五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(兵庫県淡路市)
五斗長垣内(ごっさかいと)
うーん、読めん!笑
さて、この五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡なのですが、今からおよそ1,800~1,900年前の弥生時代後期に鉄器づくりを行っていたとされる、丘の上につくられた村の跡です。平成24年9月には国史跡に指定されました。
去年、淡路島の現場で働いてた時にも会社の先輩から
「淡路島なら、五斗長垣内遺跡は必見ですよ!」
と言われていたのですが、結局行けてなかったので今回行ってきました!
阪神高速神戸線の渋滞を回避するため、朝の4時半に出発。
大阪から淡路市は近かった…
遺跡内(?)に、駐車場付きの「五斗長垣内遺跡活用拠点施設」と言うのがあったのですが、そこは9時からの営業なので元々行けないのは承知の上でしたが、駐車場に車を停めさせてもらい夜明けを待つことに。
日の出(7時過ぎ)まで1時間…
暗闇の中、綺麗な夜空の星を眺めながら遺跡について調べておりました。
発掘調査によりますと、ここでは「23棟の竪穴建物跡」が見つかり、その内の12棟が鉄器づくりを行っていた「鍛冶工房」であったとのこと。
100点を超える鉄製品をはじめ、多数の石製工具類なども発見されており、当時貴重であった鉄器をつくり続けた村として周辺の地域にも大きな影響力をもっていたのではないかと考えられているようです。
鉄が貴重であった時代にこれほど多くの鍛冶工房が発見された遺跡は少なく、しかも同じ場所で100年以上も続いており、当時の社会の様子を知ることができる貴重な遺跡だとされています。
なるほど!
これは貴重な遺跡じゃ!
しかしこの遺跡が発見された経緯が面白い
04年、淡路島を襲った台風23号でため池が決壊し、棚田が土砂に埋まるなど大きな被害に遭う。復旧のための農地整備で、貴重な建物跡や多数の出土品が見つかったのだ!
今でも、日本の各地に重要な遺跡が眠ってるんだろうなと思えるようなエピソード。
また、この遺跡の周囲の山でもたくさんの遺跡が見つかっており、そうなると、それらも含めて複合的な一つの大きなクニだったのでは?との仮説も出てきます(それらが邪馬台国の時代に急速に消滅しているのも興味深いトコロ)ので、そこの調査が進めば淡路島の歴史的な価値が再評価されることになるのではないかと思われます。
ちなみに、この難読な五斗長(ごっさ)はこの地域の地名。
水不足に苦しむ山地のため、「米を五斗作っただけで長になれる」を意味する「五斗長(ごとおさ)」となり、短く「五斗長(ごっさ)」に変化した-など由来には諸説ある。
ここに限らず、淡路島の地名は面白い。
古代の地名がそのまま存続している例が多いので、調べてみると良い暇つぶしになりますな( ̄ー ̄)
そんなこんなで夜明けを迎え、遺跡をウロウロ
この遺跡、淡路島の西側海岸線から3キロメートルの距離にある丘陵上に位置していることから非常に景色が良い!とても良い!
冬じゃなければ、もっとゆっくり散策した所なのですが、あまりに寒いので程々で撤収となりました。
しかし、日本列島最大規模の鉄器生産集落(住居として使われた建物が少なく、鉄器生産に特化した特異な遺跡だそう)を早朝から満喫し、意気揚々と次の目的地へと向かうのでありました。( ̄▽ ̄)
それにしてもこの日は風が強かった
天気の良い暖かな日の昼間に訪問するのをお勧めします。笑
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