ビジョンを達成する"スマイルプロジェクト"始動しています!
スマイルプロジェクトって何だろう?
それぞれ、みなさんの中に既にあるビジョンを具現化する。
それが、スマイルプロジェクトです^^
書道家セラピストちひろのビジョンは?
書道をスタートした経緯。(幼少期〜)
Threadsでも少し触れているのですが、私は書道が好きで幼少期から高校一年生まで続けました。書道をスタートした理由はこちらのThreadsに記載しています。
ゆる〜く活動していますので、よろしければ繋がりましょう!
書道家セラピストちひろのThreads
@smilechimで検索すると出てきます🙋!
書道から一度離れる。(高校、大学、社会人時代)
高校一年生の時、師匠となるおばあちゃん先生が書道教室を辞められることを機に新しい先生に引き継ぐとのこと。
もし続けたければ新しい先生を紹介します、と言われました。ちょうどその頃の私は第一志望校の高校へ進学して、高校は文武両道に重きを置く学校。私は器械体操部に入部、勉学にも励んでいました。
何でも取り組めるほどのキャパがあれば良いですが、ここは部活と勉学に集中しよう!と心に決めて、泣く泣く一旦書道教室から離れました。
とは言っても、書道好きで、高校に入学した時も希望を出して書道クラスへ。(希望が必ずしも通る訳ではないので運が良かった。)
一年席は全部で9クラスあったうちの1組と2組は書道クラス、3組と4組は美術クラス、5組から8組は音楽クラス(ここまでが普通科)、9組は被服科(着物やドレス、衣装などを手掛けたりデザインする科)と分けられていました。そして、私のクラスの授業で書道が始まりました。
書をする時には、息を吸って筆を置く(入筆)と同時に呼吸を一旦止めて、そこからゆっくりと息を少しずつ吐きながら運筆(筆を動かす)、終筆(トメ、ハネ、はらいなど)をします。そしてまた息を吸います。
例えるなら、
海にシュノーケリングなどで素潜りするときと同じです。
海面、地上に戻ってまた、胸を膨らませて、肺に空氣を入れます。
はぁー、海の中、心地よかったぁ、氣持ち良かった☺️
理学療法士との出会い
また高校2年の時に、書道とは別にわたしに人生の転機となることが起こります。
器械体操部でのけが。汗
(競技へ戻り、尾張大会出場し団体3位入賞、団体で県大会出場という結果を出しました。
日常に全く支障なく過ごしていますのでご安心ください😉)
冬場の肉離れでした。あれは痛かった~!
凝り固まった筋肉を無理をしてストレッチして、その後、練習の技をしたんです。そうそう!ムリが良くなかった。うん。大反省です。
腰痛と肋骨のひび(不完全骨折)も。汗
その時の治療で出会ってお世話になったのがスポーツ専門病院の理学療法士さんで、私も身体を治せる治療者になりたい!と強く思ったので、理学療法士の資格を取れる大学を目指して勉学に励んでいくわけです。
あと、もうひとつ。
当時の私、理学療法士になるのは私じゃなくても他の誰かがやれば良いんじゃないか?という質問を自分に問いかけます。
理学療法士は男性が人数的に優位(多い)職業だということを治療に通院している時に感じたんです。今日は女性のセラピストはいないから男性でも良いですか?、、という日もしばしば
けがをしたり、病をしたりした方を、心身ともにケアする(させていただく)ことって、とても、とても、繊細なこと。
だからこそ、女性が接していてクライアントさんが治療を受けて心から安心できる"女性の"セラピストになりたい!と思いました。
世の中には"女性の"理学療法士がもっと必要なんじゃないかな、必要とされているんじゃないかなと思ったんです。だから、高校一年生の私は女性であるというパーソナリティーを活かして、少子高齢化の社会で活躍出来る理学療法士を目指すことを心に決めました。
高校2年生と3年生の担任の先生は同じ先生だったのですが、「理学療法士は大変だぞ、学校の保健師(養護教諭)にしたらどう?」と私の将来を本氣で、心配してくださって薦めてくれました。体格も小さいし氣が強い方ではないことが、分かっていたからこその親心のようなものだと思います。
恩師の強い押しに負けて(笑!)、ひとまず保健師と理学療法士と両方受験しましたが、その結果、合格した理学療法士と保健師のどちらかを選ぶ時に、やっぱり熱意を持って仕事できると思ったので最終的に自分の意思で理学療法士を選びました。
夢だった理学療法士になる!
