
纒向遺跡(奈良県桜井市)
纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)
今更説明のいらないような有名遺跡です。
「纏向遺跡」とも変換されますが、桜井市のホームページや様々な"公式"な物を見ると「纒向遺跡」と書かれてるのでこっちの字が正しいのでしょう!
簡単に説明すると
纒向遺跡は邪馬台国です。(←言い切る人)
九州よりも近畿に愛着のある僕なので、どうしてもそっちに持って行ってしまうのですが…そもそも邪馬台国論争については100人いれば100人が独自の考えを持っているかのような群雄割拠な状態になってる部分もあるんですが、その中でも有力なのが「九州説」と「畿内説」と言われてます。
しかし、「畿内説」では無くて「纒向説」と言って良いくらい、纏向遺跡が邪馬台国であると声高に唱えても良いくらいの材料がどんどん出てきているのです。

今回訪れた、三棟の大型建物が見つかった場所。
これが卑弥呼が生きた時代に建てられた建物であると推定されています。また木製の仮面も出土しており、巫女などによる祭祀に使われたと考えられているのです。
あと、これは僕知らなかったんですが、3世紀前半のベニバナの花粉が見つかってまして、これは染料や化粧品に使うらしいんですけども、これは日本には自生しないらしいんですね。エジプト原産なので、大陸との交易があったことは間違いないと考えられるようです。なるほど。
そして何よりも箸墓古墳!

卑弥呼の時代に作られた、日本最古の前方後円墳です。(今回も素通りせずにしっかり挨拶に立ち寄りました!)
魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の墓の大きさが、この箸墓古墳の後円部の直径と一致するのです。(九州ではそのサイズの古墳が見つかっていない)
そして時代も一致する…
他にも、魏から卑弥呼に送られた鏡ではないか?と言われている三角縁神獣鏡が大量に見つかった黒塚古墳もすぐ近くにあったりと、まあ色々とあります纏向遺跡。
そんな纏向遺跡の推定範囲は南北1.5キロ、東西2キロにも及ぶのですが、現在調査が終わっているのはそのうちの2パーセントにも足りていないそうで、むしろその2パーセントだけで既にそれだけの邪馬台国であると推定できる調査結果が出てるのが恐ろしすぎるくらいの遺跡なのです。
これは纒向遺跡=邪馬台国だろー!
昔からずっと思ってたんですが、最近ではついに教科書の「邪馬台国」のふりがなが「やまとこく」も併記されていると聞きました。
やまとこくと言うことは、ヤマト政権と同じと考えるのが自然ではあるので畿内だろうと。可能性としては邪馬台国移動説ってのもありまして、九州にあったものが畿内に移動したとかその辺りになるんでしょうが、その辺は深掘りしてもキリがない部分ですね。
と言うわけで、この度はしっかり邪馬台国を歩いてきたわけなのですが、なんせ暑かった。とっても暑かった。

しかし、子供の頃に夢見た「邪馬台国」を今歩いてるんだと思うと、暑さなんか忘れてウロウロしとりまして、気付けば7キロくらい歩いてました( ̄▽ ̄)
まあ、先ほども言ったように、まだ2パーセントなので、ほとんど史跡整備なんてものはされてないんで、歩きながら地形を見ながら古代に思いを馳せる感じなのですが、またそれが良い。とても良い。



憧れていた箸墓古墳、山の辺の道とセットで(黒塚古墳もセットでいけます)おすすめのコースです。大神神社も寄ると良いです。車は停める場所事前にしっかり調査しといたんでスムーズでしたが、駅も近いので電車でも良いかもです。(これからも何度も行く気満々です。)
そんなわけで、山の辺の道と纒向遺跡を堪能した僕は、飛鳥へと向かうのでありました。