土塔(堺市中区土塔町)
「土塔」とは、堺市中区の土塔町にあります「土と瓦で作られた十三重の塔」の史跡で、かの有名な「行基」により、西暦727年頃に造られました。
土塔の各辺は東西南北の正方位に一致し、基壇の一辺は53.1 メートル(180尺)、高さ8.6 メートル以上(30尺を超える)に及び、四角錐で頂部が平らな13重の塔であったと推定されている。(Wikipediaより)
その平らな頭部(円形だったらしい?)には、八角形の木造建物が建てられていたとも言われているし、実際にその建物を描いた絵図もあるらしいのですが、それを示すものは見つかっておらず残念ながら裏付けはとれておりません。
そんな土塔ですが、何も無かったところに突然土塔だけが造られたわけではなく、行基が建立した大野寺と言う寺がこの辺り一体に広がっており、そのお寺の境内に建立されていた感じのようです。
ちなみに今でも大野寺は存在してるのだけども、当初の大野寺は室町時代に火災で焼失して、江戸時代に規模を縮小して土塔の前に再建されて今に至っております。
んで、室町時代や江戸時代の絵図にはしっかり大野寺とともに土塔が描かれているわけなのですが、この場所は大正時代から
「なんか文字が刻まれた瓦がやたらと出てくるんやけど!」
と有名な場所だったとか。
んで、研究もされてたのだけども、この「土塔」に関しては「古墳なんじゃない?」とされていたそうです。(絵図があるのに何故そうなるのかは疑問がありますが)
んで、この土塔は、どう言う経緯か元々私有地だったらしく、戦後に所有者が土取りを行うために北東の4分の1が破壊されたらしく、「なんかアカン気がする!」と大阪府が緊急調査!
調査したところ
周辺に環濠がない
埴輪が出ない
葺石も無い
でも、人の名前とか刻まれた瓦はゴロゴロ出てくる
うーん
古墳じゃ無いよね、これ。
と言う結論が導き出され、とりあえず周辺の土地を国が買い取り「国の史跡」としたらしいのです。
そんな土塔の形状なのですが、「階段ピラミッド状」で、インド由来の仏塔の原型に近く、東南アジア周辺の塔に類似しているらしく、なかなか日本では見ない物ですが、昨日会社の先輩に聞いたところ、奈良に「頭塔」と言うものがあるらしく、「他にも岡山?の方に無かったかなー?」と言うてました。
とにかく、珍しい史跡なのは確かです。
今回で土塔を見に来るのは5回目くらいなんだけども、初めて駐車場の存在を知りました。しかもすぐ側に…。
これまでこっそりコンビニに停めたりしてたのにー。(やめましょう)
そんな土塔からは、奈良時代から江戸時代のものまでを含め1171点の文字瓦や絵画などを描いた物が出土しているが、重要文化財に指定された出土物は、瓦范による神亀4年の型押銘がある軒丸瓦残欠2点、刻書瓦780点、刻書須恵器残欠4点、銭貨残欠2点、刻書瓦残欠294点の総数1082点の遺物で、その総量は、重量27435 キログラムにのぼる。
堺市博物館に保管してるみたいだけど、、、邪魔だろうなぁ
(; ̄▽ ̄)
ちなみに「神亀4年」と言うのは西暦727年で、平安時代に編纂(へんさん)された『行基年譜』と言う本には、土塔は神亀(じんき)4年(727年)に建立されたと記されているため、裏付ける資料でもあるわけです。
また、それ以降の各時代の瓦が出土していることから、定期的に修復とか整備とか繰り返してたのかなと言うことも分かるわけですね。
なるほど!
瓦に刻まれていた文字は人名が多いようなので、これはもしかしたら今で言う「クラウドファンディング」みたいなものなのではないだろうか!と思ったりもします。(注:個人の感想です)
そんな土塔ですが、かなり存在感はありますが割とひっそりと佇んでるので、ぜひ一度行ってみてください。ゆっくりした時間が流れていますが、すぐ脇で警察官が一時停止違反の取り締まりをよくしてるのでご注意ください。
そんなわけで、駐車場もある心優しい史跡「土塔」です。
お気軽に訪問ください( ̄▽ ̄)
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