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2024_#2_説苑
前回の中国古典に続いて、今回は「説苑」をチョイス。
以前読んだ「貞観政要」の中で本書の内容が引用されていたのを見つけて、どこかのタイミングで読んでみたいな〜と思っていたのでようやく実現できて嬉しい。
本書は、前漢の大儒・劉向が皇帝の教育用の書として記した書物の一部分。
ちなみに、「六経の兼修と一体化」と「当時の国是である儒教儒学への配慮している諸子学の研究」の2つが劉向の学問の特徴である、というのを抑えながら読み進めると本書の内容について非常に理解が深まる。
また、劉向の強いスローガンである尊賢論は、実際に賢人を任用したうえでその意見を実行することを指していつつも、真の狙いとして、皇帝に自分及び自分と志を同じくする者を賢人として用い、政敵(宦官や外戚)を不肖として退けさせることを目的とした”政争の手段・大義名分”であるということが非常に興味深い。
儒学を極める者でありつつ、政治の世界で生き残るために自分にとって有利になる内容の示唆をしっかり主張し続けるところに、弱肉強食の世界ならではの強かさを感じる。
こういうところが中国古典の面白い点だな〜と常に思う。
以下、学びメモ。
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・★劉向の学問の柱は下記の2つ★:
①六経の兼修と一体化
→漢代の学問といえば儒教の経典を学ぶこと、すなわち経学のことである。劉向の特筆すべきはその博学ぶりであって、易/書/詩/礼/楽/春秋の六経をあまねく修めただけでなく、それぞれの経においても、詩では魯/斉/韓の三家、春秋では公羊/穀梁/左氏の三伝というように、ほとんど全ての学派の説に通じていた
→後漢に入ると徐々に六経や今古文の融合や折衷が行われていくが、劉向の六経兼修や古文評価はその端緒を開くものであり、六経はもとより一体のものであるという観念を抱いていた
②諸子学
→諸子学に傾倒したのは彼の職務からであるが、当時の漢の国是(儒教儒学のみを尊ぶ)を唱えた董仲舒(劉向)の意向と反するため、六経とは異なり手放しで賞賛することはできなかった
→そのため、劉向は諸子学はすべてもとは王者の官職に由来するというのである。しかるにいま相互に矛盾対立しているのと思われているのは、後世にて不純な要素が入り込み歪曲されたためとした。その不純な要素を取り去れば、諸子学は真正なる姿に立ち戻るとして、六経の義に合致しているのかどうかの基準で諸子学の長所のみを選び取る作業をした
・説苑は経学と諸子学との総合統一を希求する劉高のモデル作品であり、この両者が統一体系されることは古代中国思想全体が統一されることにほかならない
・第一篇「君道(君主のあり方)」
→★人君の道とは、身を清浄にたもって無用の行動を控え、民衆を博く愛することに努力し、賢人の任用を第一に心掛け、耳と目を大きく開いて世界をくまなく観察し、世俗の流行に惑わされず、側近の者に牽制されず、何者にもさえぎられることなく遠くまではっきり見通し、周囲に抜きん出て高く聳え立ち、いつも注意深く臣下の成績を検査して彼らを統御すること。★
・第ニ篇「臣術(臣下の責務)」
→臣下の献身とは、やみくもに君命のままに実行したり命を捨てることではない。君主を正道に導きあるいは立ち返らせることこそ、真の忠義なのである
→★人臣の行いには六つの正道と六つの邪道がある★:
正道①物事の兆しが現れないうちに、国家の存亡の機微と得失利害の鍵となる要点を独力で明確に見極め、あらかじめ未然に処置し、主君を日の当たる誉れの場に立たせて天下の人々の称賛を受けるようにさせる(=聖臣)
正道②虚心坦懐、ひたすら善道を推し広め、礼儀をもって君主を勉励し、良策を教え授け、その長所を伸ばし欠点を矯正し、事業が成功した暁にはその功績をすべて君主に帰して自らの働きを誇らない(=良臣)
正道③我が身を謙り、朝は早く起きて夜は遅く寝て、賢人をたえず推薦し、いつも昔の聖王の業績を称えて主君の心を励まし、それによって主君が進歩して国家と社稷・宗廟が安泰であることを切望する(=忠臣)
正道④表に見えないところまで明察して事の成否を見定め、素早くその危険に対処して然るべき状態に引き戻し、間隙を埋めて元を断ち、禍い転じて福となし、君主に最後まで憂いのないようにする(=智臣)
正道⑤よく礼法を守り、職務を誠実に果たし、利録や賞賜は辞謝して人に譲り、贈り物は受けず、衣服は端正に整え、飲食は慎ましくする(=貞臣)
正道⑥国家が乱れ、君主はでたらめし放題、それも止める者なきところに、ただ一人、毅然として君主の怒りをものともせず面と向かってその過失を指摘し、誅罰を恐れない。(=直臣)
・社稜の臣、劉向の臣術はこの一語に集約されるだろう。これは、君主自身よりも社稜が重いとする儒教の君臣論の不変の根幹であり、また君主に対する諫争における臣側の理論的切り札であった。
・第三篇「建本(土台をしっかり構築する)」
