【読書感想】学校の中の発達障害 by 本田秀夫
次男の就学を検討する時期にこの本に出会えたことはとても良かった。
子どもの発達に心配があり、あれ?と思いながら診断をもらい受け入れるまでには親には相当の時間が必要である。私も次男が3歳から療育に通い、それまでもなんかあるかもなと思いはしていたものの、発達障害だと認め受け入れるのには時間がかかった。この"障害"って言葉を自分の子どもにあてはめることにすごく抵抗があった。いや、今でもある。
早期療育の大切さは子どものため、というより親が受入れるまでに時間がかかるからそのためには少しでも早くしかるべき機関で相談し子どものことをなるべく客観視して現実を受け入れるスタートラインに立つことだと思う。気づかないとどうしても何歳までに〇〇ができる、の普通の呪縛に囚われて子どもに無理強いをしてしまうことになる。
これは発達障害有無に関わらず言えること。苦手克服(ボトムアップ)に注力してしまいがちだけど、それってわざわざこどもに自信を失わせる要素に注目させている。誰だって苦手や嫌いなことより、得意で好きなことをしている時間の方が楽しいに決まってる。それなら、「できない」の克服じゃなくて「できる」を「もっとできる」にしていくほうが人生が楽しくて豊かになる。だけど人間てなぜかマイナス面に目がいってしまうものなんだよね。目標を低めに設定、これ次男に対してはだいぶ早い段階からしている。知的な遅れがあるしASDの診断も付いているので相対的に周りと同じくらい、とか、せめてこれくらいって思いがないのでできなくて当たり前、そんな中で何か些細なことでもできると「すごい!」ってなる。つまりは次男への目標設定・期待値が低いから、その分本人の自信&自己肯定感は高い。
次男は支援級に在籍しているので通常級の通知表はない。だからそもそも成績を気にする土表にいない。とはいえ、勉強は最低限できるようにならないと将来困るよなーなんて思うけれどそれもモチベーションがあってこそ。とりあえずはスモールステップで周りとは比較せず、本人のペースでのんびり着実にひとつずつ少しずつできることを本人のやる気が保てるように伴走するのが親の役目かな。
これは就学を検討している時期に迷ってたこと。やっぱりそうはいっても普通級で大勢の集団に交じっていろんな刺激を受けてもらいたい、親ならそう思うは至極当然のマインドだと思う。でもでも、それって誰の願い?本人がそれを望んでる?普通級で頑張ることで得られることと安全基地で少人数の環境で過ごすのはどちらがよいか?と考えていた時にこのフレーズを読んで支援級に決める後押しとなった。いちど支援級にいってしまうと普通級との差は開いていく一方で転籍は難しい、なんてことを聞き心ざわついたりもしたんだけどそもそも普通級に追い付くことをゴールにすることがおかしな話だし、それより今本人が機嫌よく快な状態で毎日を過ごすことを考えたら自ずと道はみえてきた。
まぁ、迷うと言っても教育センターも「支援級」一択の提案でこちらとしても普通級からスタートする気は全くなかったのが本音なのだけど、それでもやっぱり発達障害児の親になるって予想はしていなかったから受け入れるには時間が必要なんだよね。そんな障害受容のプロセスに優しい手を差し伸べてもらったような、そんな本でした。
発達障害ってどこからが障害になるのか(そもそも障害って言葉自体を本田先生は使わないでASやADHって表現していたりする)そんなくっきり白黒分けられるものではない。だからグレーゾーンって言葉が存在するのであってこの本に書かれていることは別に発達障害児じゃなくても誰にでも言えたりするんだよね。
みんな違ってみんないい、な社会が実現するといいな~。
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