無事に国家試験へ合格して、社会人になりました。私は理学療法士の資格を得て、母校である大学の推薦をもらい、リハビリテーションの専門病院で4年間働きます。
こう書き綴ると順調そうにみえますが、楽しいことも沢山あったし、大変なことも沢山あったし、時には辛くて臨床後に泣いたこともあったけど、いつもやりがい感じながら仕事に取り組んで充実していたことを思い出します。
一番嬉しかったのは、クライアント(患者)さんが、心身ともに元氣になって自宅退院していくこと。
そして、自分を信頼し、一緒に働く同僚も上司や後輩も、医師も病棟看護師、介護士、ソーシャルワーカーの方もとても信頼していました。
三年目のある時仕事に慣れ初めて、不安を感じるようになりました。それは、この職場で私は今後何十年も仕事をやっていきたいのか?やっていけるのか。
その頃、自分への自信や信頼が感じられなくなっていました。
幼少期からアトピー性皮膚炎を持っていましたが、小・中学校で寛解していて高校の時には軽い花粉症と乾燥肌くらいに軽度になって見た目には症状が分からないくらいに改善していました。
しかし、大学の病院実習の時や病院勤務を始めた時にもアトピーがぶり返していました。薬を塗ったり飲んだりして何とか調整していましたが、良くなったり悪化したりの繰り返し。
個人的には、アトピーはストレスやメンタルに凄く影響されるな、と感じていました。
理学療法士を休職し、書道を再開!
その後、大病して26歳で一つ目の職場を休職。休職期間は三年間。
詳しくはアメブロにて。
休職した時に、もうほんっとうに、何もしたくない期間があって!笑
やりたいことを探したら幼い頃からやっていた書道があるじゃないか!と思い出して。それから、書道に没頭、のめり込みました。
ここで、二人目になる師匠に出会います。
書道をしている時、墨の香りに包まれて、思いの丈を筆で表現するのは至福の時間です。
書道にどっぷりはまっていましたが、理学療法士の仕事に戻ることを諦めてはいなくて(根性精神です笑)、復職支援をしているリハビリテーション施設でリハビリテーションを受けることになります。
理学療法士としてリハビリテーションを提供する立場から、自身がリハビリテーションを受けることになるとは。(うん?なんだこれは…!笑と思いました。)
そこで医療従事者もクライアント(患者)さんも、沢山の方関わってきましたし、話し合い、見聞きして、学び感じることが山ほどありました。これから作っていく健康アプリに活かしていきます!
30代の活動と今後の展望
30歳を前に自分の心に転機があり、カフェのバイトで復職、その半年後に新しい職場である外来整形外科で理学療法士の仕事をスタートして一年ほど掛け持ち(ダブルワーク)していました。マレーシアやアメリカなど海外へ渡航して見聞を深めたり、経営者の方や、個人事業主の方の考え方を知ったり思考力を身につけたりしながら書道を続けていました。この2年間の成長は凄まじかったと言われます。成長できる環境に身を置くことが出来て、本当に良かった。経験を積んで自己成長するのがただただ楽しくて嬉しかった。
そして、
2019年(30歳の時)に、日本、中国、シンガポールの3か国の若手書道家の方と国際交流展覧会出展を叶えられました。
現在、書を拡げたい、皆さんに届けたいという氣持ちから、日常に溶け込む書をテーマにbaseshopを開設させて頂きました。
書道家 千裕のbaseshopはこちら。(smilechim CTD.C inc)
今、高校の同級生でもある二刀流エンジニアの夫という、心強く、信頼の置ける凄腕なパートナーを得ました。お互いに苦手と得意分野が全く違って、相互補完的関係の夫婦です。
防災アプリ開発者でもある、夫のシビックテックの活動が朝日新聞に掲載されています。
そして、夫婦で力を合わせて共にスマイルプロジェクト始動し、どんな経緯のある方でも使える健康アプリ開発に挑ませて頂いています。その中で食事についての取り組みがこレシピ開発です。↓こちら!
長寿の果実と言われるクコの実を見つけました!杏仁豆腐に良く使われている実なのですが、スープやケーキにも使えます!
昨日、お茶に入れて飲みましたが、今まで飲んだ飲み物の中で、上位を争うほど美味しい😉
ビジョンを達成するには、健康体が必要不可欠なので、セルフケア情報を動画発信しています!健やかな心身作りに一役かってくれます。ぜひ、ご活用ください。
書道家セラピストちひろYouTube
今日も笑顔で^^
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