日本扇の謎(レビュー/読書感想文)
日本扇の謎(有栖川有栖)
を読みました。新刊です。
有栖川版・国名シリーズ30周年記念の最新作です。
愛蔵版のハードカバーバージョンも同時発売していますが、私はノベルス版で読みました。ノベルス(新書判)で小説の新作を読む体験も今は貴重になってしまいましたが、中高年世代はノスタルジーを刺激されます。この判型かつ厚めの紙の手触りだけで新刊ミステリーを読んでるって実感が湧いて嬉しくなります。
今もノベルス判で新作が出るミステリーと言うと、京極夏彦さんと森博嗣さんの作品くらいですか?
昔は、大衆ミステリー作品の新刊というと、まずノベルスで刊行されて、その後、いわゆる文庫落ちという流れが基本だったのです。大御所作家さんの作品は、単行本→ノベルス→文庫と三段階でしたが、今は真ん中にあたるノベルス版がほとんど見られなくなりました。
閑話休題。今回のシリーズ記念作品に選ばれた国名は日本。とうとう、ついに、と読む前から気分があがりますね。
さて、あらすじです。
本作をさっそく読み終えて、私の思うところですが、本格ミステリ作家として円熟期の有栖川有栖さんは新しいステージに入っているように感じさせられました。
火村英生シリーズの長編前作にあたる「捜査線上の夕映え」でも同じように感じたのですが、今作でますますそう思うに至りました。
その印象を言語化するのは難しいのですが、あえて短くまとめますと、有栖川さんの近作は、まず先にエモーショナルな物語があり、そこに本格ミステリの様式が極めて自然に(ここが重要です)落とし込まれているように感じるのです。
本格ミステリを物語るうえでの宿命として、どうしてもストーリーの様相が機構的になりがちな側面があります。特に奇抜なトリックから物語を逆算・構築する場合にそうなりがちです。ちなみに、意図的にそのアプローチの取られるケースは多々ありますのでこれはそのやり方が良いとか悪いとか言う優劣の話ではありません。本格ミステリ愛読者の私はそれを否定もしません。
という前提を置いて、「捜査線上の夕映え」も「日本扇の謎」も、どちらも間違いなく本格ミステリの型は崩されていないのですが、それでいて染み入るような物語になっていて、まるで機構性を感じさせないわけです。もちろん実際は綿密なプロットがあって物語を構築しているのでしょうが、読者は有栖川さんの筆が自然かつ流麗にそれを紡いでいく様を想像させられます。
良い意味で肩の力が抜けていると言うのでしょうか。例えば、創作姿勢として「新規性のある謎や仕掛け(トリック)を盛り込まないといけない」とか、「読者の目を引くアクロバティックな論理を打ち出さないといけない」とか――当然読者としてもそれらがあることは望ましいのですが――必ずしもそうした内外からの期待に拘泥していないように映るのです。
近作からは、それらに頼らなくても面白いミステリー作品は仕立て上げられるという自然体の自負のようなものが私には感じられ、そして実際に実践されているのですから。
技巧面での新味に拘るあまり、そもそも作品を書けなくなってしまうベテランミステリ作家さんも少なくないなかで、有栖川さんはその壁(天井?)を打ち破って新しいステージに立っているようです。本作を読みながらそんなことを思いました。
有栖川さんの作品は読もうと思ってまだ読めていない旧作もいくつかありますので徐々に読んでいきたいです。
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