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効率化がもたらした豊かさとは。。。そして、その先に。
ここ数年、効率化と言う言葉を聞く機会が増えたと感じる。
それは、どんな事を意味しているのだろうか。
そして、何故その様な事へ変化したのだろう。
そんな事を今回と次回の2回に渡り掘り下げてみたい。
昨今、ポスト資本主義や民主主義といったキーワードも聞かれる様になったがテーマが大きすぎ、どこから手をつけて良いのか?戸惑っていた所もあった。
そこで、今回のテーマを足がかりに、その辺りを紐解く鍵を今後も探っていきたいと思う。
■背景
昭和で培われた文化は、高度成長期と言う追い風に乗っていた。
具体的な結果を求める事が必要ない程に、需要の波は次々と押し寄せ、その疑問をそれを打ち消していた。
そんな中、上り詰めたその波は、頂点を境に急降下を辿り、実感として見えにくい中で気がつけば不景気となり、いつからか効率化と言う価値が我々の生活を新たな畝りとなり、飲み込むまでとなった。
では、その価値は、我々にどんな豊かさをもたらしたのであろうか
そしてその価値に将来を託して良いのであろうか。
そんな疑問を自問し、そしてその先に在るモノを考えてみたい。
■バブル崩壊が生んだデフレーション
バブルが弾け、高価なモノは売れない時代が来た。
モノを売る為には、少しでも安くする必要がある。
高騰した人件費では低コストな商品は生み出せない事より、アジア諸国での生産が注目される。
原料費を抑える事には限界が在る事より、加工費を下げ価格競争に打ち勝つ事が、より求められる様になったからだ。
アパレル業界では、ユニクロの様な海外での大量生産品に打ち勝たねば廃業になるケースもあり、今まで丈夫で細やかな縫製を売りにしていたメーカーも、価格を下げる為、加工費や在庫管理、生産性の効率化が今まで以上に求められる様になった。
すなわちローコスト競争時代に入って行った。
■管理型の組織が生む効率性
前項で述べたローコスト競争に打ち勝つ為、大量に生産する事が求められる様になり、企業は吸収、合併を繰り返す様になる。
そうする事で、企業は巨大化し、人員も増加した。
従業員が増えれば増えるほど多数の意見や価値が存在する。
そこで、管理する側は、取りまとめする事が難しくなる。
では何故多数の従業員が必要なのであろう。
そこには、大量生産と言う条件が関わってくる。
作図製作、営業活動などと同時に工場と言う大量に人を必要とする大掛かりな生産システムが必要となり、多数の社員を管理し、生産性を上げなければいけなくなる。
そこで必要なのは、その効率性である。
■効率化と言う価値の先に在るモノは
一方、効率的生産性の利点がある。それは、効率化を追いかければ、結果は分かりやすい。
数字で示せるので、株主などに客観的な指標が示しやすくなるからだ。
ただ、そこに在るのは、経済的な指標に過ぎない。
その先に何があるのであろうか?
経済的な指標が分かりやす事は分かったが、
そこには、我々の幸せやウェルビーイングは存在するのであろうか?
●そこで、改めて時代を振り返ると、こんな事が言えないだろうか。昭和からの変化を見ていきたい。
1)シャカリキに働いてきた昭和。
2)仕事も大切であるが、家族や自分の自由な時間も大切だと思う様になった平成。
3)自分らしさ&多様性を求める事でアイデンティティの確立や尊重が必要と分かった令和。
その変化の中で見えてきた
個性の尊重と効率化は同じベクトル上に存在するのか
そんな疑問が新たに見えてきた。
■木組み は くせ組
以前、法隆寺の修復を指揮された西岡常一のインタビューや本を通して感じた事がある。
彼は、法隆寺を修復出来る最後の棟梁と言われた人物だ。
参考:西岡常一 / 木のいのち木のこころ
彼の技法は、飛鳥時代の製法に拘りその技を磨いた。
それは、
効率化とは真逆な製法であった。
西岡さん曰く、大工の技術は江戸時代でかなり落ちた。
と語っていた。
そこには、量産性を上げるために用いられた技術が先行しているからだと。
そして、彼は大工であるが、民家を建てる事はなかった。それをしてしまうと自分の中で妥協が出るからだと。
そして何よりこだわっていた事は、木の持つ癖を見抜き
それを組み合わせる事だ。
1000年単位で伽藍を維持するには、樹齢100年級の木を使用する事だと。
そしてその木を使用しるに必要な事は、
100年先の木の変化、癖がどの様に出てくるかを見込んだ木組みをする事だと。
使用する木を山まで見に行き、どんな所、方角で育っているか?
そして、槍ガンナで削り、木と向き合う、そうする事でその癖を見極めていく。
恐らくあの大木に槍ガンナの刃をあて、コンマ数ミリ単位で一皮一皮、木の繊維に逆らわず削り出す工程は、西岡さんにとってとても重要な時間であり、その丹念に削り出す時間が100年先の癖を見抜く大切な時間なのではなかろうと想像してしまう
この段階で、標準化された一律の工程を辿ってしまうと、木の癖も見抜けず、100年単位での木の変化を見抜く事は難しかったのであろう。
木組み と くせ組
そうした事を聞くと、飛鳥時代の技法に現代の我々の生活に通じる何かが有るのではと感じるのは、私だけであろうか。
ITやアルゴリズムで見えてきた新たな価値観は、とても進んでいる様で、1400年前の技術を超えていないのでは?そんな事まで思えてしまう。
■効率化と標準化
今我々は、標準化と言う同一フォーマットで
同一な資料を使用し、同一なスピードで仕事をする事を求められていないだろうか?
ベルトコンベアで運ばれて来た部品を組み付けるかの様に生産性を上げる事やその先にある大量生産の優位性へ
個性を削ぎ落とす事を無意識に捧げていないだろうか
個性を認める事が、多様化を受け入れる事で有れば、
その先に在るのはどの様な時代であろう
■個性のを活かす そして これからの日本
経済性を優先し、大量生産へ向けて取組み、
勝組or負組が現れ、そして、その量の原理により
日本の工業製品は、現在も生き抜いている。
ただ今後も効率化を推し進める事で、世界と勝負できるのであろうか。
そして、我々の暮らし方は、変化を遂げていけるのであろうか。。。。
ここまで読んで頂き有難うございました。
次回では、今後考えられる豊かさや個性について議論をしていき、日本の社会や企業に経済性だけではない豊かさは、存在するのかを深めて行きたいと思います。
後編へ続く