。
先が見えない状況でさらに自己効力感がなくなっていく出来事がありました。
心の不調と、弟からのSOS
「会社が倒産するかもしれない…」。動悸は止まらないし、気持ちも落ち着かない日々。10月からの1ヶ月間くらい、どうしていたかというと、毎日1時間くらい近所を散歩するようになりました。少しでも気持ちを落ち着かせるために。
たとえば小学校や保育園の前を通りかかるととても賑やかなんです。子どもたちの声が聞こえて、その様子を遠くから眺めていると妙に落ち着く自分がいました。
いままでこんなことなかったんですが、なんだか無性に人恋しい。誰かの楽しそうな声を聞きたい。そんなふうに思いながら歩きまわっていました。おそらくメンタルが普通じゃなかったのだと思います。
さらにそれに輪をかけて辛いことが起きました。
僕には弟がいます。彼は地元で就職してずっと同じ会社に勤めてきましたが、そこでいろいろあったようで。実は9月に弟から「転職を考えているんだけど」と連絡がありました。
弟は40歳になる手前まで1つの会社で働いてきたので、初めての転職です。しかも地方だと転職先の選択肢も少なく、どうしたらいいのかわからないようでした。
相談を受けた時はまだ9月で、業績も好調。「10月からはちょっと頑張らないと」とは思っていましたが、こんな最悪な状況になるとは考えてもいませんでした。またいつもの感じで何とかなるだろうと思っていたんです。
「どこも行くところなかったら、うちの会社に入ればいいよ」
そんなことを気軽な感じで伝えていました。
ところがいよいよ10月に入ってみたら、もう過去最大のピンチなわけです。大変な赤字が出てしまい、あたらしく人を雇うどころじゃないんです。
そして10月下旬ぐらい。元部下が亡くなって精神的にもまいってる時に、弟から「いろいろ考えたのだけど、そちらの会社でお世話になりたい」と連絡が来たわけです。
僕としてはさあ困ったぞ…という状態です。
まず会社の業績が過去最悪に悪くなっています。このまま行くと確実に倒産するという状態に加えて、かつての部下が急死したという知らせも入ってきて、自分のことでいっぱいいっぱい。弟の状況も痛いほどわかるけど、仮に弟を招き入れたら共倒れになる可能性があります。
それで本当に辛かったですが、「いまは難しい」という話をしたんです。
正直に状況を打ち明けて、いま会社も自分もこういう状態だから、いつになるかわからないけど、もう少し待ってくれないかと話しました。
その時に感じた無力感は、とても大きなものでした。
一番身近な存在。ずっと一緒に育ってきた、血がつながってる弟さえも救えない。そんな自分の無力さを痛感しました。弟がすごく困ってて、悩んで頼ってきたのに何もできなかったんです。
弟に何かをお願いされるなんて、いままでなかったのに、そんなタイミングで役に立てない。もはやそんな自分のことを、情けないとすら思えないぐらいのメンタルでした。
当たり前の日常が貴重に感じる
3つの困難が1ヶ月でやってきました。
突然の経営難、元部下の急死、弟を助けられないこと。一気にガツンときて、もう八方塞がりです。
それでも倒産は絶対にまずいので、最悪なシナリオとしては会社を畳んで、もう一回会社員に戻る道をさぐる選択肢しかありません。
でも僕が会社員に戻るのはいいけれど、「僕の息子の夢はどうなってしまうんだ」というもう1つの問題が出てきました。
僕の息子はサッカー選手を目指していて、毎日夕方に埼玉まで練習に出かけています。往復2時間の送迎は僕がやっていました。18時には必ず仕事を終えて、息子を送り届けていたんです。
僕がそれをできなくなると、息子の夢まで道連れになってしまいます。
正直、9月までの忙しかった時は、息子の送迎も煩わしいというか、忙しい中で毎日、往復2時間を運転に取られるのはけっこう大変だなと思うときもありました。