→★孔子の言葉に「徳のある立派な人物は、ものごとを基本を収めることに全力を尽くす。基本が確立して初めて、より大いなる道が現れるのだ」とある。基本が正しくなければその末は必ず歪になるし、始めが盛んでなければその終わりは必ず衰退してしまう。★
・第四篇「立節(節操を重んじる)」
→儒教は「名教」とも呼ばれるように「名」を尊ぶ教えである。出世して名声を獲得することは士の最大の願望であり、最高の親孝行であった。その名声はあくまで名文的に正しい、すなわち道に合するものでなければならない。道に外れた名声は真の名声ではなく、それを得ることは恥に他ならない。名と恥の観念こそ、儒教倫理の根幹である。
・第五篇「貴徳(恩徳を第一とせよ)」
→★徳とは徳沢や恩恵の意味であり、「仁」とほぼ同義で、民衆を愛し慈しむ人徳こそ政道の本なりと説く。民衆の衣食を安定させ、その一生を安楽に過ごさせること、それが君主に課せられた第一の使命である。★
・第六篇「復恩(恩義に報いる)」
→複恩とは受けた恩義・恩徳に報いること。臣下として君主に報恩すべきを説いている。衰退しつつある漢王朝を再建するために、全臣下に漢王朝に対する復恩・忠誠を呼びかけている。
・第七篇「政理(為政の道理)」
→劉向は黄老思想の「無為の治」を政治術として高く評価していた。仁義礼学による王道の提唱と、黄老的統治術の融合が劉向の整理であった
→★政治には三つの等級がある。王者の政治は徳によって民を教化し、覇者の政治は権威で民を威圧し、強者の政治は力ずくで民を脅迫する。王者は徳の教化を第一として刑罰を後回しにし、栄誉と恥辱の観念を植え付けて犯罪を未然に防ぎ、礼儀の節度を尊んで民に示し、財貨の利益を蔑んで民の金銭欲を改めさせる。★
・第八篇「尊賢(賢者を尊ぶ)」
→★尊賢論は劉向の政治思想の中核であり、彼が生涯主張し続けたスローガンである。劉向の言う尊賢とは、実際に賢人を任用し、その意見を実行することを指している。★
→尊賢論自体は理想的政治を実現したい儒者たちの意欲の表れであるが、真の狙いは、皇帝に自分及び自分と志を同じくする者を賢人として用い、政敵(宦官や外戚)を不肖として退けさせることであった。尊賢論は政争の手段・大義名分なのである。
・第九篇「正諫(君主の正しい諫め方)」
→君主に対する巧みな諫言の仕方の実例集である。諫言の五つの方法:
①正面から真正直に諫める
②一旦君の言に従い、後から徐々に諫める
③真心をもって諫める
④愚直に諫める
⑤婉曲に風刺して諫める
・第十篇「敬慎(身を慎む)」
→自戒謹慎を説く処世術である。その目的は人に憎まれず、足を掬われるような隙を見せるなということである。そのためには常に盈満剛強を避け、謙譲柔弱を旨とせよと説いている。
・第十一篇「善説(巧みな弁論)」
→臣下が君主に対して行う説得の仕方、あるいは遊説家の君主らに対する自己売り込み法である。
・第十二篇「奉使(使者の心得)」
→奉使とは、君名を奉じて他国に使いをすることを指す。当時は一旦国を出たからには外交の成否は使者一人の力量にかかっていた。
・第十三篇「権謀(時期に応じた謀)」
→★権謀は私利私欲のためではなく天下万民のための正義あるものでなけれならない。時流を先取りし的確に対処してゆくこと、それが最上の権謀である。そもそも権の原義ははかりの分銅であり、はかる物の重さに応じて随時位置を変えてバランスを取らねばならないし、あるいは錘を変える必要もある。つまり、計量してバランスを取ること(=中庸)である。★
・第十四篇「至公(最高の公平)」
→政治は公平でなければならない。ただ、儒教には家族的身内びいきを許容するところがあったため、劉向としては宦官や外戚を退けるために皇帝に無私の公平を要求しなければならなかった。
・第十五篇「指武(武力について)」
→平和的外交はもちろん大事だが、常に武力の用意を怠ってはならない。
・儒教は名を惜しむ教えであるが、同時に命を惜しむ思想でもある。死すべき道義のある時は進んで死地に赴くが、その道義もないのに死ぬのは無駄死にである。乱国暴君のために身を滅ぼすのはまさしく無駄死にであり、君子の為すべきところではない。臣下としての義務は三諫で果たされているのである。
・第十六篇「談叢(話のネタ帳)」
→話をしたり、相手を説得する場合に正面切って理屈ばかり言っているだけでは巧く行かないことが多く、その場合には譬え話や寸鉄人を指す格言を織り交ぜた方が効果的である。
・第十七篇「雑言(よもやま話)」
→様々な言葉や故事を寄せ集めたもの。
・第十八篇「弁物(怪異の弁証)」
→弁物とは、ひろく事物の性質を弁別する意味である。「物」(いわゆるオカルト的な事象)について、怯えたり動じることなくあくまでも本質を見抜くことを説いている。
・第十九篇「修文(礼楽の振興)」
→礼の精神性を最終目的としつつも外面的形式を決してなおざりにしない、むしろ、道に入るにはまずは形から入るのが、儒教の一貫して揺るがぬ精神性であった。
・第二十篇「反質(質朴に反れ)」
→虚飾を去って質実・素朴に復帰する意味である。質朴は儒家にとって好ましいものであったが、その質朴を人間の本質的なあり方として、文飾を人間の本来性を損なうものと見るならば、それはすでに儒家を離れ道家の領域に入ったことになる。