時代によって変わる仕草 #21
前回の記事で、感情を表現する様々な仕草についてお話させて頂いた。
両手をお腹の前でモジモジさせたりする動作が、照れたり恥ずかしがっているという感情を表現しているように、誰もが理解出来る共通認識にうったえる仕草を用い、それらの動作一つで演じている場面や感情を提示することができる。言葉を用いずとも感情を伝える為に必要な要素となるわけだ。
しかし、仕草というのは時代や文化の違いによって伝わらないことがある
今回は、一部の人にしか伝わらない仕草や動作もある!
ということついてお話していきたいと思う。
共通認識で想像が生まれる
パントマイム表現というのは、見る側の認識に頼って表現することが多くある。演じている場面や表現している物が無対象である場合、それらは脳内で場面を想像し、補完していただく必要があるのだ。
想像の助けとなる曲を流したり、小道具や衣装によって更に場面を想像しやすくすることもある。例えば白衣をまとっていたら、お医者さんなのかな?と頭によぎるくらいには、その職業の人ならではという動作や装いというのがあるものだ。
しかし、仕草のみで場面を表そうとした場合、それが何の仕草なのかを知らない人には理解出来ないことも出てくるのだ。
その場面を知っているか
例えば、ゲートのように置かれた枠の中を通過して、ブザーが鳴るという場面を演じるとしよう。
その後、腕時計を外す動作や、ポケットの中身を出したり、ベルトを外す動作を行う。そしてもう一度枠組みの中を通過するが、再度ブザーが鳴る。
このような場面を演じていたとして、大体の方は空港の手荷物及び身体検査の場面だと理解出来るだろう。しかし、この空港の身体検査の流れを全く知らない人だって程々にいると思う。小さなお子さんは知らないかもしれないし、当たり前だが、飛行機がまだ一般的ではない時代だったら当然共通の認識ではなかっただろう。
時代で言うならこのような事例は他にもある
・電話をかける
(黒電話、プッシュ式の電話、電話BOX、折りたたみ式携帯)
現代の小学生から中学生くらいまでの子はスマホがメインであり、自宅に固定電話を置かない家庭も増えてきているので、動作をみてもピンとこないかもしれない。
・電気を点ける(紐を引っ張る動作)
ぶら下がっている紐を引く動作で電気を付けたり消したりする。今はリモコンや壁のスイッチでON・OFFをするので、把握していない世代もいるだろう
・廊下に立たされる、チョークを投げられる
学校においての動作は大きく変わっているものが多い。特に体罰になるようなことは一切NGな時代において、学園モノでは定番だったような動作も知らない世代は確実に増えて来ているはずだ。
伝わらない動き
その時代を生きていた人にとっては、一般常識であり、知らない人を見つける方が難しかったような動作でさえ、移ろい行く時代の中では既に共通認識じゃなくなっている仕草も多くあるだろう。
他にも
・親指と小指をたてて、耳元で振る(「電話するね」の合図)
・コマネチや、カトちゃんペッ、アイーン、ヒゲダンス
昭和のギャグも動作だけで当たり前のように理解されていた時代が過ぎ去り、今後通じなくなることは間違いない。
・小指を立てて、お腹の膨らみを表し、人差し指で鬼の角を表す(妻が妊娠して気が立っています)
当たり前のように使われてたお約束みたいな動作だが、これももう伝わらないのでは、、そもそも小指を立てて、女性を表す表現もここ20年くらい現実では見ない動作だと思われる
このように時代と共に失われていく仕草や動作がある。
それは現実として、その動作を使っていた人や、表していた物そのものが日常から失われたということだ。流行り廃りのある世界の中では今後も避けられないことだろう。
パントマイム表現は時代の認識に合わせなければ、観ている層に伝わらない。年配の方が沢山いる会場で披露するならば問題ないだろうが、子供たちが沢山観ているような場所においては、その動作からは場面が想像出来ないということが出てくるのだ。
今後消えていく可能性のある動作
最後に今後通じなくなる可能性のある動作をいくつかピックアップしてみたい
・タバコを吸う
紙タバコがどんどんと市民権を失っている現代において、マッチやライターの表現、そして紙タバコに火を付けるまでの仕草は伝わらなくなっていくだろう。そもそもマッチを知らない世代は結構いるそうだ
・車を運転する
鍵でドアは空けない、ボタン式だ。バックする際に後方を見なくてもナビが後ろを表示してくれているので、かつては女性が好きだと言っていた、車をバックさせる時にシートに手をかけ、後方を見るという絵面も見られなくなっている。さらには、今後自動運転が当たり前の時代になれば、運転するという動作も、個人が免許を取るということすらも無くなっていくだろう。
・ロボット振り
ASIMOが誕生したのは2000年なので、もう20年以上前となる。
ロボットは映画「ターミネーター」に登場する人型ロボットのようにスマートに動けるようになり、テーマパークで見られるようなカクカクとスローで動くロボットはどんどんと少なくなっている。
最近発表されたロボットはAI学習により、平均台を渡ることも、ジャンプすることも、なんなら台上からバク宙で降りることすら出来るようになっている。人よりも高難易度な動作がスムーズに出来るようになっている時代に、カクカクとロボットのように動けるのはパントマイミストだけになるのかもしれない。
時代の流れと共に変化する
住む国や文化によって動作の意味は変わってくる。
時代や人々の共通認識の中に存在するものを活用するのがパントマイムである以上、それは常々把握して振り付けをしなければならない。
我々が江戸時代の慣習や意味を持つ動作を、ハッキリと認識していないように、時代が変われば動作の意味や感情表現の仕方も変わってくる。
パントマイミストとして活動するのであれば、これらの時代の変化は敏感に感じていなければならないだろう。”全てを真似る”のがパントマイムの語源であるように、我々は世界に存在する物事を自身の体で表現する。
時代毎の哲学や社会問題、また求められているものだって変化していく。
失われていくものもあれば、新しく生み出されるものもあり、それらは全てその時代の人々が普段から体で表現しているのだ。パントマイムもそれと同様に変化していくものだと自身は思っている。
肉体的な感情表現は普遍的に変わらないことが多い、しかし時代的な意味を持つ動作は変わってくるだろう。《電話するよ》という動作も電話そのもののシルエットが変わったから変化するのは当然なのだ。
感情から起こる体の仕草が変わらない一方で、時代ごとに変化してく仕草や動作。変わるものと変わらないもの、その両面を認識した上で、新しい時代ならではの動作を生み出していくのもまた面白いかもしれない
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