足と犬 - 記憶を辿りて-
かすかな わずかな まだそこそこの 緊張を片足に 抱えて、まだ
湿った雲の重さから、
いつの日か何かが現れそうな気配があるような、昔暮らした村にはそれがあった。直線の道だけが一本、家の前を通る
低い それでも比べるものは無く、ただ高い空と歌われると、そのままの高さを、そのように高く思い、我慢を強いられれば、それだけの低さになり、怯え、皆低身長のままで。多分。空はそれでも、なお、高く思えた。
消えたあの人達 のことを頻繁に、いやたまに、都合のつく時だけ、バカになったのかという位に 頻繁に思い出し、あの人達の中の一人が、飼っていた毛の短い、小柄の、足の速い美しい犬も その映像のすぐ後に 思い出せる。
重なり合う時間 そのわずかな差異の中に消えた人々と 美しい犬が重なって現れる。
高い空、やはりそれは今となっては苦しいほどに低く、しかしそのかわり生々しくも あり、もう既にうんざりとしたものなのだが
村は混ざり合う匂い。
釣り人の餌も、食卓のご飯も。
犬は、チョンコという名だ。今でもその素早い足どりから連想してその名を思い出すことができる。あの女の人の楽しい相棒、女の子。いつもきれいな
近眼野郎の指導者ども 等 が、まだなお。
どこ向いて話していたのか 声だけここに 残響音の名残りが、私をイラつかせる
チョンコ、平和な象徴者たち つまり消え去った者 その名残りは ふわふわと立ち上がり、前方に現れる時は私は力を失いかけていて、後方やや左寄りに現れる時、私は自立しかけ、歩を進めようとしている。
しかし、決して進まなかった、私は。何かが崩れる予感が既にあったから。 後方やや左には、薄らと疚しさのような影があり、傷跡の様な 皮膚が奇形的に再生されて、世間的な風を受ける様に、そんな疚しさが熱を持ってあった の だった。
そこに、消えた人々、チョンコは今いる。
控えている 様な気がした。
何かで覆いたい想いだろうか 古い毛布でもいいから。
罪があれば、その数だけその気にされ、結果として弱り果て 風に吹かれて去ってく向こうにボンヤリと刺さるその膨らむ意識。それは、まとわりつき、痛みを増す。そして飼いならされていく。
そう、その正しさは 植え付けられたその意識は 作られた罪の代用物。そして作りものの偽善だけが、草原のように広がり、何もかも一緒に跳ね上がる。全て か ゼロか。そうとも限らないと、未だ思うのが、善良さ。
片足に残る僅かな痛み。
ぎこちない歩き方
それは、耳を構え、静かに、
大都会の理解に苦しみ、そもそも知らない話し言葉で投げかけられ、その人間の、型紙が。つまりは、話し言葉で語られない背景のことが。 そこに景色は無く、驚くことはない つまりはそれは、嘘ではないが、安っぽいエゴ つまりはそこに争いが。そして消し去られた被害者、等。それ等に勝る私たちという、小さな、微小な、守るべき小径。つまりは、。
片足は歩き出すために痛んだのではなく、耳を傾けながら、後ろに一歩さがった為に来た痛み
貴方の取り巻き、守るもの。貴方のやり方のことを。。見え透いた虚栄。それに従順な、足。
貴方のどこかに、数千歩の足跡一つでも!
かつて片足は肥満児だった。
短パンを履き、着席すると冷たくて、見ると平たく丸く伸びていた。
とても善良なものに、今 思い出せる。
チョンコをその片足を使って追いかけた/のだ
黄色い花を摘みにいった/のだ
補助付きの水色の自転車も漕いだ/のだ
私は足が痛い
笑いながらの談笑 消え去った人々の。今記憶の中で。
それを、微笑みながら心地よく聞いていた。そうチョンコは走るのが好きで、私たちの周りを走り回っていた。
だが、今は未だ片足が痛い。
立場が持つ力、それを聞く足。そう、態度だ。聞く態度のことなのだが。
未だ足が痛い。
夜も
更け、
疲れ切って
腹も減り
前へ
もう片方の、痛まない足で
安っぽさから方向を変えて。
風が吹いた先の
あの山の向こう側のさらに奥
優しさの彼方へ
遠回りのその後に、
別れの後に、根源の姿を追い
一本の足は前へ踏み出し、もう一本がそれを支え、それを交互に繰り返し、遠く、遠く。