見出し画像

三渓園 中秋の名月 観月会 19.09.12 18:00

三渓園で恒例の観月会が始まった。
つまり中秋の名月に向けて月を愛でようという企画。
中秋の名月自体は明日の夜なのだけれども、どうも明日は曇天の予報。
なので、中秋の名月イブを楽しむことにした。

画像3

月を愛でる。なんとも良い響き。
夜は街灯に照らされた明かりの絶えない街で暮らしているから、あまり月に思いを馳せるっていうことは少ない。
でもそんな生活ができるようになったのも、太平洋戦争が終わり、高度経済成長の結果。
それ以前の日本に街灯がまばゆく灯る街なんて珍しく、一般の人が住む辺りは夜になれば闇に沈むもの。街灯だって横浜は開国以来ガス灯が灯ったけれども、それとて今と比べたら心もとない炎の瞬き。

画像4

将軍も、天皇も、公家も、侍も、商人も農民も皆夜は闇の中だった。
そうなると夜の明るさは月が次第となり、歴史上夜の大事は大概満月のとき、夜の悪事は大概新月のときと決まっていた。なにしろ闇で見えないのだから仕方がない。太陽が出ようが出まいが常に明るい昼間に比べて、夜の明るさは月まかせ。月は日常に密着していた。

画像5

そういう中世、近世の生活環境で、秋の収穫の時期に満月を愛でようという発想は至極当たり前のような気がする。もっとも、生活に余裕がある階級に限ってではあろうが。
夜の明るさを月に頼らなくても良くなった現代では、風流な習慣だけが残った。市井の市民の中にまで浸透して。

画像6

三渓園もその風流な習慣を踏襲して、中秋の名月の前後、閉園時間を延期して建物をライトアップして園芸を催して、有り難いことに市民に月を愛でる空間を与えてくれる。

画像7

そんな文化の中で毎年恒例の三渓園の観月会は行われる。
ランドマークの三重塔がライトアップで照らされると観月会も本番といった感じ。今年は、内苑の臨春閣が屋根の葺き替え工事のため演芸は旧燈明寺本堂で行われる。内苑の芝生に腰を下ろして聞く演芸も好きだたのだが残念。
旧燈明寺本堂で今年は琵琶の演奏が行われていた。当然奏曲は平家物語。盛者必衰の平家物語は満月の下で聞くには悲しすぎる。我が望月も秋の空。自重の大切さ、慎まないと自嘲ということに。


画像1

月見には団子を飾るのが昔からの風習。今なら良いが、世が世ならば団子を飾れるほどの立場であったことが肝心。
日本では、月にはうさぎが居て餅をついていることになっている。団子じゃないんだ。
お供えはなぜ団子なのだろうか?団子がごちそうだった頃の習わしなのか?今となっては食べるとなるとただの団子じゃ味気ない。
時代はめぐるが月は今も昔も変わらない。

画像2

そんな事を思いながら回る三渓園の夜。
一瞬月が雲間から顔を出した。
天候には割と恵まれるタイプ(笑)
人生の運を殆どそのことだけに使っているかもしれない。
月でうさぎが笑ってみている。




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集