1人には向き不向きがある。
1人で行動するようになって
映画でも、山歩きでも、おでかけでも、
その時、その場で、その瞬間を
自分が楽しいことのために使うことができるようになったと思う。
その時の感情を人に共有しなくて平気なのだ。単純に自分がやりたい、見たいから行動するだけ。
山で足を踏み出す瞬間。
映画で幕が上がる瞬間。
カフェでご飯を食べる瞬間。
カメラのシャッターを押す瞬間。
私は目の前にあることに集中している。
それをマインドフルネスという言葉で表せるということをここ何年かで知った。
自分が行きたいと思った場所に行く。
正しくは自分の技量(お金、時間、体力)で行ける場所に行く。
ようやく今の年になってそういうことがだんだんと叶うようになった。
趣味は「1人で行動することです。」と言って差し支えない。
職場の子が「映画に行きたいけど1人じゃ行けない」と言っていた。
その子が1人で映画に行ってみたという。
でもやっぱりその場で映画の感想を共有できなかったのが淋しいので、もう1人では行かないらしい。
私は誰かと映画に行っても、相手が自分と違う解釈をしている場合にストレスを感じるのだ。私は映画を見たいのであって友達とおしゃべりやご飯を食べたいのではない。
博物館などに行ったとしても見たいポイントが相手とは違うので、自分がじっくり見たいところを相手に合わせて見れないのがイヤなのだ。
山にしても空気感を味わいたいのに、日常の愚痴やら近況報告で肝心の景色を覚えてない、となりがち。キョロキョロしてすぐにしゃがみ込んでカメラを撮りだす私と一緒に行く人も気の毒だ。
その昔、カラオケが流行り始めた頃、居酒屋からカラオケへ、の流れがとてつもなく嫌いだった。人の歌を聞いて何が楽しいのか分からなかった。人の前で歌うのも苦手だ。時間が延長なんかになったら心の中で白目を剥いていた。居酒屋から居場所へ何軒もハシゴするようなそんな付き合いが苦手だった。
家族ぐるみで集まったり、子ども連れでどこかに行くとき、私は必要以上に緊張していた。ああ、この集まりは何時に終わるのか。
あと何時間ガマンすれば解放されるのか。
あと何時間愛想笑いをしてればいいのか。
子どものため、家族のため。なんなんだこれは。
仕事に行く前から帰りたい、みたいなアレだ。
1人行動は向き不向きがある。どうしても「その場」のことを誰かとすぐに共有したいタイプには向かないのだろう。たぶん、自分がどこへ行くかではなく、誰とどこかに行く、のが目的なのだろう。
私も共有したくないわけではない。インスタがあって本当に良かった。アレは私の1人行動の備忘録であり、承認欲求を満たしてくれる大事なツールだ。そしてnoteがあって良かった。自分の思いを読んでほしいからだ。
私は自己中心的で、わがままだ。
友達は極端に少ない。自分から意図的にそうしてきた。
私は何でも最小単位で良い。
山もそろそろ秋の気配が濃くなってきたようだ。今年も私の山歩きシーズンが始まる。