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ハタチの決断。570万円で買ったもの。episode3

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19歳。大学2年生の春休み。


大学1年の間、がむしゃらに課題にしがみついた?おかげで少し余裕も出てきた。出来上がった結果は違うくとも、モノづくりや表現をすることは好きなようで製図や模型の楽しさも知った。そんな日々。

契約していた家庭教師のバイトも終わり

彼氏(現在夫)は菓子の専門学校を卒業しそのままフランスへ修行に行ってしまった。(今も昔も我が道な男、尊敬です。)

時間もあるし何かバイト始めようかなぁ。と梅田の町をウロウロとしていたら

【バイト募集】の張り紙を見つけた。

ケーキバイキングの厨房の求人だった。

〝バイトくらい好きな事をしようかなぁ。〟と思ったら即行動。

速攻でバイトしていた。(残念ながらその店は今はもう閉店しています。)

小さな中小企業のチェーン展開のケーキバイキング。

だいたいのケーキバイキングは

ほぼ冷凍ケーキが工場から卸で店まで届く。

店ではそのケーキを解凍し、

その上に簡単なデコレーションをしてお客さんの前に出す。

それだけ。。。な仕事。

な・ん・だ・け・ど!

私の入った店は、ちょっと変わった料理長だった。

と、言うのはなぜかそこの料理長はパティシエ出身の料理長で。(知らずに入ったんやけど)

他の店舗は卸された冷凍ケーキをそのまま解凍し、

お客さんにお出ししていたけれど、

「自分たちで作れるもんは作る!!」を徹底するプライド高めな料理長だった。

人と人がすれ違うにもギリッギリ!!のせまーい厨房でさ、

コンベクションのオーブン1台で様々な菓子を焼いていた。(3,4人でキッチキチ!の厨房。バイキングやから洗い場だけやたら大きいけどね。)

店のケーキは半分は卸で。

半分は自分達で焼いていく。というスタイル。

シフォンケーキ、

シュークリーム(もちろんシュー皮から)

クッキー、、

基本の菓子ばかりではなく季節には季節のものを(いちごのシフォンケーキとか)その都度その都度、試作していた。

今考えるとあの小さな厨房で大量に焼いていたのも、すごいし(バイキングやからめっちゃ大量生産)こんなめちゃめちゃな料理長をよく会社はOKしたよね。^^;

ただ、それが。

19歳の私にはパラダイスで!ワクワクもん!

いくらケーキバイキングと言っても成果主義

バイトとか社員とか関係ない。

大量の皿洗いから始まり。その皿洗いがそつなく熟せる様になったら

やっと先輩たちの菓子作りのアシスタントが出来る!

もう一度言うけれど、たかがケーキバイキングのバイトなのです。

でも私にはその当時、最高の学びの場でした。


趣味ではない。

仕事で作り出される菓子達の表情。

先輩方の手際の良さ、所作の華麗さ。

焼ける生地の匂い、生クリームの絞りの芸術的な美しさ。。

全てがワクワクで、心躍る。

その当時(今も?)の私は、とてつもなく不器用で。菓子作りではなくても何をするにも人より時間がやたらと、かかる人やった。

だから「早く私もメインで菓子を作りたい!」とバイトの帰りに生クリームを買って家で搾りの練習をしていたくらい(笑)

料理長だけではなく、バイトの先輩たちにも元パティシェ出身者が多くて。とてもとても所作の綺麗さ、マインド、お手本にさせて頂いていました。

元パティシエは意外と世間に多くて。そこに資本主義の闇があることも学校では教えないといけないよね。お金の勉強や資本主義社会の勉強、心理学の知識は入れておかないと好きなだけではその夢は仕事として持続させることは出来ないなぁって思います。(私もまだまだ)

と、少し話それたけれど。19歳の私にいう事があるとすれば、その時に何故元パティシエが多いのか?を深堀りしておくべきだと言いたい。諦めた、その先にある資本主義社会での飲食業のシステムの奥を。。

さてさて。

毎日毎日、バイトが楽しくって。

週2,3日のバイトがいつの間にか週5,6日働くことになっていて(笑)

気が付けば土日は9時~23時まで働くというブラックと言われるような事が楽しくって仕方がなかった。

学びたい、作りたい、楽しい!の方が強かった。

めちゃくちゃ、楽しかった!

