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制服問題

 何で制服なんかあるんだろう、と中学の時は思っていました。
 何しろ、セーラー服の下は、丸首かU首しか着てはいけなくて、タートルネックは禁止、マフラーも確か禁止だったんじゃないかな?冬は寒くて大変でした。コートは指定の物がありましたが、ギャバジンだったので、無いよりまし程度で、防寒の役には大して立っていませんでした。
 
 今はセーラー服も少なくて大抵ジャケットですし、スカートの代わりに、ズボン、じゃなくてパンツというかスラックスを選択できる学校もあるそうですが、当時、女子はセーラー服にスカート一択で、寒いことこの上ありませんでした。

 おまけに校則で、スカートの裾が床から30センチより高いと違反でした。
 かなり変な校則で、身長が違っても裾は床上30センチと決まっていたのです。絵を描いたらわかると思いますが、身長順に並んでもスカートの裾が揃って、団体としてはきれいかもしれません。しかし、身長が高いほど(胴長ならともかく)ウエスト位置が高くなるため、スカート丈は当然長くなります。

 中学入学時に身長158センチ、中三の時には163センチあった者から言えば、床上30センチならば、スカート丈は60センチを軽く超えてしまうわけで、しかもスカートは上から冬はベスト、夏はサスペンダーで吊るして、普通のスカート丈よりさらに5〜10センチは長かったのです。
 つまり、校則を守れば、スケバンデカもかくや、というような長さでした。制服屋さんは身長とのバランスでスカート丈を決めていたはずで、当時の常識ではスカートは膝丈か膝が隠れるぐらいでしたから、私の中学の制服スカートはたぶん床上40ぐらいだったんではないでしょうか。
 風紀委員には「ウチダ(あだ名も付かない堅物)がスカート調整しているわけないから、まあいいや」と言われてOK。何だかなあ、の風紀検査でした。

 高校は私服だったので、入学前に母が紺のブレザーとスカートを買ってくれたのですが、身長が3センチ伸びて止まると同時に太り始めたので、あっという間に入らなくなってしまいました。
 ちょうど流行の変わり目で、原色からアースカラーが流行った年で、秋、上町線に乗っていた時に同級生の男子から「どうせなら流行の茶色とか着て欲しいな」と言われ、真紅のブレザーを着ていた私は「これはうちの母が苦労して私のサイズの服(私の身長は同年代の男子の平均身長と同じです)をバーゲンで買ってきてくれたの❗️うちは不景気で大変なんだから、アンタにそんなことを言われる筋合いは無いわ❗️」と啖呵を切ったものです(嗚呼、この頃からケンカ太郎だったのね、自覚ナシ)。実際、制服がないと、TPOを考えるのが大変で困りました。ただ一つ助かった面は、遠足にジーパンを指定されて、両親を説き伏せてジーパンを買うことができたことぐらいでしょうか。うちの両親はジーパンは作業着だと言ってそれまで買ってくれなかったのです。

 母自身が学生だった時は、昭和10年生まれで、新制高校で初めて三学年揃った年に入学して、戦後すぐで女子制服も決まっていなかったそうですが(小野高校は旧制中学校だったので元は男子のみ)、女子生徒は皆、自分でセーラー服を縫ってそれを着て行った、と何度も聞きました。
 母と私との時代の懸隔は大きく、母の時代はオーダーメードか自分で縫うのが基本で、私のときには(同じ昭和ですが30年近く違うから)既製服が普通でした。母は既製服を「吊るしの服」と言っていました。小学生の時にポリアンヌ物語で「吊るしの服」を知ったのが後か先かわかりませんが。後にアニメで観た時、主人公が黒っぽい吊るしのワンピースを選ぶところが印象的でした。
 
 制服が便利なところがあるとすれば、TPOを選ばないことです。それはヨーロッパの僧服と似ています。身分で着る物にも出入りする場所にも制限が多かった時代から、僧服ならば貧民窟にも王侯貴族の城にも出入りが可能だったと本で読みました(『赤と黒』の解説かも)。
 制服も、学校に来ていくだけでなく、冠婚葬祭に着ていける、フォーマルな服です。もちろん、どこの制服も、暑くて寒くて大変だけど。

 今教えている学校の、ピカピカの革靴と学生服の金ボタンを見るたびに、王侯貴族の城にも行けるよ、と思っています。

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みゆ
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