ただそれもできなくなるのでは…と思うと、急にあの時間は自分にとってとても尊いものだったと感じられてきます。息子と2人になれるあの移動の時間にもっとたくさん会話すればよかったと思いました。
ぶっちゃけ運転して毎日送迎するのはめんどくさいです。でも、それができなくなるとしたら、いままで当たり前に感じていた日常が無性にありがたく感じます。
「自分が会社をつぶしたら、息子の夢まで台無しにしてしまう」。それだけは避けたいという思いだけで、10月が終わりました。
ようやく11月から、再起に向けて本格的に動き出しました。
経営を立て直す具体策へ
10月の時点で月に数百万円の赤字が出ていて、このまま何もしないとすぐに倒産します。
落ち込んだり、問い合わせを待っていたりするだけでは状況は変わりません。
まずは何人かの先輩経営者に相談しました。立て続けに起きたいろんな出来事を話して、自分はどうすべきかを聞きました。
それぐらいの話ができる間柄の人は限られてきます。すべてをありのままに話せたわけじゃないんですが、それでも4〜5人ぐらいの方に相談したのかな。
そのときにいただいたアドバイスはとても有益で、いまも意識しているものが多いです。
たとえばそのうちの1人が安田佳生さん。元ワイキューブの創業者の方です。安田さんも法人にコンサルティングを提供していて、基本的なビジネスモデルはうちと一緒でした。
安田さんに相談すると、まずはビジネスモデル上、一定の期間を経たらお客さんに卒業してもらうのが前提なので、経営を安定させるためには工夫が必要だと言われました。
そのなかでも特に興味深かったのは、あの安田さんでさえも平日の午前中はすべての時間を新規開拓のための活動に割いているということでした。
月曜日から金曜日の午前中、安田さん自身が積極的に営業してるわけではないですが、ブログを書いたり、ポッドキャストを収録したり、Xに投稿したり、自分のメディアをつかったマーケティング活動を徹底してると聞いたんです。
常に自分の分身であるメディアで集客するための活動を、毎日の午前中をつかってやっている。僕はといえば、そういった活動はほぼしていなかったんです。少なくともそこまで徹底できていませんでした。
クライアントワークをパンパンに入れて、仕事の予定が埋まっていることに満足していました。
たまに既存のお客さんからご紹介をいただいたり、問い合わせが来たりするので、それに対応するだけでなんとかなっちゃっていたので、新規開拓にリソースを張っていなかったわけです。
安田さんのやっていることは会社の経営を安定させるために大切な投資だと思ったので、僕も同じように基本は平日午前の時間をしっかりと新規開拓のための活動にあてるようにしました。いまでもそうしてます。
もう1人相談したのが、渡辺さんという以前勤めていた会社の先輩です。その方も経営者で、僕よりも数年前に起業していました。
渡辺さんに起業した当時、最初のお客さんを獲得するために何をしていたか聞くと、「毎朝8時に机の前に座ってテレアポしてたよ」って言われたんです。
それに対して僕がどうだったかというと、朝9時とか9時半ぐらいに起きて、10時から仕事を開始していたんですよね。渡辺さんの話を聞いた時、僕は完全に甘かったなと痛感しました。原理原則ができていない。
お客さんが稼働していて、お客さんと接触できる時間に、自分もちゃんと活動する必要がある。当たり前のことなのに、それができていなかったんです。
それを聞いた翌日から、毎朝8時から業務開始できる体制に変えました。まずは単純に労働時間を増やしました。
次はサービスの作り直し、商品設計についても考えなければいけません。
しかし会社のキャッシュは毎月目減りしていき、残された時間はあとわずか。そんなときに妻からこう言われました。
「あと1年やってダメだったらやめてほしい」
この話はもう少し続きます。
次回は経営難にどうやって対処したのか、短期的な施策と長期的な戦略について書いていきます。