10年で、街はこんなに変わるけれど〜東京都中央区京橋。
東京・京橋にある明治屋ビルの、少し古い写真が出てきました。撮影は2013年の10月。明治屋ビルが改修工事に入るというニュースを聞き、解体されるものと勘違いして、急いで撮りに行ったときのものです。
今も、このビルの前を素通りできない。
銀座の中央通りから、そのまま首都高の下を通って日本橋方面に歩くと、八重洲通りにさしかかる手前左側にこのビルがあります。
僕は特に建築を学んでいるわけではないけれど、古い建物が好きで、かつて自分が生まれる前、あるいは子どもの頃の街の風景を想像しながら、その建物を眺めたり、写真を撮ったりしています。今は亡き、大切な人たちが、元気に街を歩いていたあの頃。今はお年寄りとなった人たちが、まだ若かったあの頃。
周りから見るとヘンなヤツだと思われそうなので、誰からも怪しまれない観光地の古い建物の前に行って、ほかの観光客に紛れてボーッと眺めていることが多いのですが。
僕は中央区に住んでいる頃から、この美しいビルの前を素通りできず、たびたび写真を撮っていました。たとえば2013年の秋にはこんな感じ。
10年前、すでに京橋地区の再開発は始まっており、空き地だらけだった記憶があります。再開発が始まる前は、小さなオフィスビルや古い商店が並んでいましたっけ。だからこそ、このビルの存在感は大きかったとも言えます。
そして、改修工事に入る前の外観はこちら。
竣工は昭和8年。東京都中央区の有形文化財にも指定されています。
このビルの竣工は昭和8年。設計はジョサイア・コンドルに学んだ曾禰達蔵という建築家。東京駅を設計した辰野金吾とはコンドル門下生として同期なので、このビルは、赤煉瓦の東京駅と兄弟分であると言えなくもない。建物の地階と地下鉄駅(銀座線京橋駅)とを連絡させて設計・施工した、現存最古の民間ビルディングでもあります。
《建物三方(東・北・南面)がほぼ同じデザインで統一されており、重厚な石造の柱と豊かな装飾がみられる1・2階、縦長の端正な窓が並ぶ3階から6階、装飾的なアーチ窓が並ぶ7階、コーニス(軒蛇腹)で区分された8階、厚みのある特徴的なコーニスを施した最上部で構成されています。外観の特徴は、コーニスによって区分された各層(1・2階、3階から7階、8階の3層)がバランスを取り合いながら洗練された外観を創り出し、全体構成から細部装飾に至るまでイタリア・ルネサンス様式の秀逸なデザインでまとめられている点です》(東京都中央区のウェブサイトより)
このビルは東京大空襲からも難を逃れたという貴重なもので、中央区の有形文化財にも指定されています。
上の写真には『京橋モルチェ』という店名が見えますが、旧ビルの頃、この半地下には昭和の香り色濃い洋食屋さん『モルチェ』がありました。夕方、早い時間に仕事が終わると、その店でビールを頼み、クリームコロッケとオムライスをいただくことが楽しみでした。
あのシブい店内、写真を撮っていなかったことが残念です。ただしお店もメニューも健在で、お隣の『京橋エドグラン』の中で元気に営業中です。
有名な焼き鳥屋さんにも寄って行こう。
今では巨大なビルに囲まれた明治屋ビルですが、かつて、この周りには古い東京の面影を残す飲食店街がありました。その中の一軒、池波正太郎さんもたびたびやって来たという『伊勢廣』さんにご案内。
もう、あの古い建物は残っていません。が、『伊勢廣』さんは向かいのビルに移転して、こちらも元気に営業中です。人気店なので、予約必須です。
こんな写真を眺めていると、明治屋ビルが残ったことは奇跡のように思えてきます。地震国なので、ロンドンのようにとまでは言いません。でももう少し、後世に残る建物ができないものでしょうか。東京では築50年程度のオフィスビルが次々と解体されている一方、木造の焼き鳥屋さんだって100年も頑張ったのだから。
ということで、最後は文句をつけてしまったけれど、それはともかく、美しい建物は、それだけで地域の顔になれるというお話でした。
皆さんも、地下鉄銀座線で銀座に出る機会があったら、ひと駅隣りの京橋で下りて、明治屋のビルから地上に出てみてください。少し古い東京の風を感じながら、ここから銀座まで、歩いて10分ほどですよ。