
南インドのピックル -南インドの保存食-
はじめに
南インドのピックルについて書くのは、「アートオブピックル」を運営している私にとってはちょっと自分ごとで緊張します。他の地域のアチャールについては、慎重に調べて客観的にまとめることができたのですが、南インドとなると話は別です。州ごとに分類するだけではとても語り尽くせないほど、独特で多様な世界が広がっていて、その奥深さにいつも驚かされます。
これまでに14回以上南インドを訪れ、3年間バンガロールに住んでいたので、少しでもその魅力をお伝えできればと思います。内容が少しマニアックになるかもしれませんが、お付き合いいただけると嬉しいです。今回は、「州ごと」ではなく、南インド全体に共通するピックルの基本的な特徴と、地域ごとの食材や製法の違いに焦点を当てて、南インドのピックル文化をご紹介していきます。
ちなみに、北インドでは「アチャール」や「アチャーラ」と呼ばれるものが、南インドではカンナダ語で「ウッピナカイ」、タミル語で「ウールガイ」、テルグ語で「パチャディ」と、呼び名もさまざまです。最近では「ピックル」という英語の名称も一般的になっています。とはいえ、私が多くの時間を過ごしているのはカルナータカ州なので、南インド全体を網羅できている記事にはなっていないこともご了承ください。
1. 沿岸地域のピックル:海の恵みを生かす
南インドの沿岸部、特にマンガロールやケーララ州では、海産物を使ったピックルが家庭で親しまれる定番の保存食です。沿岸地域ならではの新鮮な魚介類を使い、南インド全般でよく使われるジンゲリーオイル(太白ごま油)やひまわり油に加えて、ココナッツオイルや酢、タマリンドの酸味がピックルの風味を引き立てています。
沿岸部で人気のフィッシュピックルには、キングフィッシュや鯖(マカレル)などの魚がよく使われ、またエビやイカを使ったシーフードピックルも定番です。これらのピックルには、マスタードシードやフェヌグリーク、カレーリーフといったスパイスが豊富に使われ、酸味とスパイスのバランスが絶妙に取れています。北インドではよく使うコリアンダーはあまり使いません。代わりにクミンやクローブほんの少し入れてカシミーリチリもしくはビャダギチリをたっぷり入れます。
魚をスパイスと一緒に漬け込む過程で乳酸発酵が進み、旨味が引き出されるとともに保存性が高まります。また、魚の加工方法として揚げたり、干したり、燻したりすることも一般的で、素材の水分を抜くことで保存性を高める工夫がされています。その工程が味のバリエーションを生む要因となっています。さらに、タマリンドやビネガーを加えるタイミング、スパイスを焙煎する方法など、細かなプロセスの違いがそれぞれの家庭や地域で個性豊かな味わいを生み出しています。

2. 山岳地帯と丘陵地のピックル:伝統と自然の共鳴
山岳地帯に位置するカルナータカ州のコダグ(クールグ)などでは、豚肉を使ったピックルが地元の特産として知られています。
ポークピックル(クールグ地方)
クールグ地方のコダヴァ族の間で豚肉が親しまれる背景には、深い歴史があります。18世紀、マイソール王国のティプー・スルタンがこの地域を支配し、イスラム教への改宗を強制しました。これに対し、コダヴァ族は自分たちの文化と信仰を守るために抵抗し、イギリスと同盟を結んでスルタンと戦いました。戦後、イギリスから銃の所持を許された彼らは、猪狩りが盛んになり、その結果、豚肉料理が発展していったのです。その中で保存食として豚肉を常温で3年も保存できるような「ポークピックル」が生まれました。これはアートオブピックルが製造している「インド戦士の強いポークピックル」の背景になっている話でもあります。野菜ピックル(高地の家庭料理)
また、山岳地帯では、熟れる前のジャックフルーツを使ったピックル(カンナダ語で「グッジェ・ウッピナカイ」)も美味しいです。また、カレーリーフを使ったピックル(テルグ語で「カリヴェパク・ニルヴァ・パッチャディ」)も人気があります。カレーリーフの芳香とタマリンド、インドのきび糖(ジャガリー)の甘酸っぱさが絶妙に調和し、ドーサやイドゥリとの相性が抜群です。
3. マンゴーのピックル:地域に根ざしたマンゴーの様々品種
南インドのマンゴーピックルは、農村部の伝統を象徴する保存食です。その中でもアーンドラ・プラデーシュ州で有名な「アワッカイ」と、タミル・ナードゥ州で特に人気の「マワドゥ」は、南インドならではのマンゴーピックルの代表格といえます。特徴的なものを2つほど紹介しますが、これはほんの一部でマンゴーの種類は無数にあります。
アワッカイ(Aavakaya)
アーンドラ・プラデーシュ州を代表するマンゴーピックルで、南インド全域で愛されています。このピックルは、未熟な青いマンゴーを主材料に、レッドチリパウダー、フェヌグリーク、マスタードシードを加え、たっぷりのジンゲリーオイル(太白ごま油)で漬け込むのが特徴です。特に「非加熱」で作られるため、マンゴーのフレッシュな風味を活かしたまま、スパイスの複雑な香りが引き立ちます。マワドゥ(Maavadu)
一方、タミル・ナードゥ州では、幼果(ベビーマンゴー)を使った「マワドゥ」が人気です。このピックルは、マスタードシードをペースト状にしてマンゴーに絡め、塩と唐辛子、わずかなターメリックを加えて漬け込みます。熟成が進むと、ベビーマンゴー特有のオリーブのような風味が生まれ、滑らかな舌触りと複雑な味わいを楽しむことができます。
マンゴーピックルの多様性
南インドのマンゴーピックルは、マンゴーの品種や加工法の組み合わせだけでも数千通りのバリエーションがあり、地域や家庭ごとに全く異なる味わいが生まれます。品種によって、酸味、甘味、繊維感、果肉の硬さが異なるため、同じレシピを使っても出来上がりに個性が出ます。
例えば、アーンドラ・プラデーシュ州では「バンガンパリ」や「ネラム」などの品種が好まれ、濃厚な酸味と鮮やかな色合いが特徴のピックルが作られます。一方、タミル・ナードゥ州では「センダウラン」など、小ぶりで繊維の少ない品種が使われ、ややマイルドでフルーティーな風味のピックルに仕上がります。
また、チェンナイに拠点を置く「PANAKAM(Tradition in a Bottle)」が展開するマンゴーピックルも非常にユニークです。このブランドでは、伝統的な製法を活かし、太陽の光で発酵を促して熟成させる工程が特徴です。結果として、発酵食品特有の深い旨味と濃厚な風味が生まれ、「万田酵素」にも近い複雑な味わいになります。初めて食べた時はマンゴーからできていることが信じられなかったほどです。PANAKAMのピックルは、今やフランス料理の世界でも注目されるほどになっていて、ピックルは今やインドを飛び出して世界で保存食として注目を集めています。

