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うす汚れた靴のままで歩く
出かけようとしたとき、靴がうっすら汚れてるのに気づきました。
気になって手入れしようと思ったのですが、その靴に合ったクリーナーが見当たりません。
気に入った靴だったので以前に手入れ道具の一式を購入して、何度かメンテしたのですが、別の場所にしまったようで思い出せません。
その時履いたパンツが新調したものだったのでなおさら、靴の微妙な汚れが気になります。
他の靴にしようとも思いましたがちょっと色味が合いませんでした。
その汚れは前から気づいていたのでその時メンテしておけばよかった、と思ったもののあとの祭り。
時間もないのでしょうがなく、次善の策を、とそのときできる範囲のブラシでホコリを払うことをして外出しました。
帰宅したらクリーナーを探し出して今度こそはきちんとメンテナンスしておこう、と思ったのでした。
さて、何かを始めようとするとき、完璧な状況を揃えておきたいものですよね。
そうすると気分がいいものです。
いつもそうあれたらいいなと思いますが、現実はなかなかそうもいきません。
実際、完璧な状況が揃っていることの方が少ないでしょう。
とくに、何か新しいことを始めたり、学んでいる最中や成長途上にある時は尚更です。
どうしても思い描く理想状態から遠い状態のまま、矛盾や不整合を抱えたままで進まざるを得ません。
何かができるようになる、成長のとき、枠を超えようとするときとはそうしたものでしょう。
この状態、感覚的には相当気持ち悪いです。
できれば避けたいものです。目をつぶって見ないことにしたくなったりします。
とはいえ避けれぱ進めないし、気づかないフリして対応しないでいると後でよりやっかいな障害になって現れてくるものです。
だから成長を望むなら、気持ち悪い状態を受け入れて、ここを通り抜ける必要があります。
矛盾や不整合、理屈に合わない感じ、できない感覚、…など。こうした気持ち悪さをいったん心のまな板の上に抱えたまま進んでいく力が必要です。
このような不整合を抱えたまま進んでいくことで、そのうち処理する力がついたり理解の枠組みが広がったりして、整合していきます。
できたらスマートに進みたいですが、この年になって感じるのは、結局人はこのように気持ち悪さを抱えて、カッコ悪かったり、もがいたりしながら成長していくしかないんだろうな、ということです。
白鳥はすまし顔で泳いでいるように見えますが、水面下では足をバタバタいわせて水を掻いているとのこと。
これからも半端な自分や不整合を許容しながら、でもそこに甘えもせず、自己成長の道を歩んでいこうと思う秋の午後でした。