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テレビの裏側

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テレビ制作・テレビ宣伝の裏側・思い出を綴ります。
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#遠くへ行きたい

渡辺文雄さんとの思い出

渡辺文雄さんとの思い出

旅番組「遠くへ行きたい」が今年秋、放送50周年を迎える。
※この原稿を書いた当時。

この番組は、大阪万博が開かれた1970年、国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンの一環として始まった。

月1回のレギュラーだったのが、俳優の渡辺文雄さん。プロデューサーの僕はナレーション原稿をチェックしていた。

渡辺文雄さんのナレーション録りが終わると、渡辺さん、スタッフと赤坂の居酒屋で呑むのが恒例になって

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「市川崑」の助監督

「市川崑」の助監督

テレビ番組「遠くへ行きたい」は1970年10月に放送がスタートしてから、今年で54年になろうとしている。

「TBS」の有志で作られた「日本で初めてのテレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」が最初に請け負った番組が「遠くへ行きたい」。

スタート当初は「テレビマンユニオン」一社で制作されていたが、諸々の事情があって、月一度だけ、現在の「田園工房」が制作する事になった。

一説によると、「テレビマン

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島倉千代子さんと東京ディズニーランド

「そこも行きたい!あそこも行きたい!楽しいわ、ディズニーランド!」

その国民的大歌手はそう言いながら、東京ディズニーランドを速足で駆け回っていた。

島倉千代子さんである。番組は「遠くへ行きたい」。

「東京ディズニーランドに行けるなら、番組に出ます」

そんな話を聞き、出演が決まり、ロケが実現したのだ。

カメラは島倉さんが目立たない様に、プロが使っているカメラでは無く、普通の人も使っている小

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「遠くへ行きたい」渡辺文雄さん

旅番組「遠くへ行きたい」が今年秋、放送50周年を迎える。この番組は、大阪万博が開かれた1970年、国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンの一環として始まった。

月1回のレギュラーだったのが、俳優の渡辺文雄さん。プロデューサーの僕はナレーション原稿をチェックしていた。

渡辺文雄さんのナレーション録りが終わると、渡辺さん、スタッフと赤坂の居酒屋で呑むのが恒例になっていた。

渡辺さんとするのは決

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京都・上七軒の夜

僕がプロデューサーをやっていた当時、「遠くへ行きたい」の12月の旅は京都だった。

担当のOディレクターは京都・上七軒(かみひちけん)の置き屋のドキュメンタリーを撮った。前々から渡辺文雄さんと僕と三人で、取材した置き屋に行こうという話になっていた。舞妓さんや芸妓さんが行き交う置き屋のコタツに入って酒を飲む算段だ。舞妓(まいこ)さんは中学校を出て、置き屋で修行している身。近くのコンビニに買い物に行く

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渡辺文雄さんとの映画の話

渡辺文雄さんとの映画の話

俳優の渡辺文雄さん(1929年〜2004年)。

僕が旅番組「遠くへ行きたい」のプロデューサーをやっている時、知り合った。

当時、「遠くへ行きたい」のロケは3泊4日で行われていた。

渡辺文雄さんが「旅人」の時、長崎県対馬のロケ地に、高めのウィスキーを持って、陣中訪問した事もある。

対馬空港付近では、常に強風が吹き荒れ、福岡空港を離陸した時、機内アナウンスで、

「対馬空港付近は風が強い為、3

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