アートオブピックルの尾道レモンのピックルはPANAKAMのNARTHANGAI CITRON PICKLE に似ています。青レモンから作って熟成しているからかもしれません。
4. 都市部と現代のピックル文化:新しいスタイルの台頭
都市部のベンガルールやチェンナイでは、伝統的なピックルのほか、現代的なアレンジが加わった多様なスタイルのピックルが登場しています。商業用のピックル製品も多く、健康志向に応じた商品も増え、幅広い層に支持されています。
健康志向のピックル
一部のブランドは、塩分や油分を抑えた「低塩」または「ノンオイル」ピックルを展開しています。これにより、伝統的な味わいを損なうことなく、健康意識の高い消費者層を取り込んでいます。
フュージョンピックルの台頭
都市部では、伝統的なピックルに斬新なアイデアを取り入れた「フュージョンピックル」が人気を集めています。たとえば、「ケールとマンゴーのピックル」や「オリーブとジンジャーのピックル」「ビターオレンジと筍のピックル」など、ユニークな組み合わせが話題になっています。これらの商品は特に若い世代の消費者に支持されています。


まとめ:多様性が生む南インドのピックル文化
沿岸部の魚介ピックル、山岳地帯のポークや野菜ピックル、農村部のマンゴーやゴングラのピックル、そして都市部の新しいスタイルのピックル——実際、南インドのピックルを一括りに語るのは難しいほど、その多様性は宗教、階層、地域の気候など様々な要素によって生まれています。まだ我々はピックルの世界への入り口にいます。まだまだ奥深い世界が広がっていますので、ぜひ現地でその魅力を直接確かめてみてください。私もまだ旅の途中です。この文章は一緒にピックルの旅を楽しむきっかけになれば幸いです。
アートオブピックル
日本で唯一のインド漬物 (ピックル) 専門店。オーナーa.k.a.neko-chanはインド渡航を10回以上して料理を学んだのち、流れていないはずのインドの血がさわぎ3年間南インドの都市ベンガルールに移住。SOULとLOVEを材料に、全国各地でポップアップ出店を行いインド料理 (カレー)出店を続けている。インドから尾道に移住後まだ日本では認知の薄い南インドの漬物ピックルの可能性に着目しArt of Pickle(アートオブピックル)開業。話題の新製品「尾道レモンのピックル 」 はインドのおばあちゃんが作る伝統的な作り方をオマージュしつつ、尾道レモンの深みのある酸味とスパイスの苦味香りがギリギリのラインで調和する。本場インドのベテラン料理講師から「インドのより美味しい。これがあればカードライス(ヨーグルトご飯)3杯いけるわ。」 との高評価を受けている本格派のピックル。地元の素材を活かしたピックル開発のアドバイザー(予定)。インド料理講師、尾道フィッシュマサラクラブ調理担当、 尾道ビリヤニミールスクラブ主催、カレーと音楽のおまつりCurry NoDEのオーガーナイザー、本業はカレー縛りの回文のテキストを900個以上蒐集しData to Artの実践を行う”カレー回文師”と名乗る。猫は黒猫派で細い道に迷い込みがちな多動症。