初めて。

「シフォンケーキを最初から最後まで焼いていいよ。」

と、

社員さんに任された時の嬉しさは今でも忘れない。


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大学2年の前期の終わりの頃。

、、、やと思う(もうこの頃にはバイトばかりであんまり大学の記憶がない)

3年生から就職によって学ぶ授業が変わってくる。

だから、建築なのか?プロダクトデザインなのか?ウェブデザインなのか、、?どの分野に行くか決めておいてね、といった内容が学科の先生に伝えられた。

ふと。

周りを見れば。

大学入学の時から

この分野で仕事をしたくって、本気で学びに来ている友人ばかりだった。

片道2時間電車に乗って大学に本気で学びに来ている子もたくさんいた。


。。。

自分に絶望した瞬間。


その時、気づいたんや。


「甘ちゃんなんは私だけや。。」って。

この建築の道も全然、甘くはない。

それやのに私は、【大学は安定。】という名ばかりをとっていた。

気づくの遅!!本当にアホやったんです。

でも、

その時に

「あぁ。私はここで時間を使うべきでは無い。

自分にとっても失礼な事をした。

自分が本当にしたい事に時間を使うべきだ。

この道で頑張っている人にも失礼過ぎる事をした。

そして大学に行くお金を払ってくれていた親にも失礼だった。」と


「大学辞めます」


自分の心が決まったらすぐに動き出してしまうタイプです。

大学2年で大学を中退しました。

「勿体ない。」と泣きまくる母、と父に頭を下げまくり、

「もうこの職業に就く気はないからあと2年間大学に居る時間とお金の方が勿体ない。だから本当にごめんなさい。」と言い辞めてしまいました。

その当時。

今から12、3年前は高卒で大学中退なんて誰も雇ってくれない!

恥ずかしい!みたいな時代で。(うちの親だけかもしらんけれど)

あまりにも言われすぎて、そんなに学歴は大切なのか?そんなに私は中退したら価値が無いのか?と、もちろん不安もありました。嫌な気もしました。でも、それ以上に親に精神的に負担をかけていたのかな。とも思います。

大学は意外とあっさり辞められます。

けれど、大学には1年生の頃から可愛がってくれていた教授がいました。

その教授には「あなたが私の娘やったら『あなたが好きな事、しなさい。』って言う。『大学としては勿体ない』っていうけれど、ね。それよりも2年生になってから様子がおかしかったから心配してました。好きな事、やりなさい。」と背中を押してくれたのは前の記事にも書いた高校の時の先生の言葉と一緒に重なり。

余計に、今でも忘れられないお言葉です。

絶対やり遂げよう!そう思わせくれて大切なお言葉。


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あんまり祝福されない、

いや。

ほとんどの人が反対した

〝お菓子の世界〟に本気で歩もう。と決断した日。


唯一、バイト先の料理長だけが

「ここでバイトしたから?この世界来たん?」とニコニコ嬉しそうに喜んでくれていたのを今、思い出しました。(笑)


って、言ってもですね。

なんのアテもないのに飛び込んだ。

唯一のアテの彼氏はフランスやし(なんかフランスで病んでたし(笑)

バイトはしているけれどそれ以上の仕事は無い。

一生この仕事をしたいと思ったらやっぱり学びに行かなくっちゃ!と

何とも浅はかな考えで

製菓学校に入学することにしました。(本当にアホなんです)

けれど製菓学校に通うお金なんてない。

親に学費を払ってもらうのも、もう違う。

あんまり誰にも頼りたくない。

自分で決めたから自分で責任を負う。

何も出来ないくせに、変にプライドが高いのです。

借金することにしました。20才。

今考えれば飛び込みでケーキ屋さんにだって働きに行けたのです。

借金なんてする必要なかった。(その後、夫にも息子にも迷惑をかけたから尚更思う)

けれどケーキ屋さんに就職するには学校から出の方が就職しやすい。と聞き、完全なる情弱真っ盛り!アホ!で誰に相談することもなく〝学生ローン〟(学校法人ではないから奨学金も組めない、本当に銀行に借りた借金)というローンを組み、専門学校に通う道を選びました。

20才がバイトで返せるローンです。8年の返済期間で1か月6万円の支払いをし、専門学校の道を選びました。

、、、。

ほんとーーーーーーーーに、アホで。

ほんとーーーーーーーーにここでも甘々な考えだなぁ。


と。

読んでて腹立ったらスミマセン^^;

こんなアホさも含めて

#焼き菓子屋そぼくな 。が出来て行ったので

そのまんま、

ここに記載して残しておきたいと思います。


でもね、

借金は抱えちゃたけれど

やっぱり専門学校行って良かった!と心から思えるのです。

それは学校に行く事が良いのではなくて。

そこで出会った先生にとてもとても、影響されて今の焼き菓子屋そぼくな。の土台ができたから。あの先生に出会えたことは本当に今でも宝物。

借金したおかげでこの先の未来での自分の働き方が見えたから。

【痛い想い】をすることが全て美徳だとはこれっぽちも思わないけれど

痛い想いをしたら、生み出された環境や能力もやっぱり在るわけで。

絶対にそぼくな。はやっていない。と断言できる。

痛い想いはできるならば、したくは無い!けれどね(笑)


初めて【痛い想い】を買ってみた20才。

初めてちゃんと【責任】を自分でとる事を決めて動き出した、

そんな20才の話。でした。


でも、この頃は店なんてやるつもり全く無かったんだ。

お菓子を焼ければそれでいい!それだけで幸せ!で動き出した甘々まっさかり!でした(笑)


この続きはまた次回に。




読んでくれてありがとう!

焼き菓子屋そぼくな。

ゆ季


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