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拝啓、川島如恵留様②〜”褒め自炊”って良い言葉

Travis Japan 川島如恵留くんの初エッセイ本『アイドルのフィルター』を読んで、その反応を私のエッセイ風に書いてます。
今日は第2回。

📖”褒め自炊”…わかりやすくて良い言葉(010 褒めて を読んで)

私も母に褒められたい人だった。
しかし、私の母は私が頑張っても頑張っても決して褒めない人だった。単純に厳しい親と言われればそれまでなのかもしれないが、目の前の結果よりその先に向けてのダメ出しの方ばかりを私に言ってきた。
まず褒めてからダメ出しして欲しいものだが、肝心な「褒める」がすっぽり抜けていたと思う。

小さい頃、外で習い事の先生やお友達のお母さんに褒められたことはあっても、母に褒められないから、外で言われることをいつも信用できず、せっかく褒めていただいても心底喜べた記憶がない。自分に対してではなく他人が褒められているのを聞いている気持ちになるのだ。

父もまた褒めるのが下手な人だった。直接私に言わず、母や第三者を通じてだいぶ時差を経て私に伝わってくる事があった。今更遅いよ…というタイミングで。。

そんな風に、幼少期からすでに褒められることへの不信感と「受け取り拒否」が始まっていた。褒めて欲しいと思いつつ拒否しているという矛盾した状態がずっと続いていたのだ。

大人になってからも、それは褒めていただけてるの?社交辞令…?と疑い、そうじゃなかったとしても心のどこかで「あなたに何がわかる?」という可愛く無い気持ちが立ち塞がって心から喜べない。
何より褒めてくださった方に失礼だと思うが、「自分以外みんな敵」モードで日々過ごしていた私はそこまで相手に気を回すことができなかった。。

今もまだその名残りはある。
たまに褒めてもらうことがあれば、ひとまず先に「ありがとう」と言うようにしているが、人から何かしてもらうという行為は一旦断ってしまうクセが抜けない。
それによって得られる小さな幸せを自ら放棄してしまって、「ああ、またやってしまった…」などと思ったりする。

ただ、「あなたに何がわかる?」という可愛く無い感情、軽い苛立ちはどうしたって埋めようがない。
たとえ自分と全く同じ経験をした人が居たとしたって、感じ方は人それぞれだろう。ましてや自分と同じ経験をしたことのない人に「すごいねー、えらいねー」と言われても、もちろん褒めてもらえて嬉しくないことは無い(いや、むしろ嬉しい!)けど、完全に100%私の気持ちを理解しての言葉ではない…と心の中でどこか一線を引いてしまう。

結局、寸分の誤差無く、丸ごと全て自分の感じている通りにわかってあげられるのは自分自身しかいないのだ。

だから、自分で自分を丁寧に1つ1つ褒めてあげる"褒め自炊"が必要なのだと思う。
そうすることでしか真の満足感は得られないんじゃないかとすら思う。


私的にこの”褒め自炊”を効果的にするポイントがある。
最近少しマメに文章を書くようになって実感しているのだが、頭の中だけで自分を褒めるのは深いところまで行かずに表面をすーっと通りすぎてしまって、それだと他人から褒めてもらったのとあまり変わらない感じがする。
だから、公表してもしなくても、頑張ったと思うこと・褒めて欲しいことをどんなに小さなことでも良いから書き出してみて、それを客観的に見て、自分を「よしよし、えらい!よくやった!」と言ってあげる方が随分効果的に思うのだ。
気が向いたら試しにやってみていただきたい。


母が私を褒めなかった理由…?

ところで少し話が逸れるが、数日前、突然ふと気づいたことがある。

母が私を頑なに褒めなかったのは、親のためとか言って世間体を意識して、周りに「立派ね、偉いわね」と言われるような条件を満たす生き方を、私に別に望んでいたわけじゃなかったからかもしれない…と。
それより本当に私がしたいことをして、人生を輝かせて、幸せになって欲しい…私が今やってるそれは本当にやりたいことなのか?それで幸せなのか?

もしかしたらそう気付かせたくて、私に常々延々と文句タラタラだったのではないかと。。

ただ私にとって母は長年の敵で、とにかくその敵を黙らせるためだけに、体裁良く生きようと勝手に間違った方に(?)がむしゃらに頑張ってしまっていたので、そんな母の思いは知る由もなかった…。

私も私で、母にはそれだけ激しく牙を向けられるのに、若くて勢いがあった時でさえ、自分の心底やりたいと思っていることを貫く覚悟と強さはなく、ある程度のところで収まろうとしてしまっていた。
「やりたいことが全くわからない」とずっと思っていたのは、ただ自分の本心と向き合う恐怖に目を背けて、自分の気持ちを誤魔化していただけだ。誤魔化し続けてどんどん本心がわからなくなった。
それを自己肯定感を育んでくれなかった親のせいにしていたけど、結局は全部私自身のせいだった。
(ただ10代の頃、私が何をしたいかわからず黙ったまま超気まずい時間が流れる地獄の家族会議で、散々ヒステリックに怒られて、自分のやりたいこと=ただただ聞かれるのが嫌なこと・恐怖、とインプットされてしまったのは、やはり母のせいだと思っている。)

生前の母はなんとかして私に気付かせたかったのかもしれないけど、、、
でも、母が亡くなって9年経った今やっとそれに気付いたということは、そんなに高度なことを求められてもかつての私には到底無理だった。
むしろ今になってでも気付けて良かった。
母もやっと少し報われたかもしれない。。笑


つづく…

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