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何も感じなくなることが良いことなのか
強烈な胃痛に仕事ができず早退した。
ここ2週間ほど、激しい胃の痛みと不快感に悩まされている。仕事中何をしていても身体の中心に嫌な痛みを抱えていて、我慢してきたけれどついに堪えられなくなった。そういえば身体が食事を歓迎してくれなくなった。もともと昼休みという概念がない職場だから、最近は血糖値が下がってふらふらしてきたら義務感で食べる、みたいな生活をしている。今日も帰り道にプリンを買ったが、まださびしい冷蔵庫の中に置いたままだ。仕事のこととなると、少しのことでいらいらしたりずーんと悲しくなったりする。周りに振り回される自分に振り回されて、心が疲れてしまった。
転職してから、「胃が痛い」という感覚を身をもってきちんと知った。前の職場に比べて、仕事量も残業時間も責任も段違いに増えた。色んなはじめてにやられ続けて、あっという間に疲労やストレスが胃に来るようになった。最初は食べられないから痩せていいかも…と思っていたけれど、歯を食い縛ったりどうにか気を紛らわしたりして我慢できてしまうから辛いのだと学んだ。もう胃薬が手放せない。食べすぎ・飲みすぎなんていう愉快な理由で買ってみたかった。
なぜこんなにも気持ちが落ち込んで、激烈な胃痛が続いているのだろうと考えてみた。別に忙しいのはいつものことだ。本来であれば、複数人でやらなければならないような仕事を全てひとりで背負っている。それに繁忙期が重なり、息継ぎもできないような日々が続いているだけ…と気づいてしまったから、がたがたと崩れてしまったのだと思う。このところ、「しんどさから目を背ける」という術を使いはじめた。毎日生きているだけで精一杯だから、一つひとつのしんどいことに気づいてしまったらやっていけない。こんなにつらい社会人生活を何年も何年も続けている大人はきっと皆そうしている、と思って、私も少し背伸びをした。色あせた大人たちの真似をしてみた。すると、意外にもあっさりと何も感じないことを受け入れて、機械のように、或いは流れる水やそこにある空気のように動き続けることができるようになった。休みもせず降ってくる業務をさばいた。終わりのみえない仕事に毎日何時間も残業をした。1日を終えることが私の生活の全てになった。
こうして限界を迎えた私は早退してしばらく寝た後、自分の頭と身体と心から明日への恐怖を吐き出したくて、今noteを書いている。ほんとうは家族や友人や好きな人に思い切り頼りたかったけれど、それは私には難しかったから。明日は仕事の後、会食があるから何時に帰ってこられるかわからない。寝て起きて仕事に行くのが怖いな…また胃も痛くなるんだろうし。この道二十数年と聞くと、お~ベテランだなと思う。でも、わたしももう二十数年生きてきて、息をして食べて活動して寝る…「」つきの生きるということに関してはベテランのはずなのだけれど、全然上手く生きられてないな。嫌だなぁ明日。